水都抗變・一〇
予想だにしていなかった獠の凄惨な姿に二人は驚愕し、あとからやって来た追手の傭兵を猒が反射的に殺してしまう。そして人の死を目の当たりにした灱は、唖然として畏怖の念を打ち付けられた。
「おまっ────なんでそんなことんなってんだよ!?」
獠の左腕、加えて脇腹の辺りには、スーツの紺を打ち消すほどの赤色が侵蝕を果たし、己が躰に感じずとも、その痛みは目視でひしひしと伝わってくる。
それに対し、獠は呻きの一つも口にせず、ただ黙って、腹の傷口をぐっと押さえていた。
状況の一切を把握できない灱は、ただただ唖然と立ち尽くすに限り、獠が見せる事の惨状に、理解という行為を忘了していた。
「どいつだ?どいつがやった?」
猒は周章てて獠に肩を貸し、崩れかかった足許を咄嗟に支える。
「襲撃も……、彼奴も……、欺瞞だった…………」
「はァ?追手はっ!?」
「追手の大半は──始末ついてる……。ごめん。マルもらえなかった……」
獠の面持は固く、何かに対して非常に強い恨みを抱いていることが見て取れた。
「所詮あんなマルなんてシケてんだ。それより──」
「獠…………さん……?」
──幾度と背筋に悪寒が走り、立った鳥肌が治まることを知らない。
灱は、獠に対して、照常に見る『獠』の眼差しを向けることができなかった。
憧憬、敬虔は冷めて退き、顔が無意識に引き攣って、戦いているのが分かる。
普段の彼女はどこにいったのか、恐ろしく睨みを利かせた圧力のある獠の双眸に、恐惧は疎か、戦慄を覚え、一歩と後退りをしてしまい、灱の脳内に、もう常々の獠の印象はこれっぽっちも残っていなかった。
「と、灱──」
「な、なに…………」
深く呼吸し、途切れた声で灱を呼ぶ獠は、彼女にもう隠すことはできないと肚を括り、猒の肩を借りながら、やけに落ち着いた口調で事の総てを述べた。
「これが……、私たちの仕事であって、私たちはもう…………『人殺し』の濁りに染まった濁水なんだ……。本当は、今日……灱と別れるつもりだった。でもね、交渉材料を失ったから────その責任は私にある。私は意地でも二人を……守らないといけない」
「別れるって────」
即ち、無用の長居をしてしまったか、殺り切れなかった追手が獠たちの後方からやって来てしまった。
「おいあれ──」
「水路に蹴落とした奴……、まだ生きてたの…………」
「ボゲゴルァ!アホンダラがぁ!そのドタマいっぺんカチ割ったるからのォォ!」
とても子供には聞かせられぬ言葉で、その男は猪突猛進を仕掛けてくる。
獠は、ここまで至るまで一寸たりとも休まずに走駆し、命意が効かぬ日中に、六〇余人と居た追手をほぼ総て片付けた。
一度一息着いてしまった躰に、再び力を出すのは難しく、疲弊した己が身は中々と言うことを聞かない。
然れども、既にゴールに辿り着いた彼女には強い味方がいるのだから、彼女に担心は無用であった。
──猒は懸命に獠を支えつつも、余した右手で直ぐ様リボルバーを抜き取り、咄嗟の反射で男の胴──凡そ即死部位──に一つ、轟音と共に小さな風穴を通した。
「がほっ──」
真っ向正面から真面に喰らった銃弾に、狂進していた足が自ずと弛み、男はやがて歩みを止めて数秒、雨で湿った煉瓦に勢いよく後頭から降下し、そして事を切れ仆した。




