お嬢様が攫われた
お嬢様が攫われた。
その言葉通りだ。
その日、お嬢様はいつもの様に庭で散歩をしていた。
ファリスさんとレナが一緒だったらしい。
それは、一瞬の事だった。
俺も知らなかったが、屋敷の建物自体には結界を張っているらしい。
貴族の家はどこもそうしているという話だ。
しかし、結界は庭や俺達使用人の離れは含まれていない。
そこを狙われたのだ。
犯人は、お嬢様だけを狙って何か薬を含ませた布を嗅がせ自由を奪い、皮袋に詰めるとそのまま連れ去った。
ファリスさんとレナの悲鳴が庭に響き渡り、駆けつけた屋敷の護衛は、すぐに魔力の狼煙ロトンを打ち上げたそうだ。
丁度その時、旦那様の使いから戻ってきたノヴァクさんとサイネルさんがロトンを見つけて
駆けつけた。
ノヴァクさんはすぐに魔力感知で逃げた道筋を照らし、サイネルさんと二人でその後を追った。
犯人は三人。全員馬で移動していた。
浮遊で追いかけたノヴァクさんと、身体強化の魔術を使ったサイネルさんの速さは馬をあっという間に追い詰めたそうだ。
しかし、そのまま捕縛しようとした所、捕まると思った犯人は、お嬢様を入れた皮袋を放り投げた。
馬の走る馬上から、逃げる馬の速度。
二人は血の気が引くのを感じた。
すぐにノヴァクさんの風魔術でお嬢様を包み込み、サイネルさんがそれを抱き止めた。
すぐに馬を追い詰めようとしたところ、馬上には誰もいなく、ただ馬が行き場をなくして速度を落とした所だったそうだ。
恐らく転移の魔術具を使ったのではないかと、ノヴァクさんが魔力の残滓から読み取ったらしい。
なんとムキムキマッチョなノヴァクさんは、優秀な魔術の使い手で、サイネルさんが体術を得意としているらしい。
見た目の真逆である。
話を戻そう。
そして、二人は皮袋の中で気絶したお嬢様を発見し、屋敷に戻ったそうだ。
ここで、一つ疑問がある。
転移の魔術具があるのなら、すぐに使ってしまえば良かったのではないだろうか?
そうすれば、何の問題もなくお嬢様は連れ去られていただろう。
俺の疑問に、ノヴァクさんが答えてくれた。
自分以外の人物を転移させる魔術具は、転移の魔術具の中でもかなり高額らしい。
なんせ連れ去られたお嬢様が転移する為、魔力を使うわけではない。
自分以外と自分を転移する魔力もなくてはならないし、転移させる、この場合のお嬢様が、魔力を自分より多く持っていてもなかなか上手くいかないらしい。
それでも、自分を転移させる魔術具を全員が持っていて、なおかつ手際よく侵入して、お嬢様を連れ去った。
犯人は、貴族の誰かであろうと予測が立てられた。
戻ったお嬢様は、気丈に振る舞ってはいたが、顔面は蒼白。
小刻みに震えているのが、見ていて痛々しかった。
急いで戻ってきた旦那様夫妻に抱きしめられ、少し落ち着いた様だが、余程恐ろしかったのだろう。
今は奥様が付き添っている様だ。
旦那様は、ノヴァクさんとサイネルさんから事情を聞く為、ジュダスさんと書斎に籠られた。
誘拐未遂があり今日の勉強はなくなった。
メイベル先生が、心配そうな顔のまま帰って行った。
俺は、この間のお嬢様の誕生日から考えていた事を決意した。
自分に与えられ仕事を急いで終わらせ、書斎の前で待つ。
30分程待つと、中からノヴァクさんとサイネルさんが出てきた。
俺を見て驚いた顔の後、ポンとノヴァクさんは俺の頭に手を乗せて微笑んだ。
俺は、二人に挨拶をして扉をノックした。
「旦那様、リオンです。お話しがございます」
少し待つと、旦那様の声ではなく扉が開き、ジュダスさんが顔を出した。
ジュダスさんは無表情のまま入るよう促すと、旦那様の後ろに控える。
「お忙しい中、お時間ありがとうございます」
俺はいつもの様に挨拶をして、疲れた顔を見せた旦那様を見つめた。
「今日は、旦那様にお願いがあって参りました」
「……言ってみなさい」
俺は深く深呼吸して、己の願いを口に出す。
「どうか、俺をお嬢様の従者にして下さい」
俺の言葉に息を呑んだのは、旦那様ではなくジュダスさんだった。
そのまま、捲し立てる様にジュダスさんは口を開く。
「リオン。いくら君でも考えれば分かるでしょう。本来従者は貴族がなるものです。いくら優秀とはいえ、君がカーミラ様の従者になる事は並大抵の事ではありません」
「百も承知です」
俺は、頭を下げて確固たる意志を示す。
俺の頑なな態度を見た旦那様は、息を吐くと俺に問い掛けた。
「なぜ突然そう思った?今日の事が原因か?」
「……はい」
「自惚れるな。まだ子供のお前が従者として付いていたからといって、カーミラが攫われなかったとでもいうのか?」
全くもってその通りだ。
きっと、俺がついていたってお嬢様は攫われてしまっただろう。
……けれど、だからと言って、やる前に諦めるなんて、俺はご免だ。
手がある内は、その全てを試す。
