エピローグ・一
『昨日深夜、カルテル組織の泽丹が縄張として定めていた峻宇刑務所で大きな銃撃戦があり、付近の住民はこれまでにない大きな銃撃に、一晩中恐怖に晒されました。更に凡そ一時間後には、大歩道托洛梅沿道街付近でも銃撃があったとのことで、叙拉区警察は当時の状況を────』
『泽丹当主であった淦及びその多数の私兵が、組織の縄張であった私領刑務所で殺害されているのが発見され、叙拉区警察局はこの事件に犬部族が関与していることを視野に、総力を挙げた周密な捜査を────』
『──昨夜の一連を以て、これまで幾多と西西里の平和と秩序を脅かしてきた泽丹は、一晩の抗争にして壊滅したとのことです。これでようやく、西西里の地にも、無辜の市民が願い続けてきた悠遠の安寧が訪れるのでしょうか────』
木製の小洒落たラジオのチャンネルを摘まみ、ジリジリと回して次から次へと放送を変えるが、阿から吽まで泽丹壊滅の件で持ち切りである。
同じニュース────野蛮な情報を朝から聴くのは耳に障ると、静かにラジオを切った。
確かに、昨晩は幾重もの鈍重な雲を抜け、あの銃撃音は叙拉から二キロと離れない此処にも幾度となく響いてきた。
それがただの雷鳴であれば問題はないのだが、生々しい銃声ともなれば、脳がたちまち錯覚してフラッシュバックを起こし、昨日はまったく碌な睡眠が摂れなかった。
「お早うさんです。昨日はよォ眠らはれました?」
声のする方を振り返ってみれば、蒼い髪を纏った長身娩沢の女が一人、朝から良い目の保養である。
彼女はコーヒーカップを両手に携え、大窓から差し込む光を背に、ベッドに座る寝惚け眼の客人にカップを手渡した。
今日は昨日とは打って変わり、綺麗な太陽が一点の曇りない空から顔を出し、日差しが客人の雪のような白髪を照らしている。
「昨晩はえっらい銃撃戦やったらしいですねぇ。あれのせいで私はよう寝られんかったです。なんちゅうか、この地位に就いてもう数百年ってところですけど、未だに銃声っちゅうのは聴けば心臓に悪いもんで」
「私も、昨日はよく眠れませんでした」
客人は差し出されたカップを、滑々の小さな手で包み込むと、ゆっくりとコーヒーを啜り始めた。
「ま、おんなじ境涯のもんですからねぇ。そないなことには敏感なくらいがええ塩梅なんかもしれませんわ」
女は少々訛りのきつい言葉遣いで、大窓の側に立ちながら、一望できる叙拉の朝を見惚けた。
赤色の煉瓦が視界を埋め尽くし、すぐ近くを見れば、果物や魚を積んだ小舟がせっせかと忙しく行き交っている。
「……でも、今回の一件で泽丹は壊滅したんですよね?」
客人は面を上げて、窓際に寄った女の背を見つめた。
背筋の佷良さが朝日に際立ち、長身ゆえの妖艶なボディラインを自然と有しているのが、なんとも羨ましい限りだ。
「まぁ、恐らくあの刑務所で泽丹の上層部が殺害されとったゆうことですから、事実上の壊滅は為されたと言ってええんでしょうね。でも、彼処で何があったにせよ、あの淦が刑務所に全戦力をつぎ込んだとは言い難いもんやねぇ。私はもう数百年、この地で淦と張り合うてきましたけど、彼奴意外とドタマの回る奴やったんですよ」
「じゃあ、まだ下部支持層の人たちが、未だ泽丹の根を枯らしていないということですか?」
「んなところとちゃいます?ラジオの放送も淦と私兵が殺られたゆうてましたやろ。ま、何ゆうても私は見てへんから知らんのやけど──」
女は外に目をやったまま、当たり前のことを口にして、少し笑った。
「まぁ、黑帮とそれに類似するもんっちゅうのは、大体が雑草みたいなもんですわ。良い意味でゆうたら芯が堅い。根っこが腐らんからったらなんべんでも立ち直りよる。んでも、悪い意味でゆうたら根っこが中々その地から抜け切れんから、粗い除去じゃ根絶やしにはできんし、そのうち綺麗な庭を侵食してくんやなぁ──。我々かてそないなもんですし、それがこの世界の節理でもあるんですわ。いずれにせよ、泽丹の下層部からまた頭角を現す奴らが出てくることおまへんなぁ。あれだけでっかい組織やってんから尚のことですわ」
ふーんと、客人は理解を示す程度に頷いた。
顔は既に洗ったというのに、まだ眠気が抜け切れない。
「ははーん、あんさんまだ眠いやろ?」
投げかけられたその言葉にハッと驚く客人だったが、次に大きな欠伸を掻いてしまい、眠たいことを隠し通すのはどうもできそうになかった。
蒼髪のさっぱりした女は、客人の眠たげな麗しい小顔を覗き込み、ニカッと笑っている。
