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竊 彣 恠 亊  作者: 㐑༒狄萨斯ت
5/22

水都抗變・五

獠は女から金額の書かれた小切手をもらうと、灱たちの元へ合流を果たした。

その後、しばらく三人で過ごしたが、灱が眠りに就いたあと、猒の口から耳の痛い話が切り出された。


「──おっ、獠のやつ来やがったぞ」


その言葉を聞いた灱は──追加で頼んでもらった──フロートを啜るのを即座にやめ、腰を上げて辺りを見回した。

そして前方、その少し奥を覗いてみれば、幾数と行き交う人々の中に、その姿があった。

身長はおおよそ一七〇程度、他の者とは比べ物にならぬほどに、際立って目鼻立ちが良い。

葡萄酒の如くに赤い瞳、思わず二度見をしたくなるスタイル──。

灱が獠を眺める即ちは、常人に向ける眼差しとは皆目違うものであった。

好意、憧憬、延いてはある種の敬虔的なものも含め、総て彼女という存在を肯定し、尊敬を絶さぬ眼差しである。

猒は是非ともそれを己にも向けてくれないかと、陽に輝る波の如く、目をキラキラさせる灱を見惚けながら思った。


──やがて三人が集まって数時間、一行は八面玲瓏の海が眺められる浜辺で一息つくことになったが、今朝方、起床の早かった灱は、陽向に気持ち良くなったのか、気づけば小さく可憐な寝息をしながら眠りに落ちていた。

灱を挟むようにして、獠、猒はデッキチェアに身を預け、束の間の休息、海を目の前に互いに言葉を投げ合った。


「お前、水着だと『ぼでいらいん』ってのが余計に際立つな」


サングラスをかけた猒は、快晴の空を、同じ色の眸で仰ぎながら、適当に話を切り出す。

獠は暑い砂浜の中でも涼しい顔をして、平静と海を覘望していた。


(おだ)てても何も出てこないよ」


「嘘言うなよ」と、軽く笑い、次に、猒の声色は少し重みを帯びた。


「小切手にはいくら書かれてたんだ?」


「一八七八二〇淼幣(みょうへい)分が二枚」


一人に於いてそれだけの額ともなると、中々の褒賞である。

今思えば、あの女は態度こそ冷たく、また己を苛立たせるようなものであったが、意外にも仕事に対する対価はきちんと見積もってくれていたようだ────と、獠は少し強ばった表情を弛めた。


「おお!思ってたより良い収穫じゃないの!」


猒も歓喜の声を張る。


「だね」


「これで、私らの生命の安全を確保して、この子を東煒(とうい)に渡すことができるな」


かけていたサングラスを少しばかりにずらして、真剣な眼差しで獠の双眸を捉えた。

恐らく、獠の眸を判然と見ることができるのは、猒、灱、そしてあの女を含む三人くらいしかいないのではないだろうか。


「渡す…………」


獠は、何かバツの悪そうな面持で猒から目を逸らして──到底できてもいないが──素知らぬ顔を取り繕った。


「無理だぞ。これ以上は」


その言葉は、獠の胸臆を槍で突くが如くに、彼女の痛いところを突き刺した。

しかしそれでもなお、猒は言い続けることを止めない。


「確かに、この子は㹿に似ているんだろうが、本人ってわけじゃないんだし、なにより、この子は火族であって靍衙(つるが)とも関係してる、謂わば竜巻なんだよ。私らは、この子を良し悪し関係なしに匿った奴らのとんでもない末路を見てきたろ?同じ轍を踏まないためにも、もう肚を括るべきなんだよ」


彼女の説得に獠は何の抵抗もできず、ただただ己らに挟まれて、気持ち良さそうにすやすや寝ている灱の寝顔を眺めることしかできなかった。


「それに、なんつってもお前は煒梑(いてき)冲突以来、色んなとこから首にかなりのマルをかけられるほど有名になってるし、『迫夜警报』の列称を──」


「それなら、実力でこの子を──」


「いいやっ。いくら獠といえど、あまりに尨大なモノを敵に回しちゃァ衆寡敵せずってもんだ。それに、人は守るもんがあっちゃ、脆弱さを増してしまう。この現状は靍衙を狙う輩に知られても、北梑に知られても、はたまた東煒に知られたって、得なし損八百ってとこだ。とどのつまり、互いが互いの行動を掣肘するひどい重りになっちまうんだよ」


猒は愈々我々に迫った身の危険を案じているのか、口調も少し厳しく、また余裕もあまり感じ取れないものだった。

いつもは楽観的で奔放な猒ばかりを見ている獠も、こればかりは驚いて目を丸くした。


「彼奴にも、同じようなことを言われた……」


ひどく落ち込んだ様子で話す獠に、ようやく猒も我に返ったのか、心成らずも優しい声色が口から溢れた。


「え…………?」


「いつか私が足枷になって、二人を沼に沈めるって、そう……」


猒は言葉を慎重に選ぶために、少しの間口を閉ざして、夕刻手前の海辺に目をやった。

波打つ度に白くなった泡が綺麗に弾け、伸びた波が濡れて染みた砂と戯れている。

そして、波水は奥に広がる海に引っ張られ、余儀なく海原へと消えていっては次が再び訪れる。

まるで人の巡り合わせの如く、波打ちは幾度となく繰り返していた。


「そ、そんなに気を落とさないでくれ?ただ、灱をやらしい目でしか見てない奴らに渡すよりも、ちゃんとした対応をしてくれる東煒に渡したほうが確実にいいだろ?」


「ん……」


獠は小さく頷いて、腕に絡んできた灱の髪をなぞるように優しく撫でた。


「それに、今の煒梑の情勢を鑑みれば、私らが金を要求しちゃ、首だけで淼尼斯に帰される羽目になっちまう──」


「んんっ、獠さん……」


猒の説教を灱の優しい寝言が制止し、二人の顔には柔らかい表情が浮かんだ。

陽ももう少しで、水平線にかかる頃である。


「双方の安全を確保するには、今が一番の潮時だろ?」


「そう…………かもな──」

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