老人と影
恐ろしくて身体がすくみ、立ち上がることができない。それなのに頭の中では本能的に危ない、逃げろと警告音が鳴り響く。
膨らんだ影は一瞬にして四方へ飛び散り、私の頬を、脇腹を、脹脛をかすめた。
痛い。血の滲む感覚がする。そして影はまたこちらへ向かってくる。一瞬の出来事だが、死ぬかもしれない場面というのは景色がスローモーションに見えるものだ。覚悟して目を閉じる。
その時
「ソラー!!動かないで!」
モコの叫ぶ声と目の眩む閃光。それは轟音を伴って影を地面ごと吹き飛ばした。
塵が少しずつ薄れていき、同時に朝日がさしはじめる。目の前の老人はドサリと音を立てて倒れ、後ろを振り返ると息を切らしたモコと平静なお師匠さんが立っていた。
「ご老人を我らの宿へ」
お師匠さんの低く穏やかな声。すらりとした長身に刺繍の入った紺の長い外套を纏い、目をすっかり隠すほどに深く被ったフードから緩く結わえたブロンドの髪が下がる。声からして男性だが、朝日が照らし出すその風貌、雰囲気は息をのむほどに美しかった。
モコが老人に駆け寄り、今度は大きな狐の姿になって背に乗せる。
「お師匠さんごめんなさい。ぼく、ソラから目を離して居眠りしちゃった。」
「気にするな」
お師匠さんはモコの頭にポンと手をのせた。モコは歩き出しながら
「それにしてもまた派手に吹き飛ばしちゃいましたね。さすがです」
と笑う。
お師匠さんは伸ばした人差し指と中指腕ごと水平にひゅっと振った。
瓦礫はみるみる路肩へ片付く。
「ソラ」
お師匠さんに急に名前を呼ばれ、びくりとする。
「申し遅れた、我の名はリト。怪我をしたようだが、立てるか?」
「はい…」
ひどく傷が痛むが、手を貸してもらうのは気が引けた。何とか立ち上がり、皆でもと居た建物へ向かう。
部屋に戻るとモコが包帯を持ってくる。
「ソラ、また傷増えちゃったね…ごめんなさい。でもね、ぼく包帯巻くの上手なんだよ。ちょっとそこに横になってて!」
モコが悪戦苦闘しながら包帯を巻いてくれている。緊張の糸が切れ、私はまた泥のように眠った。