墓場鳥は星になる
ナイチンゲールという鳥がいます。
美しい声で知られており、小夜啼鳥や夜鳴鶯などとも呼ばれています。
しかし、その呼び名の一つに『墓場鳥』という、あまりこの鳥に似つかわしくないものがあります。
なんでそんな縁起の悪い呼ばれ方をするのかと、不思議に思う方もいるでしょう。
ナイチンゲールの方も、墓場鳥と呼ばれることはあまりよく思っていません。
しかし、とあるナイチンゲールは、実際に他の鳥たちから墓場鳥と呼ばれて、気味悪がられていました。
その理由は、このナイチンゲールの声にありました。
墓場鳥と呼ばれていたナイチンゲールの歌声は、大変美しいものでした。
ただ、それはあまりにも美しすぎて、まるでこの世のものとは思えないほどでした。
あの世を思い起こさせるような歌声のために仲間から気味悪がられ、出来るだけ他の鳥の気配がないところで歌うのが墓場鳥の習わしになっていました。
墓場鳥の外見は、他のナイチンゲールとそう変わりありません。
ただ、その左の翼には、目立つ傷がありました。
歌っているところを他のナイチンゲールに見られて、いじめられてつけられた傷です。
美しくも気味の悪い歌声と、翼の傷が、墓場鳥の特徴でした。
しかし、いくら気味悪がられようと、墓場鳥もナイチンゲールである以上、歌わない訳にはいきません。
日が落ちた後、他の鳥たちの気配がない事を確認してから、木陰で歌い始めました。
この木陰は、墓場鳥が最近見つけたお気に入りの場所です。
すぐ近くに人間の住む古びたアパートがありますが、自分以外の鳥は近寄ってこないので、歌うにはちょうどいい場所だったのです。
今日もいつものように、墓場鳥は生まれ持った歌声で歌います。
他の鳥から気味悪がられても、自分にはこの歌声しかないからです。
ひとしきり歌い終えて、墓場鳥が飛び去ろうとした時でした。
ぱちぱち、と人間が手を叩く音が聞こえてきました。
墓場鳥が見てみると、アパートの窓を開けてこちらに拍手を送っている人影が見えました。
「とても美しい歌だったわ。どうぞこっちにいらっしゃい」
そう言ったのは、まるで死神のようにやつれた女性でした。
墓場鳥は戸惑いましたが、女性の言う通りに飛んでいき、窓枠に止まりました。
「あなた、ナイチンゲールね。ここ最近、この辺りで鳴いているのはあなただったの?」
墓場鳥は、女性の言葉にうなずいてみせました。
「あなたの声は不思議ね。まるでこの世のものとは思えない。まるであの世の歌のような……」
他の鳥たちからも言われたような事を言われ、墓場鳥は悲しい気持ちになりましたが、女性は続けます。
「でも、あなたの歌声は、それでいて命の輝きにあふれているようだったわ」
女性の言葉に、墓場鳥は顔を上げました。
今まで、自分の歌声をそのように言われたことはありませんでした。
墓場鳥は、女性の部屋の中へ連れて行かれました。
部屋の中は散らかっており、あちこちにカンバスや画材が置いてあります。
どうやらこの女性は絵描きの卵のようでした。
「そこでじっとしていてくれるかしら?」
女性が用意した止まり木に墓場鳥が乗ると、彼女はスケッチブックを取り出し、写生を始めました。
しばらくすると、もういいわと言って、スケッチブックを墓場鳥に見せてくれました。
墓場鳥は、描かれた自分の姿に目をうばわれました。
本当にこれが自分なのかと思うくらいでした。
翼の傷も描かれているので、自分の絵だというのは分かりましたが、自分がこのような美しい姿であると考えたことは今までありませんでした。
「モデルになってくれてありがとう。またここに歌いに来てくれるかしら?」
女性の言葉に、墓場鳥は何度もうなずきました。
それからというもの、墓場鳥はこの女性の前で歌をうたうようになりました。
生まれて初めて、自分の歌声が評価されたことは、墓場鳥にとって大変うれしい事でした。
この女性は、食料や画材を買うための最低限の仕事に出る時以外は部屋で絵を描いて過ごしており、墓場鳥が訪れるときにはたいてい部屋にいました。
墓場鳥は女性の前で歌い、女性はたまに墓場鳥の姿を描いてくれます。
