蓋天の箱庭 5
葵は1人、バイト先へと向かった。生花店、春原花屋へと。
静かな店内に入ると、客の姿は見られなかった。奥のテーブルには、鼻歌を歌う若い男が1人。店のエプロンを身に着け、首から下げたロケットペンダントを手慰みにいじっている。金髪碧眼の白人だった。肌の白さもあって、顔にそばかすがあるのが目立っていた。
春原ギャラクシィ。この春原花屋を営む老夫婦の孫で、日米間のハーフだ。
「おぅラック。テメェだけか?」
「この時間帯はだいたいそうだって、アオイも知ってるでしょ?」
「まぁな」
生花店は立地次第で、客が多く来る時間帯が大きく変わってくる。学生の帰宅時間を迎えてはいるものの社会人の定時にはまだ早いこの時間帯は、春原花屋の場合、全く客が来ないのも珍しいことではない。
「今日はどうしたの? 何かあった?」
「別になんも。ヒマんなったから来ただけ」
「そっか」
葵はポケットからシュシュを取り出し髪をまとめた。テーブルの裏から備品のエプロンを取り出し身に着けた。そして、ラックの隣に座って頬杖をついた。
どこかで鳥が鳴いている。バイクの排気音が聞こえる。
特に話すことも無い。無言が続く。けれども、葵は気まずさを感じることも無かった。こういう時間が好きだった。
けれども今日は珍しいことに、ラックは鼻歌を歌っていた。さっきと同じように、胸のロケットペンダントを触り始める。
「ラックこそ機嫌よさそうじゃん。何? カノジョでも出来た?」
「悲しいことを言ってくれるなぁ。実はね、もうすぐダディと一緒に暮らせるんだ!」
「親父さんと?」
ラックの身の上について、葵もある程度のことは知っている。本人から伝えられたわけではなく、ラックの祖母から愚痴混じりの雑談の中で耳にした、様々な情報の欠片をまとめた結果だ。
老夫婦の娘とアメリカ軍人の男が駆け落ちして出来た子供、それがラックだ。
アメリカ合衆国で生まれたラックだったが、両親が離婚。母親に引き取られたものの、その母親がアメリカで病死。その後は母方の祖父母、つまりこの花屋を営む老夫婦に引き取られて暮らしている。
葵と学年は同じで、けれども年齢は1つ上の青年だ。
もしも―――もしも聖技と出会わなければ、オレはコイツの胸の中で慰められてたのかもなぁ、と想像出来る程度には、気を許している相手だった。
「うん。そういえば、アオイには見せたことなかったっけ。これがボクのダディだよ!」
ラックはロケットペンダントを外し、中の写真を葵に見せた。5歳くらいのラックを中心に、黒髪の女性と、ラックと同じ色味の金髪の白人男性が映っていた。
「――――――」
頭の中に、直接耳鳴りが聞こえているような感覚があった。
その男に、葵は見覚えがあった。
ラックが何か言っている。脳が反射的に当たり障りのない返答を返す。
忘れるはずがない。
忘れられるはずがない。
今でもその瞬間を、昨日のことのように覚えている。
―――半壊した自分たちの家。
―――一階の生花店を営む表側は完全に潰れて、無数の花が周囲に飛び散っていた。
―――多くの人が行き交ったせいで踏み潰され、元が何の花だったのか、それが花であったことすら判別が出来なくなっていた。
―――半壊した家の中から、冷たくなった両親が運び出されていた。
―――泣き喚く一つ下の妹を力いっぱい抱きしめていた。
そして、覚えている。
ドール・マキナのコックピットから引きずり出され、両手両足を拘束されたその男の顔を、星川葵は5年が経った今でも覚えている。
ラックは、春原ギャラクシィは、―――両親を殺した男の、息子だ。
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『現在、ポツダム半島方面より全幅約5キロメートルのドーム状の物体が海上を移動しながら日本へと接近しており、日本海方面全域に第四次避難警報が発令されています。発令地域における公民シェルターは全て解放され、自主避難が推奨されます。また、同地域における全ての教育機関は休校となります。……ただいま続報が入りました。本日9時30分より政府による緊急会見が行われるとのことです。会見は公民シェルター内でも視聴できます。繰り返します。現在、ポツダム半島方面より全幅約5キロメートルのドーム状の物体が海上を移動しながら……』
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足元には、海が一面に広がっていた。
肉眼で見ているわけではない。マガツアマツ肆号機クロユリ、漆黒のドール・マキナのコックピットで、葵はモニター越しに海を見ていた。
視線を上げる。数えるのも億劫に思える程の、機影、機影、機影。
陸海空軍、飛行可能なドール・マキナは大多数が出撃しているのではないだろうか。葵の位置からは視認できないが、海中には水陸両用機も待機しているはずだ。この場に来れない陸戦型には仕事がないかといえばそんなはずもなく、おそらくは日本全国に広く展開しているはずだった。
さらに奥を見やれば、恐ろしく巨大なドーム状の何かが海上に浮いているのが見える。そのドームの周辺にも、ドームを護衛するかのように、否、『ように』ではない。ドームを護衛する多数のドール・マキナが飛んでいた。
「チッ。ンだよありゃ蚊柱みてぇによ。飛行型をどんだけ貯め込んでんだよ」
日本国内で起きる外国人によるドール・マキナ犯罪は、そのほぼ全てが陸上専用機によるものだ。
『今回のためにかき集めたか、あるいは温存していたのかもしれないね』
葵の愚痴に、石川が通信機越しに答えた。
敵は空にいるだけではない。海上にも大量に浮いている。頭部を持たない代わりに、その位置に大砲を搭載している海上専用機、超安価ゆえに多くの発展途上国で使われている、今は亡き中国が開発したベストセラー、全裸野郎だ。中国語での正式名称は別にあるのだが、球体上のコックピットが股の下に垂れ下がっているシルエットのせいで不名誉な渾名が付けられた機体だった。ざっと見て、少なくとも100機以上は浮いている。
「どっちにしろ半島内はろくでもないことになってねぇか、それ」
『これだけの規模の組織的な動きだ。ポツダム・アウトローズの確立は確定的と見ていいかもね』
朝鮮半島がポツダム半島と呼ばれる頃から、半島内部では延々と勢力争いが起きていると推察されていた。なにせ世界中からマフィアやカルト、反政府組織が集まってくる『世界最大最悪のスラム』だ。そうなるのは火を見るよりも明らかだった。
そしてポツダム・アウトローズとは、ポツダム半島の勢力争いを終わらせた組織、つまりいずれ現れるであろう、ポツダム半島の支配者に対してあらかじめ付けられている仮称である。そのポツダム・アウトローズが誕生するという事は、これまでの散発的・単発的な犯罪ではない、侵略戦争規模の略奪がいつ起きてもおかしくないことを意味していた。
『ダディ』は主に小さい子供が父親を呼ぶときに使う言葉ですが、ラック君はその年齢の頃に父親と離ればなれになってしまった&周りの子供がダディ呼びを止める頃には日本で暮らしていたこともあり、18歳になってもダディ呼びが継続しています
女の子たちがキャッキャウフフしながら下着を選ぶシーン?
そんなもの、うちには無いよ…