夏の終わり秋の始まり
朝の鍛錬を終えた俺は、ワトソンさんの所に手伝いに向かう途中、西の庭園でルークさんと話すオルハを見かけた。
相変わらず、人間関係の構築に勤しんでいる。
お嬢様も俺も、彼の真意は分からないままだ。
何故だか、特に俺は酷く嫌われている様だし……。
出来れば、綺麗事と言われ様と、職場の雰囲気は明るい方がいい。
何か俺に出来る事があるなら、言ってくれれば話しを聞く位は出来る……筈だ。
でも、オルハはそんな隙も与えぬ程、俺との距離を取っている。
最初にあれだけ突っかかってきていたのが嘘の様だ。
それから、ミラーダ商会のラントール支店がオープンした。
目玉商品はミントのリンスだ。
中青銀貨一枚と、小青銀貨五枚。
レモリやオランジの半額だ。
その為、お貴族だけでなく、平民が特別な日のプレゼントなどに買っていく。
王都よりも、人の出入りは激しい様だ。
これはラントールに住むのが、貴族より平民の方が多いからだろう。
ミラーダ祭の時に協力的で、ヨシュアさん達工房からOKの出た、工房が三つ加わった。
印刷工房と、美容工房と薬草工房だ。
ちなみに、美容工房は一番初めに俺をすげなく扱った美容工房だ。
俺が開発に関わってるのを知り、かなり情熱的にアプローチされた。
俺とヨシュアさん達の工房の付き合い方を見て、態度を改めてくれたらしい。
リンス作成もだが、ラントール支店の店舗運営もしてくれている。
今では気のいいおじさんだ。
こうしてなんとか夏の終わりのオープンにこぎつけられた。
そうか、もう夏も終わりか……。
後、最近の一番の驚きは、お嬢様が婚約者候補から外れた事だ。
一体どうなってるんだ?
シナリオと違いすぎる。
お嬢様は、あら、知らなかったんですの?
なんて一言だけで、気にもしていない。
俺だけ知らされていなかった様で、オルハが勝ち誇った様な顔をしていた。
シナリオ通りならお嬢様は古い言い方だが、クリストファー殿下にゾッコンだった筈だ。
お嬢様の魔力の強さも覚えがないし、婚約者からも外される。
シナリオが機能していない?
いや、むしろ本当にシナリオなんてものは、この世界に存在していないのではないか?
これからお嬢様がクリストファー殿下に恋する事も、婚約者としてまた選ばれる事も、無い訳ではない。
俺は、お嬢様が魔術学園に入った時の状態しか知らないのだ。
でも、何か違和感を感じる。
最近感じるこの違和感は……一体……。
「……オン!リオン!もう!聞いていますの?!」
「わっ!」
気が付くと、お嬢様が俺の顔の前で手を振っていた。
全く気付かないのは、鍛錬している身としては致命的だ。
俺はガックリ肩を落としてお嬢様に向き合った。
「申し訳ございません、少し考え事をしていて……」
「目を開けて寝ているのかと思いましたわ!……ちょっと、こちらにいらして」
お嬢様は、俺の手を取って廊下の突き当たりまでズンズンと進んでいく。
廊下の突き当たりに着くと、掴んでいた手を離して振り向いた。
首には俺のあげたチョーカーがついている。
約束通り、エメラダ先生はすぐに作って来てくれた。
黒いチョーカー部分には同じ黒で刺繍が入っており、金の金具部分にはよく見ると交互に銀の金具になっている。
元のデザインを崩さない様、エメラダ先生が気を使ってくれたのが分かる。
お嬢様の限界値はまだ分からないが、かなり余裕を持って結界を張る様設定したらしい。
俺はチョーカーからお嬢様の目に視線を合わせる。
困った様な不安な様な……そんな表情だろうか。
「というかお嬢様、オルハはどうしたのです」
「巻いてきましたの」
「……………」
俺は頭を抱えたくなったが、お嬢様がオルハを巻いてまで話したい事も気になる。
とりあえず話しを聞く事にした。
「先程オルハに夕食後、皆には内緒で大事な話しがあるから、誰にも見られない様、西の庭園に来てくれないかと言われましたの」
「ええ?!」
どう考えても怪しいだろう。
お嬢様を余り良く思っていなそうなのに、大事な話しをするのもおかしいし、誰にも見られない様とは怪し過ぎる。
お嬢様もそれが分かっているから、こうして不安な表情をしているのだろう。
「それで、お嬢様はまさか分かりました。なんて、言っていませんよね?」