そのようなことをくり返すうちに、墓場鳥も自分の歌声を好きになる事が出来ました。
墓場鳥が女性のもとを訪れたある夜の事でした。
女性はなぜか、窓を開けて夜空をじっと見上げています。
何があるのだろうかと思って女性が見ている方を見ると、空に流れ星が現れました。
「コンクールで入賞できますように! コンクールで入賞できますように! コンクールで……ああ、行っちゃった……」
女性がいきなり声を上げたことにおどろいた墓場鳥でしたが、こちらに気づいた女性から声をかけられました。
「あら、ひょっとして今のを見られちゃったかしら?」
墓場鳥は、小さくうなずきました。
流れ星に願いを三回伝えると、その願いが叶う。
女性はそのように話していました。
墓場鳥は、この女性が絵描きとして成功したいと強く願っていることを知っていました。
貧しい生活にたえながら、一所懸命に絵を描き続けていることも分かっていました。
しかし、墓場鳥の力では、彼女を売れっ子の絵描きにすることは出来ません。
自分が出来る事は、ただ歌うだけです。
そんな事を考えていると、何だか空しい気持ちになってしまいました。
墓場鳥は、ある場所をたずねました。
そこは、物知りなフクロウの住み家でした。
願いを叶える力を持つ流れ星について知りたかったからです。
幸い、このフクロウは墓場鳥の事を気味悪がったりすることもありませんでした。
「お前さん、流れ星について知りたいんじゃと?」
墓場鳥はうなずきました。
「あれはな、星が燃えつきる直前に光を発しているのじゃ。その光には、確かに願いを叶える力があると言われている。ただし……」
そこで咳ばらいをしてから、フクロウは続けました。
「願いが叶えられるためには、願った人間の願いと、星の願いが一致していなければいけない。どちらかが願っただけでは、願いは叶えられないのじゃよ」
それでは、あの女性の願いを叶えてくれるように星の所に行ってお願いをすればいいのですか? と墓場鳥が問うと、
「何を言う。星はとても高いところにあるんだぞ。それに、星がこちらのお願いを聞いてくれる保証はない。変な気を起こすでないぞ」
とフクロウに言われました。
「古い言い伝えだと、人間の願いを叶えるために天まで昇って自分が流れ星になったという鳥の話もあるが……考えるのも恐ろしいわい」
墓場鳥はお礼を伝えて、フクロウと別れました。
墓場鳥の心は決まっていました。
今まで、自分の居場所がなく、何のために歌うのか、何のために生きるのかすら分からないままでした。
あの女性に歌をほめられて、自分の歌声を好きになる事も出来て、自分の絵まで描いてもらいました。
墓場鳥には絵の事はよく分かりませんでしたが、彼女の絵にかける情熱はとてもよく分かっていました。
彼女が絵描きとして成功できるなら、彼女の作品の中で生き続けられるのなら、自分は何だってするつもりでした。
墓場鳥は、天に昇る前に、最後のあいさつをするために女性の部屋を訪れました。
女性は笑顔で墓場鳥をむかえてくれましたが、その顔は一層やつれていました。
コンクールに出す作品を作るのに、とても苦労している様子でした。
歌い終わった墓場鳥は、部屋の机の上に置かれていた自分のスケッチに目をやると、女性にあいさつをして飛び去りました。
女性は、今日の墓場鳥の歌が寂しげであった事は感じていましたが、その理由は分からずじまいでした。
夜空には星々が輝き、月が町じゅうを照らしています。
墓場鳥は、夜空のてっぺんに向かって飛び立ちました。
力いっぱい羽ばたいて、高く高く飛び上がります。
高さを増すほどに空気が冷たくなり、胸がつぶされそうになります。
翼の傷も痛みますが、気にとめません。
星々の高さまで、ただひたすら羽ばたき続けます。
羽ばたき続けるうちに、だんだん意識が遠くなっていきますが、それでも墓場鳥は羽ばたくのをやめませんでした。
気が付くと、墓場鳥は宙にうかんでいました。
はるか下に雲があり、自分が生きているのか死んでいるのかさえ分かりません。
辺りを見回すと、自分の方にぴかぴか光るものが三つほど近づいてくるのが分かりました。