諦めるのは全てやった後でも出来る。
全力も出さずに諦めていたら、今後もまた同じ様に後悔するだろう。
俺は、旦那様の言葉を受け止め、否定も肯定もしなかった。
頭を下げたままでいると、旦那様が先程と同じ様に深く息を吐いた。
「……リオン。お前にチャンスを与えよう」
俺は、勢いよく頭を上げた。
旦那様は厳しい視線のまま、話しを続けた。
「一つはサイネルの指導だ。彼について学び、彼から合否を得なさい」
俺は黙って旦那様の話しの続きを聞く。
一つという事は、まだ課題があると言う事だ。
「そして、もう一つ。商会以外で何か功績を残しなさい。それが出来たら考えよう」
「……ありがとうございます!」
「……機会を与えただけだ。どうなるかはお前次第だ。……後もう一つ」
俺は気を引き締め治して旦那様に向き直る。
「カーミラには一人従者をつける事にした。カーミラに関する事は、今後はまず彼に了承を取ってから行動する様に」
……遂にお嬢様にも従者がついてしまったか……。
今までついていない事の方がおかしかったのだ。
お嬢様の我儘で今まで全員首になっていたが、もうそんな事も起こらないだろう。
登録も済み、いつかそうなるだろうとは思ったが、流石動きが早い。
「畏まりました。指示に従います」
「授業はこれまで通り受けなさい」
「あ!それでしたら、魔術の授業にも出る許可を頂けますか?!」
俺の言葉に、旦那様は不思議そうに首を傾げた。
ジュダスさんも、何を言い出すんだろうという無表情をしている。
「お前はまだ登録が済んでいない。出ても得られる物はないだろう。魔術の勉強はその者の資質や属性によって、大きく異なる。お前とカーミラが同じ稽古を受ける事はないだろう」
「それでも構いません」
旦那様とジュダスさんは顔を見合わせた。
二人の気持ちは分かるが、俺は何としてもお嬢様との魔術の勉強に出たいのだ。
俺だけでもダメだし、お嬢様が勉強している場にいたいのだ。
「……そこまで言うならいいだろう」
「ありがとうございます!」
今日一番の収穫だ。
俺は心の中でガッツポーズして飛び跳ねた。
「ライナス様、期限はどの様になさるつもりですか?」
「冬の建国祭までだ。それまでになんとかしてみなさい」
今は夏。九月の半ば。
冬の建国祭は一月の半ばだ。
……あと四ヶ月位しかない。
でも、本来俺の身分ならその場で断られてもおかしくない話しだ。
チャンスが与えられただけでも、とても幸運だし、旦那様が力ある者なら、身分関係なく引き立ててくれる方だからこそ、こうして挑めるのだ。
「冬の建国祭までに、サイネルさんからの合格を頂き、商会以外での功績を立てます」
「よろしい。頑張りなさい」
俺はもう一度深く頭を下げて部屋を後にした。
あと四ヶ月。
まずはサイネルさんに弟子入りだ。
俺はぎゅっと自分の小さな拳を握りしめて、真っ直ぐ前を向いた。
「全く……ライナス様も人が悪いですね」
「何の事だ……」
ジュダスはいつもの紅茶を入れると、音も立てずにライナスの前に置いた。
ライナスは素知らぬ顔でカップを手に取ると口へと運ぶ。
湯気の向こうでジュダスの困った様な笑い顔を見つけて、ライナスは少しの居心地の悪さを感じた。
「とっくに認めているくせに、こうして無理難題を吹っかけて……」
「それはお前だろう……」
静かにカップを置いたライナスの横顔を見ていたジュダスが、先程出て行った扉の方に目を向けた。
「あの子は不思議な子供です。恐ろしい程よく回る頭と、広く公平に物事を見る目を持っています。どこであの様な知識を培ったものなのか……」
「……加護持ちだと思うか?」
ライナスの問いかけに、ジュダスは一瞬思案する。
確かにあの子供の知識は、加護からくるものではないかと、自分も考えた事があったからだ。
「……どうでしょう。魔導図書庫では、本の位置すら分かりませんでしたし……魔力と加護は必ずしも一致する訳ではありませんが……」
「十になれば分かる事だ……先は長いが……」
「それにしても、カーミラ様に従者をおつけになるので?」
「ああ、先程リオンの申し出を聞いて決めた」
ジュダスは呆れた様にライナスを見ると、ため息を吐いて愚痴をこぼす。
「やはりライナス様の方が余程人が悪いではありませんか」
「これで潰れる様ならそれまでだ。私はカーミラの所へ行く。お前はどうするんだ?」
「……今日の襲撃の相手を調べに行きます」
先程とは全く違う雰囲気を纏った男は、端正な顔と相まって鋭い氷の様な印象を持った。
「明日の朝までには戻りなさい」
「畏まりました」
ジュダスはそう短く返事をすると、そっと暗闇に溶けて行った。
しばらく溶けた闇を見つめていたライナスは、短く息を吐くと愛娘に会う為部屋を出て行った。
イースレイ
十歳だ。
王立騎士団第一師団総長が俺の父上である。
下に弟が二人、妹が一人いる。
炎と風の属性を持っている。