「うう…っ」
俺は盛大にため息をついた。
俺の表情を見て、お嬢様は更に眉を下げたが、俺は逆に眉を吊り上げた。
「お嬢様は甘過ぎます。もし何かオルハが企んでいたらどうするのです」
俺はジュダスさんばりの笑顔を貼り付けて毒を吐いた。
お嬢様は益々眉を下げて、弱々しく口を開いた。
「で、ですから……こうしてちゃんと相談に来ているではありませんか。……それにオルハから本心を聞き出すチャンスですわ」
「……ですが……」
確かに、お嬢様の言葉は一理ある。
オルハは俺とお嬢様に心を許していない。
……いや、俺達というより、誰にも心を許していない様に見える。
オルハが俺に言った、女子供から味方にして…というのは、本音だろう。
それは、彼がここでやっていきやすくする為だけで、回りと仲良くしようという思惑ではないのだ。
本当に金だけの為にお嬢様に仕えているのか、俺達はオルハの事を何も知らない。
「だから、リオンがついてきて下さいませ」
こうなったお嬢様はなかなか手強い。
俺を見つめる瞳の決意は固そうだ。
俺は諦めて頷く事しか出来そうもない。
「はぁ……分かりました……ただし、もし何かあったら魔力で結界を張って下さい。それが出来ないのなら、旦那様にお話しします」
「リオンったら、考え過ぎではなくて?」
「お嬢様。何かあった時の事を考えるは当然の事です。対策は考えるだけ考えて損は有りません。何もなければそれはそれでいいのですから」
「リオンの心配性は筋金入りですのね」
お嬢様は余り危機感の無い様子で口を尖らせた。
俺はいつもの様にグニグニしながら考える。
さて。そうと決まればやるべき事は、時間までオルハに悟られず、時間になったらオルハにバレない様お嬢様を見守る事だ。
流石にオルハも馬鹿ではない。
変な行動を起こしたりはしないだろう。
こうして俺達は、いつも通り過ごしながら夕食後を待つ事になった。
俺は従者ではないので、勉強の時間以外は一緒ではない。
今はオルハが付きっきりだというのもある。
オルハは魔術の授業以外では、お嬢様に付いている事が多い。
でも……オルハからお嬢様へどんな大事な話しがあるんだろうか……。
全く想像がつかないまま、時刻は約束の時間になった。
ダイニングの中を、屋敷の外から窓越しに覗き見る。
これは、見つかったら俺の方が怪しいな……。
見つかった時の言い訳を考えていると、お嬢様が食べ終わった様で席を立った。
俺は西の庭園に続く扉の近くに移動した。
しかし、いくら待ってもお嬢様が出てこない。
通る道を間違えた?
いや、西の庭園に続く扉はここだけだ。
他の場所から大回りしてきても、ここからなら絶対に見つけられる。
……まさか……嘘……?
俺は懐中時計を取り出す。
お嬢様が夕食を終えて、もう二十分は経っている。
幾らなんでもおかしい。
俺はその場から立ち上がって、ダイニングに飛び込んだ。
ダイニングでは、片付けをしてる最中で、ワトソンさんがテーブルを拭いていた。
「ワトソンさん!お嬢様を知りませんか?」
俺の剣幕に押され、ワトソンさんは大きく目を見開くとすぐに首を振った。
「いいえ、お嬢様はいつも通りお食事の後お部屋に戻った筈ですが…」
俺は最後まで聞き終わらない内にダイニングも飛び出す。
リオン!と、俺の名前を呼ぶワトソンさんの声が後ろから聞こえる。
間違いなら、後から謝ればいい。
今はお嬢様を探す事が最優先だ。
屋敷の中では人目がつく筈だ。
もしオルハが誰にも見られたく無いなら、屋外を選ぶだろう。
西の庭園にいないのなら、東の離れは仕事を終えた使用人とかち合う事もあるから無い筈だ。
そうなると、北の玄関か南の裏門……。
今日は週末……北の玄関は人通りもまだ多い……。
俺は南の裏門に向かって走り出した。
西の庭園へ続く道から南の裏門を目指す。
秋の始まりを告げる秋虫が鳴いている。
辺りは薄らと日が陰ってきて、夜の帳が降りようとしていた。
考えている時間は無い。
俺は花壇を突っ切り柵を飛び越えてショートカットする。
南の裏門には鍵がかかっていた筈だ。
鍵が無ければ門は高すぎて、とてもではないが登ったりは出来ない。
扉が遠くに見えてきた。
裏門についている、小さなランプに照らされて人影が見えてきた。
お嬢様だ!