「見てよ。生きた鳥だよ」
「こんな所まで飛んできたの?」
「君は一体何しに来たの?」
問いかけられた墓場鳥は、あなたたちがお星さまなのかと聞き返しました。
「そうだよ。ぼくたちはこれから地球に向かって落っこちて、流れ星になるんだ」
「流れ星になったらそのまま燃えつきちゃうんだけどね」
「最後くらいは、明るくお別れしたいよね?」
星たちは、口々にそう言い合います。
墓場鳥は、星たちに自分がここへ来た理由を伝えました。
絵描きを目指す女性の願いを叶えてほしいと話しました。
「悪いけど、それは出来ないよ。ぼくは、病気の息子を治してほしいという母親の願いを叶えるつもりでいるんだ」
「わたしは、うえ死にしそうになっている女の子を助けるのよ」
「ぼくは、戦争で殺されそうになっている子どたちを救うんだ」
何となく、こうなる事は分かっていました。
世の中にはあまりにも多くの叶えられていない願いがあり、それに対して流れ星の数は限られているからです。
墓場鳥は、自分もあなたたちと同じように流れ星になりたいんです、と答えました。
星たちは、それを了解してくれました。
「一気に飛び降りるよ。君が叶えてあげたい願いの事を考え続けるんだ」
「その事を考え続けていれば、痛みも恐れも感じないで済むわ」
「さあ、もうここにもとどまり続けられない。行くよ!」
墓場鳥は、星たちの後に続いて、一気に飛び立ちました。
さっきとは逆に、落下するごとに身体が熱くなるのを感じます。
気が付くと、自分の身体が強い光に包まれていました。
それでも目を見開き、ひたすら願いの事を考えます。
あの人が絵描きとして成功するように。
自分の事を覚えていてくれるように。
そんな事を考えながら落ち続けているうちに、墓場鳥は光に包まれて、消え失せてしまいました。
その日の夜、空に流れ星が現れました。
あの女性も流れ星を見つけましたが、そのうちの三つはお願いを言い終わる前に消えてしまいました。
窓を閉めようとしたその時、ひときわ強く輝く流れ星が現れました。
「絵描きとして成功したい! 絵描きとして成功したい! 絵描きとして成功したい!」
今度は願いを三回伝える事が出来ました。
願いを伝え終えると、流れ星は消えてしまいました。
女性は窓を閉めると、再びカンバスに向き合いました。
何としても、絵描きとして成功するために。
季節が変わったころ。
女性は失意のどん底にいました。
彼女の作品が入賞することはありませんでした。
自分が心血を注いて、全てをささげて描いた作品は、無価値だと評価されたのです。
もはや自分には何も残されていないように感じました。
あのナイチンゲールも、もうこの部屋を訪ねて来る事はありません。
流れ星にかけた願いも、叶えられませんでした。
ここ最近は、食事ものどを通りません。
何をするのもおっくうです。
もう自分は、このままこの部屋で死んでしまうのではないのだろうかとも考えてしまいます。
そんな時、机の上に置いてあったスケッチブックが床に落っこちました。
何となく開いてページをめくってみると、そこにはあのナイチンゲールが描かれていました。
この世のものとは思えないような美しい声で歌ったナイチンゲール。
あの日を境にぱったりと来なくなってしまいましたが、あの歌声は今も覚えています。
何度もこの部屋を訪ねて来て、まるで自分の描いた絵を喜んでくれているようにも見えました。
なぜだか分かりませんでしたが、ナイチンゲールの絵を見ていると、その絵が自分の事を見てくれているような気がしました。
彼女のほほを涙が伝います。
このナイチンゲールのためにも、小さな友のためにも、自分は描き続けなければいけない。
女性は、そんな気持ちになりました。
それから数年後。
ある展覧会に、多くの人が足を運んでいました。
そこに飾られている絵は、遅咲きの女性画家として注目されている人物が描いたものです。
様々な作品が飾られていますが、そのうちの一つに、ナイチンゲールを描いた連作がありました。
彼女の描いたナイチンゲールは、今にも歌い出しそうな躍動感にあふれており、その左の翼には傷がありました。