水都抗變・一八
己が身に迫った死を悟った獠は、真実を語った旧友に、無慈悲にも殺されそうになるが、そこに救済の手を伸べる者が現れる。
頭上を見た獠は即ち、全身に鳥肌を立て、己が身に降りかかる死を覚悟した。
大きく見える半月を背に、娩沢な顔には悪魔の微笑にも似た嫣然が拝める。
事の速さと、常人とは軌を逸した無慈悲さを持つ彼女には、己は精神力で負けていたか……。
獠の足は覚束ないものになり、沿道の浅い段差に躓いて、ずたずたと体勢を崩した。
これは戕害か、それとも報復か……。
────いや待て。
今更だが、まだ一つ、説明されていないものがあるのでは……?
「──だな。まだ一つ、猰は説明をしていない」
それは獠でも、猰でもない、落ち着きに加えて肝の据わった声色だった。
喰らおう斬撃に思わず目を瞑っていた獠は、いつになってもその痛みを感じなかったために、片目をゆっくりと開けてみれば、猰の振った峻刀は、彼女と獠の間に挟まった者によって攻撃を阻まれていた。
「出てきちゃった──」
峻刀は阻む者の盾にめり込み、途轍もない摩擦で発生した熱が真っ赤になって、じわじわと煙りが立ち上がり、盾に深い傷を生んでいた。
猰は思わぬ妨害にも驚く様子を見せず、勢いを失っては華麗な着地を見せつけた。
「黙ってお前のダベり聴いてりゃ、どれもこれもくそったれなことだらけじゃねぇか」
「──ふふっ、ふふふっ……、あはははっ!」
物陰から聞こえる声に、猰は気味の悪い不穏な笑いを堪えられなかった。
化物の嗤い声が、夜道を蔓延る冷めた空気を響き渡る。
「あなたなら、私が話した以上のことを知ってそうね?」
「無論、それが私の務めだからな」
声はやがて形を成して姿を現した。
影から出てきた其奴。
灰色の髪に、月のような双眸を纏い、すらっとした出立ちである。
獠はその昔、一度其奴を見たことがあった。あの時と立場が違うが──。
「獇、其奴を立たせてやれ。やれ、久しぶりだな。迫夜」
「㺦──?」
「結構ギリギリだったんだ。あと五分と遅けりゃ、あのニタコに斬られてるところだな」
「あんたみたいなインケツの死に損ないにそんな言われ方されたくないわ」
獠は獇の肩を借りて、崩れた体勢を立て直した。
場は逆転、三対一に変化した戦況を、視界を鈍らせる黒い闇夜が見守る。
聊か冷えてはりつめた空気が、彼女たちを周りを漂っていた。
「なァ猰。お前からしちゃ、ここにいる三人のうち、迫夜以外は敵とも思っていないんだろうが……、ここに㑓夷が来ると言えば、さすがのお前も具合が悪いだろう」
これもまた、どこかで耳にしたことのある名前であった。
恐らく、その名もなるべく聞くことのないほうが吉であるものだ──。
「それは脅しのつもり?それとも投降の促し?」
「いいや、予告が一番近しいな」
「彼女は今、生きてるかすらも怪しいのに、呼ぶだなんてたわけ抜かしちゃって」
否、猰の額からは一筋の冷ややかな汗が伝っていた。
獠以外の者が姿を現すだろうとは予測づいていたが、まさか㑓夷の名が出てこようとは思わなかったからである。
「いいや、戯言ではないぞ。私が態々、北梑から遥々西西里にやって来たのが、迫夜のためだけだと思ったか?────待て、決してお前のことを小者だと思ってるわけじゃないからな」
刹那手を出そうとした獠は、㺦の弁解によって身動きを制止された。
少しムスっとした獠を、獇があたふたと宥める。
「いいか。実際、㑓夷が淼尼斯に韜晦していることは掴んでいるんだ。明卫府の後ろ楯があると分かれば、彼女はすぐにでも駆けつけて、お前のその腐って膿だらけの脳天をぶち抜いてくれるぞ」
真実味を帯びた㺦の言葉に、猰の娩沢な顔から余裕の表情は消え失せた──。