俺はホッと胸を撫で下ろすが、速度は落とさず走り続ける。
お嬢様とオルハが話しているのが見えて、俺はスピードを落とすと、忍足で近付いた。
「ですから、それは勘違いですわ!わたくしもお父様も、そんな事は言っていませんわ!」
「そんな筈はありません!私はそう聞いたのです!」
「そんな事誰に聞きましたの?!」
「それはカーミラ様には関係ないではありませんか!」
まずい、二人とも白熱し過ぎている。
仲裁に入ろうと一歩踏み出した所で状況が変わった。
「……話して頂けるとは思っていません。俺は、確認するだけでいい。そう言われているのですから」
そう言うと、オルハはこちらを振り返った。
そして、いるであろう俺に問い掛ける。
「リオン、いるんだろ?出てこいよ」
俺は直ぐに姿を見せた。
こんなに興奮している状態で、いつまでもお嬢様の方に意識が向いているのはいけない。
俺を見つけて、オルハは嬉しそうに笑った。
「やっぱり覗き見してたのか。相変わらず悪趣味だな」
「こんな所で何をしているのです」
「お前には関係ない」
そう言って、オルハはお嬢様の腕を掴んだ。
「きゃあ!」
「その手を離せ!」
俺が走り出そうとすると、オルハはお嬢様を掴んだ腕とは反対の腕を俺に向ける。
止まれと言いたいのだろう。
俺はオルハから目を逸らさずにその場に立ち止まった。
「お嬢様を離せ」
「いいぜ、その代わり……お前にはこれを飲んでもらう」
オルハは自分のポケットから、液体の入った小瓶を取り出した。
色は深い青の様な黒の様な。
出来るなら飲みたくない色だ……。
「それは……?」
「これは、本当の事を話す薬だそうだ。お前には聞きたい事があるからな」
「リオン!飲んではいけません!」
お嬢様の叫びに、オルハは正気を失った様な笑みを浮かべた。
「やっぱり、さっき言った事は嘘だったのか!」
「嘘はついておりません!そんな怪しい薬を飲ませるなど、黙って見ている訳ないではありませんか!」
「お嬢様」
俺の声に、二人は同時にこちらを見た。
とにかくお嬢様に意識がいくのは困る。
俺は右手を差し出して、小瓶を強請った。
「何の話しかは分かりませんが、俺達は嘘などついていません。それをこれで証明出来るのなら、俺はそれで構いません」
お嬢様がそんな事がないと言っているのだ。
疑う頭はこれっぽっちもない。
この薬でそれが証明出来るなら、願ってもないではないか。
「しかし……」
「大丈夫ですよ。……オルハ、薬をくれ。それからお嬢様を離せ」
オルハはお嬢様の腕を離すと、とても嬉しそうにこちらへ近付いてきた。
お嬢様はどうしていいのかオロオロとしている。
大丈夫だと俺は大きく頷いて、オルハの差し出した小瓶を見つめた。
受け取ろうとすると、小瓶をもう一度自分の手元に戻す。
「飲んだフリなんかしたら、どうなるか分かってるだろうな」
まるで悪党のセリフだ。
俺はため息を吐きながら答えた。
「そんな事して何になるんです。早くお嬢様を屋敷で休ませたいので、早く渡して下さい」
「……ちっ」
オルハは今度こそ手の中の小瓶を手渡した。
コルクの蓋を開けると、ツンと嫌な香りが鼻を掠める。
「ほ、本当に危ない薬ではないのですね?!」
お嬢様が後ろで震えながらオルハに問いかけた。
オルハは、俺から視線を逸らさないまま答える。
「ええ。これは真実を語る薬です。俺の質問に…真実を答えて貰う為の」
俺は、一度お嬢様の方を見て微笑んだ。
こんな事で不安が取り払えたりはしないだろうが、安心して欲しいと。
そう思っている事が伝わればよいと。
そして、俺は小瓶の中身を飲み干した。
ラナス
三歳の雌馬
焦茶
164センチ
436キロ