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思い耽る夜


 殿下との茶会を終えた夜は、酷く心が落ち着かない。それは乙女心なんてものじゃなくて、前世的に言うならばストレスによる憂鬱感。


「はあ、嫌になってしまう」


 それは自分自身か、諦めないソレイユ殿下かと聞かれれば、どちらもなのだけれど。

 私の大きな愚痴は、広い部屋によく響いた。けれど、それを受け流してくれるはずのアビーは既に下がらせている。

 たった一人で使うには、この部屋はあまりに大きすぎる。平凡だった頃の名残で、落ち着かない。キングかクイーンかサイズは良く分からないけれど、少なくともシングルサイズが二つ以上は入る寝台の上で、ごろごろと寝返りをうつ。


「……落ち着かない」


 心が、ざわつく。瞼の裏に浮かぶのは、かつての光景。


 ***


「綾香、ごめん。本当に何て言っていいか分からないけど――」

「彼は私のものなんだから、あなたはとっとと出ていってよ。今日からは私と彼の家になるの」


 片付け終わっていない段ボールが部屋の壁際に積み上げられている。大きく描かれた引っ越し業者のロゴマークを、私は何を考えるでもなく眺めていた。


「ねえ、聞いてるの?」

「……はい、聞いていました」


 季節はもうすぐ春を迎えようという頃。大学時代から十年以上付き合ってきた彼氏とようやく結婚するはずだった。お世話になった会社に別れを告げて、彼以外誰も知らない土地へと引っ越してきたのが、二日前。お互いに早くから親類縁者を喪っているからこそ、大切に育んできた関係だったのに。新居で三日目の朝と共に訪れたお客様が、私の世界を変えてしまった。

 平凡で、無個性で、どこにでも埋没する私と真反対の女の子は、彼の子を妊娠したと告げた。

 だから、彼と結婚するのだと。昔の女は、すぐに立ち去れと。

 誰かから愛されることに慣れた顔で、誰かから慈しまれている身なりで、未だパジャマ姿の私に彼女は用無しの烙印を押したのだ。

 私がじっとロゴマークを見つめている間に、彼は何を考えていたのだろう。

 少なくとも、私と一緒にいるという選択ではなかったはずだ。なにせ、この問答を繰り広げた後、彼は私の何もかもを取り上げて私を追い出しにかかったからだ。

 仕事もない、頼れる仲間もいない、一人で生きていくだけの力もない。

 心が折れた私は生きた屍だったが、身体は生きていた。腹から鳴る音に、ようやく生を実感して失意のままコンビニへと立ち寄った。

 昼時を過ぎてしまい売れ残っていたサンドイッチとお茶を手にして、レジへと向かう。横切ろうとした棚の前で、此方を見つめている視線に気付いた。はちみつ色の毛並みに、まんまるの瞳。目立つようにディスプレイされたぬいぐるみは、くじの景品のようだった。


「お姉さん、それラスト賞なんですよ」

「ラスト?」

「そう、くじを最後までひいたお客さんにだけ与えられる特典なんです。いかがですか?」


 たとえそれが悪魔の誘いだったとしても、きっと私は後悔しないだろう。

 コンビニを出た私の手には、サンドイッチとお茶。あとはいくつかの景品と、ふわふわのぬいぐるみがあった。

 ぬいぐるみ――ぬいがいれば、私はどん底でも生きていけた。慣れない土地で、慣れない仕事をしても。慣れない人間関係に心が疲弊したとしても、小さな家にはぬいがいる。そう、それは生ハム原木に匹敵する強さなのだ。ふわふわの愛くるしい身体で、おかえりなさいと私を包んでくれる。抱き締めるのは勿論此方からなのだけれど。

 不知火綾香の最期がどうかだったかは覚えていない。しかし、私の腕の中にぬいがあったことだけは覚えている。願わくば棺桶も共にしておいて欲しいものだが。


 だから、余計にソレイユ殿下との関係にストレスを感じているのだろう。

 ぬいは裏切らない。持ち主以外を裏切りようがないのだ。

 でも、殿下はいつだって私を捨てることができる。


「……我ながら拗らせてるなあ」


 天蓋付の寝台も、並べられた数多のぬいも、綺麗な調度品も、豪奢なドレスに宝石も、全ては公爵令嬢に用意されたものだ。令嬢として民の税で生きている以上、民のために結婚を渋っている場合ではないのだが。……いかんせん、心が追いついてくれない。

 枕の傍で私を見守ってくれていたぬいの身体を抱き上げる。美しい毛並みに顔を埋めて、息を吸い込めば途端に感じるのはひだまりの香り。手を動かして尻尾のまわりを揉みしだけば、ふわふわの夢心地。


「ねえ、ぬいちゃん。どうしたものかなあ」


 問いかけても答える声はない。

 ぬいは喋らない。動かない。

 ――今この瞬間までは、それが真実のはずだった。


「ぬう?」


 まんまるの瞳で私を見上げる小さないのちが、そこにはあった。驚く私の顔を可愛らしい手でぽふりと触れて……、触れている?ぬいぐるみが、動いている?


「神よ!」


 転生させてくれてありがとうとか、公爵令嬢してくれて嬉しいとか、記憶を取り戻してからこれっぽっちも感謝を捧げてこなくてごめんなさい。見知らぬ神よ、今日こそは感謝を力いっぱい捧げます。

 夢か幻か、とにかく何でも良い。願望が現実となった今、私がすることは一つ。

 力いっぱいぬいを抱き締めることだった。



読んでくださって、ありがとうございました。

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