水都抗變・四
その後、己が地位に心酔し、警戒を甘んじたために、淦は無様に拘束された。
二日後、猒はカフェにて灱と合流し、獠は淦と会っていた怪しい女と落ち合っていた。
どうも獠は、その女とは馬が合わないようで……。
而して、二日と日を跨いだ西西里の昼手前──。
「──んんっ!これ、すっごく美味しいです!」
嬉々として笑顔満面に新作のパフェを頬張る彼女を眺めれば、世に溢れる戦争なんて無くなってしまうのではないか。
不意にそんなことを思った猒は、灱の美味しそうに頬張るパフェを己もつつこうと手を伸べたが、先日の銃撃の際に負った傷が彼女を掣肘した。
「いでぃぇ!」
反射的に出た反応に灱は気づき、不安の疑念を問いかける。
「痛そうですね……。なにをしたんです?」
あまり触れられるべきでない質問に、猒はできる限りの茶を濁す。
「うーん。こないだ仕事で…………、ヘビに噛まれた。そう噛まれた!」
「ヘビですか?」
「そうそう、お陰様で腕を曲げ伸ばしするのがどうにも辛くて……」
猒は純粋な表情で首を傾げる灱に、愛想笑いをかましながら、本音を隠した。
「相変わらず、お二人がどんなお仕事をされているのか見当もつきません……。それより、獠さんはいつ来られるんですか?」
やけに背の高いパフェを挟んで、灱は訊ねた。
海辺の傍に佇む、辺りでは有名な小洒落たカフェ。
そのテラス席に座る二人は、まるで親子のようで、片や黑帮の人間とは到底思えないものであった。
潮気を帯びた優しい風が猒の頬を掠め、それはまだ夏の残暑を告げる報せも兼ねている。
「獠は────もうちょっとで来ると思うよ」
猒はふと海辺の方へと目をやる。
視界を占めるのは水平線の覘望できる瀛海と、晴天の空から己らを見下ろす迫力満分の入道雲であった。
──幾分と天気が良いのに、獠の心中は反転、曇天そのものである。
風の通る隙さえも僅かなほどの狭い路地裏。
獠は見るからに怪しい女に捕まっては、嫌悪の念を十二分に増していた。
「元気そうね、彼女」
女は、幾重と挟まれた建物から垣間見えるカフェを見惚けながら、獠に素気なく訊ねる。
「それは猒のことか、それとも灱のことか」
「まぁ、その両方かしらね」
訊いた挙げ句に誤魔化す彼女に、獠は微かな怒りをも覚えた。
「報告と、明確な額だけが知りたい」
「あなた余談ってものが嫌いなの?」
鼻で嗤うが如く、女は少しばかりにニヤけて、獠の凡そ純粋でない眸を覗くように窺った。
「正確には、お前と喋るのが嫌いなだけ。早くしてほしい。二人が待ってる」
急かす獠に一つ、小さな溜め息を溢して、女は淡々と言葉を放った。
「淦は私たちが無事に特警に手渡し、拘束を完了。今頃正教会直轄の狴牢に収監されてるところかしら。そうなれば泽丹も近いうちに解体でしょうね。あ、それから捕捉だけど、あのあと淦邸宅には明卫府が介入してきたわ。嵐歳のことも捜索してたみたいだから、あなたも十分気をつけることね。金額は……、これだけよ。指定の口座に振り込んでおくわ」
明からさまに冷たくなった女は、獠の胸元にぴっと小切手を押し付けて、その場を立ち去る準備を整えた。
「待って。なぜに明卫府が邸宅に──」
獠の言葉を遮るようにして、女が上回った声量で制止する。
「あなた、私と喋るのが嫌いなんでしょ?もう行くわ──。それと、彼女を沼沢の底層から伸べよう可怕から避けさせたいのなら、その腐敗し切った縁を切ることね。いつかあなたの存在が足枷になって、沼に溺れる羽目になるわ」
「お前……」
「ふふっ、責善は朋友の道なり、よ。あなたは会いたくないでしょうけど、また近いうちに顔を合わせるわ。それじゃ──」
僅かに色気を含んだ微笑で、女は潮風の如く颯爽と、跡形もなく消えていった。
而して、しばらく茫然ととり残された獠も、小切手を片手に、路地裏から陽の十分と差す海辺へと歩み出た。