「まぁまだ七時前でっし、もうちぃと寝てもろてもええんですけど、要人との約束の時間、九時なんよなぁ……」
「今寝ちゃったら、絶対に起きられません……」
「ふふっ──。ほな、朝餉済ましたらちぃと外歩きにでも行きましょか。朝からばーっと歩いたら気持ちええんですよ。なんつっても、ここは西西里ですからね。せせらぐ清流のすぐ側歩けるっちゅうんはここだけの贅沢でっせ」
──而して、二人は軽い朝食を摂ると、清晨の街中をぶらりと出歩いた。
客人の泊まっていた豪華な邸宅から、少しと歩けば繋がる托洛梅沿道に、目映い朝陽が煌々と顔を出す。
砂色の歴史的な家々が続々と整列を成し、潮気の含んだ風が頬を優しく掠めた。
「どうです?朝の散歩、中々気持ちええでしょ」
「そうですね。朝陽を浴びながら、海辺を歩けるのはとっても気持ちが良いです」
「西西里の唯一といってもええ取り柄ですからねぇ!」
「えぇ、そんなことは──。って、あれ?あそこ……」
ふと、客人が指を指す方向を窺ってみれば、そこには幾数の警官に加え、黄色の怪しげな規制線が沿道を大々的に遮っているではないか。
道路には微量とは言えない血痕に合わせて、剣で引きずった時に刻まれたような痕が生々しく残っている。
「やけに煩かったと思えば、こんな近くでやられていたんですね」
「でんなぁ。なんか……、折角の休暇で西西里にお越しんなっとんのに、あんなもんが御目に掛かってまうんは、なんとも申し訳ないの一言に限ります」
言葉にこそ謝意は表れていたが、横目で蒼髪の顔を窺ってみれば、表情には何か、肚に一物抱えているような笑みを露にしていた。
「この先にええカフェ建てさせてやったんで、そこ連れてきたいんですけど……、ここ通られへんみたいやから、他の道から行きましょか」
「建てさせてやった……?」
「そぉなんですよ!今日紹介する序でにショバ代もらいにいこか思ぉとったところですわ」
そうして案内されたのは、シックな佇まいでありながら、今のトレンドを確りとおさえた小さなカフェであった。
蒼髪と共にそこへ訪れると、顔を見せるが早いか、店の者はせっせかと総出で二人を出迎えた。
「い、いいいらっしゃいませ!」
「お早うさん。んなビビらんでもええのにやな」
蒼髪は字に書いたようにカッカッカと笑うと、従業員には「気楽に!」と促し、客人を連れてテラス席へと赴いた。
やがて注文したフロートとカフェラテが来ると、二人は快晴の下、朝餉のデザートがてらを享受し始めた。
「わぁっ……!これ、すっごく甘くて美味しいです!」
フロートにちんまりと乗ったアイスの先をつまんだだけだというのに、客人は澄んだ水色の瞳をキラキラとさせて、上機嫌で蕩けるような微笑みを見せた。
「でしょう!?ここねぇ、中々やりおるんですよ。のォ?」
店員に話を振ると、緊張の解けない其奴はあたふたと謝意を示す。
「し、賞揚のお言葉……、有り難きに御座候──」
「なにゆうとんねん」
「しかし、毎度のことですが……、本当にこのツケだけをみかじめに……」
「わァわァいいな。わしゃがええゆうとんねんからええやろがい」
蒼髪は口こそは荒々しいものの、終始笑顔満面であり、気前の良さを客人にでも見せつけたいのだろうか────こんなことを口にすれば首を跳ねられる、と店員は独りでに走った思考を圧し殺した。
「でも、ここ一帯は泽丹の縄張では……」
客人は止まらぬ手でフロートを嗜みながら、ふとした疑問を口から溢す。
「んまっ、そのへん櫻日冕は深層で幅利かしとりますからねぇ。水面下で好き放題やってる泽丹でも、水底の蛟龍がやるゆうたことには首突っ込むやおまへん」
決して直球ではなかったが、客人は彼女の言葉を十分に理解していた。
「それに、泽丹はもう首失うた鶏や。当座は好き勝手できん。それもこれも、仕事をゆうた通りにきっちりやってくれたからやなぁ」
「仕事…………?」
頭に「?」の浮かぶ客人に、蒼髪は曙光に負けぬ笑顔で一笑し、店の中からやって来たもう一人の客人を、それは大層に迎え入れた。
「のォ?────迫夜さん」
静かな足どりを蒼髪の背後で止めると、その客は白髪の客人に軽い会釈を交わした。
「そこ座り」
蒼髪が一言促すと、迫夜は黙ったまま、テラスの鉄椅子に腰を下ろした。
白髪の客人も、彼女の存在には驚きを隠せなかった。
陽に溶け始めたアイスが、淡く綺麗な空色のソーダと絡み始める。
「お互いもう顔は知ってはるでしょうけど、一応紹介しときますね。こちら、迫夜さんです。迫夜、こちらは㑓夷さんや──」




