蓋天の箱庭 9
「どうやら、原子炉が爆発したみたいだね」
葵は、アガルタの司令室に出頭していた。正面には報告書を右手に煙草を左手に持った石川が座っていた。
「流れ弾が原因か、木馬の側が暴走させたのかは今後の調査次第だけど」
木馬勢力との戦闘は終わり、既に一夜が明けていた。
「政治家先生方もおかんむりみたいだねぇ」
「……すいません」
「ん? 何を?」
「何って、5万人のほとんどをオレのせいで死なせちまって」
「あはは、なんだい、変に殊勝な態度だったけど、ひょっとしてそんなことを気にしていたのかい?」
「そんなことって」
「気にしなくていいよ、いや本当に。星川さんがやらなくても全員殺してたからさ。そうだねー、例えば毒ガスでも流して、報道では事故で有毒ガスが発生したことにして終わりだよ」
「は?」
「考えてもみなよ。5万人もの難民なんて受け入れられるわけがない。なら全員殺すしかないじゃないか」
「いや、でも、ひょっとしたら、マジで誘拐された日本人とかいたかもしれないし」
「どうやって証明する?」
「え? 証明って、えーっと、親兄弟とか知り合いとかを連れてきて、確認してもらうとか?」
「その自称親兄弟が、ポツダム半島勢力と繋がっていないことの保証は? 仮に繋がっていないとしよう。整形して顔を似せるくらいのことはするよ、背乗りするためならさ。人相が違うかもとか言われても過酷なポツダム半島の環境の影響だーなんて言われたら、もうお手上げだよお手上げ」
「あ、遺伝子情報は? DNA鑑定。オレ最初にここに来た時、に、あー……」
「自分でたどり着いたみたいだねぇ。そう、普通に生活していて、遺伝子を検査することなんて中々ないんだよ」
「脆弱性もあるよな。DNAがどう保存されるのかなんて知らねぇけど、パクる予定のヤツの名前使って、なりすまそうとするやつが自分の送れば乗っ取れちまうだろうし」
だから全員殺すしかないのだ、と石川は言う。
「誘拐された人の帰りを待っている人たちには申し訳ないんだけれどね。これも必要な犠牲ってやつさ」
「あーっと、じゃあ、他の国から非難が来たりは?」
「星川さんって、政治の分野は結構苦手だよねぇ。もし難癖付けてきたらこう言い返せるんだよ。つまり貴国は、我が国に対して武力による侵略を目論んだという見解でよろしいか、ってね。どこの国も戦争してんだ。そこに体力満タンの日本に喧嘩売る度胸は無いよ。仮にそんな国があったとしたらもう末期だね。放っておけばそのうち滅びる」
「……アンタ、結構ドライなんだな」
「世界を2度も救えばこうもなるさ」
「……ん? じゃあ、政治家連中は一体何を怒ってんだよ、いや怒ってんスか」
「漁業だね」
「…………は? 漁業って、あの漁業? 魚を釣ったりする、あの?」
「そう、その漁業。原子炉が爆発した、つまり日本海沿岸約20キロメートルを中心に放射線汚染されたわけだ。魚介類に対する影響は計り知れない。潮の流れでどれだけ被害が広まるのかも見当が付かない」
「5万人の人命より未来の飯の心配スか」
「対岸の火事ってやつだねぇ。隣の国の、まぁポツダム半島は国として認められているわけではないけど、あいつらが5万人死のうが5億人死のうがどうでもいいのさ。むしろ治安的には喜ばしいくらいだ」
「世界を2回も救ったやつが言うとは思えねー台詞」
「成り行きの結果に人格を求められても困るんだよねぇ……。ま、責任は取ってもらう必要はある。対外的には、君は難民申請者5万人余りを殺した戦犯者だし」
「死刑か終身刑?」
「まさか。末端兵にそんなこと負わせるわけないでしょ。仮にそうなるとしても、もっと上の方までで止まるだろうさ」
石川はそう言いながら、実際にはそうならないとも思っていた。難民5万人を虐殺したともなれば失態どころの話ではないからだ。まず間違いなく彼らは難民に偽装したテロ組織だったということになり、テロリスト5万人の侵略を無事に撃退できたと報道されるだろう。
「まずは3ヶ月間の実戦出撃禁止。それと教官としての外部出向だね」
「出向?」
「防高の落ちこぼれを集めてスパルタ合宿をやるんだそうだ。夏休みになったら星川さんと下野さんには協力してほしいって要請が来てる。断ってもいいかなーとは思ってたんだけど、今回の件もあって受けざるを得ないね」
今度こそ、葵ははっきりと溜め息を付いた。
「どっちにしろ、乗れねーんなら受けるしかねーじゃねーですか……」
●
潜伏している可能性のある敵機を引きずり出すため、木馬内でビームガトリングガンを乱射、その際に動力機関に直撃した可能性あり。
戦闘終了後、石川は葵からそう報告を受けていた。同時に、石川は葵がポツダム半島の人間を誰でもいいから殺したかったのだ、と察してもいた。だから、黙認した。
ああは言ったものの、原子炉の爆発について、葵に責任はまず無い。原子炉という極めて重要な機関になんの防護もされていないことはあり得ないからだ。自爆、もしくは操作ミスによる暴走、というのが石川の推測だった。
すでに一度目を通した書類を、再度確認する。捕縛できた敵パイロットの尋問から得られた証言だ。紫煙を細く、書類目掛けて吐き出した。
木馬が起こす騒ぎに乗じて、日本への不法侵入を目論んだ。
誘拐してきた相手に情が移り、警護のために同行した。
主な主張はこの2つだ。もっとも、後者はまず嘘だろうと石川は思う。そして、
(以前から予測されていたとはいえ、やっぱり敗北者、か。あんな巨大空母で来るのは流石に予想外だったけど)
ポツダム半島内部では、様々な犯罪組織による勢力争いが何十年も続いている。となると当然、可能性としては十分に起こり得るのだ。軍艦を有するほどの巨大組織が敗走することが。
同時にこれすらもダミーで、実は敗北者でも何でもなく、巨大な統一組織の中の一部隊が、ダミーの情報を外に流すための大規模作戦という可能性すらある。
(その場合、ポツダム半島内部は既に統一されている、か)
ただ、確証は得られないだろう。木馬を動かしていたリーダーやその側近たちは、そろって艦橋で死んでいたからだ。暗殺されたのか同士討ちか、あるいは自殺したのか、それはまだ分かっていない。
はぁ、と石川は溜め息を漏らした。3年前の神の怒り事件の際に、中国が自国のついでにポツダム半島にも核ミサイルを何発か落としていてくれれば良かったのにな、と思いながら。
顔を上げる。既に退室する際に閉められた扉を見て、葵の心情を推測する。気付けば煙草は根元近くまで吸い切ってしまっていた。
「……ま、5万人も殺したんだ。しばらくは満足していてくれるだろ」
そう言って、吸い殻が山盛りになった灰皿へと、煙草を押し付けた。
上官の人命に対する価値観がカス……!




