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プロローグ


 上を見れば、高名な職人による天井画が。

 下を見れば、持てる技術の粋をこれでもかと注ぎ込んだ繊細な刺繍で彩られたドレスが。

 横には、キラキラしい笑みを貼り付けた王子様が。


「……嗚呼、早く帰りたいものですわ」

「フレア、何か言った?」

「いいえ、何も」


 私の名は、フレアレディ。フレアレディ・ブラン。

 アルアルド王国に五家のみ存在する、公爵家の娘。

 そして、――


「問題無いなら行こうか、恐ろしい世界へと。お手をどうぞ、僕の婚約者殿」

「ええ。今夜もよろしくお願いしますわね、ソレイユ殿下」


 差し出された殿下の腕に、優秀な侍女達によって磨き上げられた爪先が触れる。皺一つない衣装に触れた瞬間に、彼じゃないと思う。私が今触れたいと思うのは、彼ではなくて……。

 離れないように、そっと。仲睦まじいと周囲に思い込ませるように、互いに恥じらいつつも絡まった腕。


「――まあ、今夜もフレアレディ様なのね」

「ええ、殿下がお離しにならないってもっぱらの噂よ」

「私も聞きましたわ。なんでも城に勤める男共の目に晒したくないとかで、王子妃教育も特別に公爵邸からの通いをお認めになったとか」

「まああ、ご寵愛が深いこと」

「それでも婚約式はまだなのでしょう?婚約者と決まったわけでは……」

「あら、公爵令嬢たるフレアレディ様に敵う令嬢がいらっしゃって?」

「けれど真実の愛というものもございますし」


 密やかに交わしているつもりでも、貴族の耳は大きいのだ。夜会での情報収集を常とする我々にとって自らに向けられる話題は、きっちり回収して当たり前。殿下にエスコートされる合間でも、少しばかりズルをして小鳥ちゃん達の囀りに耳を傾ける。


「……フレア、ダメだよ。僕に集中して」


 ちゅ、と音がして柔らかな感触が離れていく。途端に会場へと響くのは黄色い悲鳴と、私を見下ろして笑う殿下の顔に卒倒する初心な令嬢の姿。それらを捉えて溢れ落ちるのは、ため息。それすらも恋する乙女のそれと会場の貴族達は思うのだろうけれど。


「殿下、いけませんわ。お戯れはおよしになって」


 おいたをした子供を叱るように、けれど確実に此方の怒りを伝えるために。広がった裾に隠された靴のつま先で、彼の足を蹴った。

 本当に止めて欲しい。今も昔も私の心は、たった一つだけに捧げられているのだから。


 ***


 夜会明けの日は、昼まで部屋で過ごすと決めている。何があろうとも決して部屋から出ようとしない私を屋敷中の人間が把握しているために、誰にも邪魔されることはない。

 乙女が憧れる天蓋付の大きなベッドの上で、薄い絹の寝間着のまま足をばたつかせる。


「お嬢様、足癖が悪うございますよ」

「やだやだ、だってソレイユが悪いでしょう。あれはズルくない?」

「ズルも何も。婚約者であれば問題ないのでは?」

「まだ婚約者じゃあーりーまーせーん!」


 私付の侍女であるアビーは遠縁の子爵令嬢で、幼い頃から仕えてくれている。容赦なく指摘する様は、私の自室だから許されていた。裾が捲れ上がって淑女の足が晒されようとも、私の優秀なアビーは呆れることなく会話に付き合ってくれるのだ。


「フレア様、いい加減諦めたらよろしいのです。そもそも、旦那様がお認めになっている婚約でございますよ。あの、旦那様がです」

「分かってるわよ……、お父様が甘くないのは」


 アビーの言うところの旦那様とは、私の父であるブラン公爵である。ブラン公爵は先様――前国王の次男で、つまりは今の王様の弟にあたる。国に育てられた男は国に尽くすのが当然のように生きていて、娘の希望とかは些細なことなのだ。

 けれど、冷たいわけじゃない。私に対する愛がないわけじゃない。妻である私の母のことは溺愛していると言っても良い。

 それでも公爵が兄である国王からの打診に含まれた真意に、国を想う心を感じ取ったからこそ、婚約は決定事項なのだろう。

 娘に生き方を、これからの未来を強いるからこそ、父は私の行いを見逃してくれている。


「はい、お嬢様。これでも吸って落ち着いてくださいませ」


 ばたつかせていた足を止め、まるで屍のように寝台の上へと転がった私にアビーが差し出す。ふわふわとした小さなそれは、私のことをまんまるな瞳でじっと見つめている。その瞳はいいよと、私に許しを与えている。夜会明けで腫れぼったい瞳で、手の中に転がっている彼へと顔を勢い良く落とした。


 ぱふり。


「すぅーーーーーーーーーーーーー」


 ふわふわの身体に秘められた香りは、まさにひだまり。これは、小さないのちだ。

 私が撫で過ぎて、少しばかり毛玉が目立つけれど、それは愛故なので許して欲しい。

 侯爵家の伝手を使ってありとあらゆる布を集めた。幼い私は布を手に取って、泣きそうな顔で母と商人に向かって首を横に振ったという。


 ――おかあさま、これじゃないの。ちがうの。


 今なら、分かる。だってこの世界には、ボア生地はないものね。

 最高級の綿、私の言うふわふわになるべく近付けた布地、瞳は煌めく刺繍糸で。寂しいと泣いて強請る娘へと母が最初に贈ったぬいぐるみ。私の瞼の裏に宿る神様に、少しだけ似た姿。ひとつ涙が溢れて染みを作った。

 私が触れたいのは、これじゃない。王子様も、煌びやかなドレスも、綺麗な宝石もいらないの。欲しいのは、たったひとつ。忘れられない感触。

 全てを無くした私に、寄り添ってくれた一匹のぬいぐるみ。

 それさえあれば良いのに。


「――なのに、どうして」

「お嬢様?」

「私とぬいのイチャラブを邪魔するやつなんて、万死に値しますわ!」

「あらまあ、お嬢様ってばぬい狂いですこと」


 ともすれば、父親への反抗どころか王命への反逆行為とも、王族批判とも取られかねない発言であるが、ブラン公爵家に勤める使用人達は実に優秀であった。今日もまたお嬢様の癖が出たとばかりに、誰もがほんわりと眦を緩め己が業務に励むのだった。




読んでくださって、ありがとうございました。

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