バッドガール・ミーツ・バッドボーイ 5
―――時間は、葵がラックを射殺した直後までさかのぼる。
葵は盗んだトラックには戻らず、自分の足で逃走した。テレマティクスで逃走経路を把握される危険性を考えてのことだ。長距離移動に難があるが、そんなものはバスなり電車なりに乗ってしまえば解決できる。完全に人目を避けることは出来ないが、テレマティクスと違い即効性は無い。身を隠すならこちらの方が確実性は高い。
「ハッ、ハッ、ハアッ……!」
後を追ってくる者は、いなかった。否、あるいは追われていると悟らせないように、姿を隠して尾行しているかもしれない。酸欠の頭がそう叫んでいたが、体は体でもう体力が残ってないぞと叫んでいた。
やむを得ず路地裏に入る。ポリバケツを蹴り飛ばしてしまった。生ゴミのツンとした臭いが鼻につく。
「ハァ、ハァ、ハハハ、やった。やってやったぜ。ざまあみろってんだ……」
ラックを殺したのは、葵が感じたのと同じ思いを、両親の仇に味わわせてやりたかったからだ。
―――目の前で大切な人が殺されるのを、指をくわえて見ていろ。
だから、トラックで2人そろって撥ね飛ばした。
だから、ラックだけを射殺した。
だから、父親には何もしなかった。
3発の銃声のあと、呆然とした様子で葵を見るあの男の間抜け面といったら、胸がせいせいして仕方がなかった。
「ははは、ははははははは……」
葵は笑っていた。
笑わなければならなかった。
だって、これは復讐なのだから。
そのために、好きだった男の子を、自らの手で撃ち殺したのだ。
だから、泣く資格などないのだ。
そのはずなのに、頭では分かっているのに、心からは、身体からは、涙があふれて止まらない。
突然、拍手が鳴った。
咄嗟に片腕で顔を隠す。もう片方の手は拳銃を取り出し、拍手が鳴った方へと向けた。
「おやおや、こんなところでそんなものを使えば、音で人が」
撃った。一切躊躇わなかった。だが、
(ッ外した―――!?)
もう一発。またもや外れ、
(いや違う。こいつ、今、)
この日のために、射撃訓練はしっかりとやってきていた。たとえ片手で会ったとしても、外すような距離ではなかった。にも関わらず外れた。……否、
避けられた。
どうか当たりませんように、そう願いながらの幸運避けではない。聖技がDMMAで似たようなことをやっていたから分かる。ここまで体を動かせば、この位置にいれば当たらないと、そう確信しての確定回避。
「ニューナンブの装弾数は5発。先ほど3発撃って、そして今ので2発。弾切れなのは分かっていますよ、アオイ・ホシカワさん」
名前を呼ばれた。もう意味はないと顔を隠していた腕を下げた。銃口も下げた。そして初めて、目の前の男の顔を見た。瞬間、まなじりが裂けるほどに目を見開いた。
紫色の長い髪の、美形だった。
知っている。星川葵は、この男を知っている。
元イギリス王子。
ローマ教皇暗殺犯逃亡ほう助の国際指名手配犯。
かつての石川の同僚で、ラプソディ・ガーディアンズに所属していた男。
神の鉄槌戦争では撃墜数ぶっちぎりのトップであり、その上ただ1人殺すことのなかった世界最強のパイロット。
その男の名は、
「ライナス・ロンゴミニアド……!?」
男は、ライナスは、つい先ほど銃撃されたとは思えないほど、実に穏やかな笑みを浮かべていた。
「自己紹介は不要なようですね。人が来る前に移動しましょう。貴女さえよければ付いてきてください」
ライナスが顔に手をかざすと、顔が、髪が、変化した。美形の西洋人顔から、そこそこ美人な日本人女性の顔に。髪の長さはそのままに、紫色から明るめの茶色に。100人が見て100人全員が国際指名手配犯ライナス・ロンゴミニアドではなく、背の高いスレンダーな日本人女性だと思うような姿に、一瞬で変装していた。
「ちょっとした、私の親友の発明品です」
聞いてもいないのにライナスはそう教えてくれた。3年に渡り行方を眩ませた手段、その一端を知った。そのまま歩き出したのを、葵は警戒しながらもその後を追うことにした。役立たずになった拳銃を捨てるかを一瞬悩み、ここにいた証拠を残す必要はないと懐にしまう。
共にバスに乗った。タクシーも見えていたがそちらを使わなかったのは、運転手に顔を覚えられるリスクを避けるためだろう。どちらも不特定多数が利用する移動手段だが、多人数を一度に運ぶのと、少人数で運転手とコミュニケーションを取りながら移動するのでは、印象に残る強さが全く違うからだ。
下車する。財布も捨てていた葵に代わって、バス代はライナスが支払った。
再び道を歩く。葵の隣を歩くライナスは、まるで仲の良い女2人が一緒にいるような自然さを醸し出していた。こいつ元はイギリスの王子なのにどこでこんなヘンテコな技術を身に着けたんだと思いながらも、道中の2人の間に会話は無かった。
「ここです」
建物の前で、ライナスが立ち止まった。
周りに、人気は全く無かった。
ライナスは鍵を開け、扉を開いた姿勢のまま、無言で葵に中に入るように促してくる。
分かる。
ここが、境界線だ。
ラックをこの手で殺した今でも、まだ、日常に戻ることは出来る。塀の中の、という但し書きは付くだろうが。
思えば、ライナスは一度たりとも葵が逃げられないようには立ち回らなかった。バスには先に乗ったし、降りる時には葵の方が先に降りた。2人分の料金を支払っている間に走り去ることも出来たし、なんだったら運転手に助けを求めることも出来たように思う。
だから、
(あぁ、だから―――)
ここにいるのも、境界線を越えるのも、全て、
(―――全て、オレの意思だ……!)
踏み込んだ。
心の底からどうでもいいであろう補足
多摩地区なのでバスは後払いです




