黄金の螺旋 3
右を見て左を見て扉を見る。ついでにテーブルの下まで覗き込んで、どこにもプラムがいないことを確認してから、石川はポケットから封の開いていない煙草を取り出した。手持ちの煙草はプラムに没収されてしまっていたが、こんなこともあろうかと思い、マガツアマツ参号機のコックピットに隠していたものだ。
部屋に残った麒麟が始末書相手にうんうん唸っているのをいいことに一服する。
プラム・マハーラージャ、自称アガルタの医療スタッフ、名目上は兵器開発アドバイザーである少女は、成人女性と見紛うような外観をした中等部1年生だ。アガルタにいる人間の中ではぶっちぎりの長身で、もちろん石川よりも背が高い。机の下になんて潜り込もうものならわざわざ下を覗かずとも見つかるはずなのだが、石川の中ではプラムの印象は、3年前に出会った時の、自分よりも小さい少女から変わっていなかった。
そうして石川が紫煙と共に吐き出したのは、安堵の溜め息だった。
ずっと懸念していたのだ。星川葵が誰を恨んでいるのかを。
妹が無残な殺され方をしたというのに、少なくとも外から見る葵の情緒は、恐ろしいほどに安定していた。だから、葵が怒りの矛先をどこに向けているのかが分からなかったのだ。
星川向日葵を殺したのは、ポツダム半島から不法入国した犯罪者だ。だから普通に考えれば、星川葵が恨むのはポツダム半島の住民、ないしその中の犯罪者たちのはずだった。
だが、と石川は経験則からこう思う。頭が良過ぎる連中は、変なところに着地したりするんだよなぁ……、と。
花山院学園が葵を入学させなければ、向日葵が死ぬことは無かった。
であれば、向日葵が死んだのは、花山院学園が原因だ。
向日葵が花山院学園に入学することになったのは、妹も花山院学園に入学させることを葵が条件として提示したからだ。葵が向日葵を花山院学園に入学するよう要求しなければ、向日葵が死ぬことは無かった。
であれば、向日葵が死んだのは、星川葵が原因だ。
だから葵は学園生に危害を加える可能性もあった。自死を選ぶ可能性もあった。
『―――全員、ぶっ殺してやる』
あの時、外部通信はオフになっていた。だから聖技や麒麟は知らない。石川が知っているのはマガツアマツ肆号機に盗聴装置を組み込んでいたからだ。その言葉を聞いた瞬間、石川は笑いながらこう思ったのだ。
成功した、と。
葵の恨みを、ポツダム半島の犯罪者たちに向けることに成功したのだと。
となると、定期的に『餌』を与えなければならない。飢えてしまえば他者を『餌』と認識する可能性もあるのだから。
(とはいえ、しばらく作戦行動は無いんだよねー。先に免許だけはマストか。今のままじゃ私有地の外での活動も出来ないし)
大きなあくびを噛み殺しながらそう思った。
実に平和だった。いや、世の中は第三次世界大戦の真っ最中で、実際には全く平和などではないのだが、少なくとも石川にとっては久々にゆっくりと出来る時間だった。
3年前の2月14日、レムナント財閥総帥の暗殺未遂から始まった神の怒り事件以来、……いや、今では国際指名手配犯となった悪友2人の面倒を見ることと、ラプソディ・ガーディアンズの隊長の役職を押し付けられた時にまでさかのぼれば、実に4年振りの心の平穏だ。
ゆらゆらと、視界に青のリボンが揺れている。麒麟の頭のポニーテールに結ばれたものだ。そのリボンに既視感を覚えた。煙草に侵食される脳みそから記憶の箱を吟味していき、
(あー、中等部のリボンか)
その事に気付いた瞬間、頭に溜め込んだ情報の中から関係していそうな内容が連鎖的に発掘されていく。
花山院学園は、入学した年ごとにリボンの色が違う。麒麟の年なら緑のはずだが、髪に結ばれているのは青、つまりは一学年下の色だ。
4年前の夏休み、中等部に編入してきた時には付けていなかった。
3年前、獅子王閣下を弑そうとした報復に中国人の虐殺を始めたローズ・スティンガーを止めるため、世界各地から戦力をかき集める旅に出た時、聖女の護衛として同行した際には既に付けていた。
気付かなきゃよかった、とまで思った。
その内容は、後から報告書で読んだだけだ。当時は色々と慌ただしくて、そこまでは全く気を回す余裕が無かったのだ。
東郷麒麟は、目の前で後輩を殺されている。
獅子王閣下暗殺未遂事件と同時に起きた、ルインキャンサー奪取未遂事件。ルインキャンサーを開発していた野亜研究所の所員は全員が殺され、テストパイロットに登録されていた2人の姉妹も命を狙われた事件だ。
つまり、あの青のリボンは、
(どう考えても、殺された後輩の形見だよなぁ~……)
煙草を吸う勢いが加速する。あっという間に吸い終わって、さっそく2本目に火を付ける。
どうしよう。今からでもカウンセリングを受けさせるべきだろうか。
石川がそう思うのは、麒麟は3年前、14歳の時分に人を殺した経験があるからだ。それもドール・マキナ同士の戦闘ではなく生身同士で。後輩を殺した3人組の暗殺犯を、その場で全員殺している。
麒麟は今回が初陣ではない。マガツアマツに乗っての実戦は、既に何度か経験している。思い返してみれば、妙に殺意が高い場面は多かった。石川自身が人を殺すのに抵抗も無ければ、殺したことに罪悪感を覚えることも無い類の人間だったので、麒麟もそういうものだと、武人特有の血の気の多さによるものかなぁくらいに勝手に思っていたのだが、
(倫理観がどこかしら壊れてしまっているかもしれない……)
うん、と石川は決めた。プラムとリセに相談しよう、と。どちらにせよ、初の実戦を経験した葵にはカウンセリングが必要なのだ。この際3人まとめてという建前を作れば通るだろうとも思う。
いい笑顔で報告書を書き終えた麒麟が登校した後、石川は医務室へと足を向けた。プラムは名目こそ中等部に所属しているものの、学力に関しては大学卒業レベルの天才だ。今さら義務教育を受ける意味はなく、普段から授業を受けたりはしていない。
そして、プラムとリセから麒麟についてはとっくの昔にケア済みだと告げられた。しかもプラムは「あの女にそんな繊細な心あるわけないじゃない。アレ、キリンというよりはイノシシね」という感想まで貰った。
ついでに匂いで喫煙していたことを指摘されてしまい、残りの煙草も没収された。
シナリオ上では全然開示されない世界観設定~ドール・マキナのサイズ分類編その1~
日本では、
・5メートル未満:小型
・5メートル以上:中型
・10メートル以上:大型
・20メートル以上:超大型
と定義されている(国ごとに基準値や法律は異なる)
日本では民間での所有が許可されているのは小型のみ
何らかの形で5メートル以上になった場合にはえげつない罰則(テロ等準備罪や内乱罪)が適用されるため、安全マージンを取って4メートル程度に抑えられている場合が多い
小型は自動車を購入した場合と同様に警察への登録義務があり、普通自動車運転免許を持っているなら公道を移動することも認められている