夫婦
靴屋を出たところで、少年に声をかけられる。
「すみません。解術師さんですよね?うちの田に使う水を浄化してもらいたいのですが」
「了解した。家はどちらか?」
「すぐ近くです」
少年について歩きながらモコは「お仕事ッお仕事ッ」と跳びはねる。
「仕事って?」
「お水を綺麗にするの。ぼくはまだ練習中だけどね。お師匠さんったらすごいんだよ」
「解術師って言ってた?ちょっと詳しく教えて」
「うん!ぼくらは解術師の師弟なの。主なお仕事は治安?あれ?ちあん?で合ってる?…とか一番多いのは水の浄化とか疫のざんさ?を消すことかな。お師匠さんレベルになると疫自体を払うことだってできるんだよ。でもこの国で疫を払うのはだめなんだって。だからおじいさんのことは内緒だよ」
すらすらと話すモコは得意げだった。
「ここです」
少年の家の前には広い田が広がり、用水路が流れている。しかし、覗き込むとその水は茶色く濁っていた。
「この水路を引いている川の上流でこの前土砂崩れがあって…じいちゃんが、たぶんそのせいだって言ってます」
「ではまず土砂を取り除いてこよう。水路に勢いよく水を流し込むゆえ、水際に近づかないよう伝えてほしい」
「わかりました!」
小石に足をとられながら川に沿って上流へのぼる。
そして急に開けた場所は…山の土砂が川へ大量に流れ込んでいた。
「うわぁめっちゃ大変そう…」
素人の私はそう思うが、解術をもってしたらたいしたことはないらしい。
リトは川の水に杖をつける。すると水かさが上がり、川の流れが早くなった。徐々に徐々に土砂は押し流される。
「すごい…」
詰まりが取れた水は勢いよく下流へ流れる。
水路へ戻ると流れた土砂で水はひどく濁っていた。しかしリトがその水に手をかざすと、砂粒一つない透明な水に変わる。
少年とその祖父は
「おぉ」っと感嘆の声をあげた。
「ありがとうございました。おかげでまた作物を植えられます。お礼は…」
「銅貨一枚頂こう」
「たったそれだけで?」
リトは黙って銅貨一枚を受け取り、その場を後にした。
「お師匠さんたら!もうちょっともらってよーぼくお腹ペコペコ」
モコはひたすら駄々をこねる。
すると靴屋の前を通る頃、老人を看取ったあの女性が出てくる。
「あの…声がしたもので…先ほどはお礼もせずにすみません。よろしければお礼をさせて頂きたいのですが」
と小さな声で引き留める。
モコは嬉しそうだ。「やったねお師匠さん!おいしいごはんをごちそうになろうよ。そうだ、この国は土葬?なのかな。ぼくたちがおじいさんの支度を手伝うからさ、お肉が食べたいな。できれば…大盛りで!」
リトは頷き
「まだ心の整理もつかぬ間にすまぬが、モコも腹を空かせたようなので食事だけ世話になってもよろしいか?」
と訪ねる。
女性は涙を拭ってモコに目線を合わせ、
「モコちゃん、私はサヤ。ご馳走するから少し待っててね」と微笑む。
サヤが食事の支度をする間、皆でおじいさんを弔った。裏庭の土は柔らかくおじいさんを包み込んだ。花を飾り、十字架も立てた。
開け放たれた台所の窓から良い香りがしてくる。
「あーあ待ちきれないや。涎が出ちゃう」
裏庭を走り回るモコはまだまだ元気いっぱいだ。
リトと私は並んで木陰に腰を下ろす。
「水もびっくりするほど綺麗になったし、疫を払ったときなんて、すごい光だった。魔法みたい」
「あれは解術と言い、厳密には魔法とは別なのだが…会得したいなら教えよう。それと、これからどうする。我らは仕事をして旅するその日暮らしの身、それでもよければ同行するか?」
あっさりとした物言い。しかしどこかに優しさが隠されている。そよ風でフードが揺らぐがやはり顔は見えなかった。
返答に迷っているとサヤが窓から顔を出し、
「よろしければどうぞ。貧しい国なのでご馳走と言ってもささやかなものですが…」
と呼び掛ける。
テーブルに並んだのはとても工夫を凝らした料理だった。モコは早速手づかみで口いっぱいに食べ物を頬張り、狐の姿に変わって皿を舐め回す。
サヤはしばらく墓の前で佇んでいたが、テーブルに戻ってくるなりちらりとリトのほうを見つめ、ふぅと息を吐いた後真剣な顔で話しかける。
「あの、お願いがあるのですが…もし可能でしたら…私も疫を解して頂きたいのです」
リトは食事を取り分けていたナイフとフォークを置いて静かに頷き、
「承知した。サヤ、それは死を意味するが…本当によろしいか」
「はい…」
「何か訳がありそうだが、良ければ聞かせてもらいたい」
「今はまだ仕事に出ている主人がそろそろ帰宅します。その主人とのことなのですが…。恥ずかしながら、私たちの国では子どもを授かることが許されていません。それはこの国の民全員が不老不死のため、新しく子どもが生まれたら人口が増えすぎてしまうからです。私たち夫婦は若くして不老不死になりました。いくらあの人を愛しても、二人の間に可愛い子どもを授かることはできない…それは辛いことなのです」
「なるほど」
「誰かを愛し、子を産み老いて次の代へ命を引き継ぐ…それは本来自然の摂理。もし生まれかわりというものがあるのであれば、絶対にまたあの人と一緒になり、子どもを育てたい。それが願いです」
そしてサヤは私のほうを向き
「だからね、あなたたち夫婦が本当はとっても羨ましい。可愛いモコちゃんがいて」と微笑む。
真剣に話を聞いていたが一瞬、考えが止まり、飲みかけたお茶を吹き出す。そして、みるみる顔が赤くなるのが自分でもわかった。ちらりとリトを見たがフードでさっぱり顔色がわからないのがずるい。
「いえ、私たちは家族ではないんです。私はモコとリトに助けてもらったというか…まだお互いのことも全然知らなくて…」
慌ててやっとのことで説明した。
サヤは勘違いに気づいたらしく
「あらごめんなさいね。あまりにもお似合いだったから」と少し笑った。
ガチャンとドアの開く音とともに
「ただいま」という男性の声。サヤは「少し主人と二人で話をしてきます」とテーブルを離れた。
「ねぇねぇ、お師匠さん、ぼくたち家族みたいだって。嬉しいなぁ」モコが話を掘り返す。リトは席を立ち窓の外を見回した。そして「我もモコを弟子以上の家族と思っている」と一言付け足した。
もう日が落ちかけている。
「そろそろ宿に戻ったほうが良さそうだな。夜は表を出歩かぬことだ」
「なぜですか」
「疫は影だ。陽の光に弱い。しかし陽が落ちればご老人のように制御できない程のものになることがあるのだ。白骨化したのはそのせいであろう」
そこへ引きずるような足音。サヤがテーブルの部屋に戻ってきた。何となく予感はしたが、サヤの姿は老婆だった。面影のない程老いているが着ているものでサヤだとわかる。周りには黒い影が蠢く。
リトは動じずに
「また明日来よう」
と告げた。
外に出ると町は一気にひと気がなくなっていた。足早に宿に向かい、部屋にたどり着くとしっかり施錠した。