魔導図書庫
こうして俺とジュダスさんは、当初の予定がかなり狂ったが図書庫にやってきた。
図書庫に入って最初に思った事は、全く想像と違った事だ。
一人では開く事の出来なそうな扉をくぐると、まず目に入ったのは本棚だ。
その本棚のある場所と言えば良いのか。
本棚は床にはない。斜めに空中に浮いていた。
左右の浮かぶ本棚は、三角屋根の様にアーチを造る。
まるで、本棚のアーチの様だ。
その本棚のアーチが、通路の様に列ごとに奥へと向かっている。
床にあるのは座り心地の良さそうなソファとテーブルだけだ。
ソファが断続的に置かれ、ソファの前には小さなテーブルが置かれている。
斜めに空中に浮かぶ本棚は、俺の身長だと見上げすぎて少し首が痛い。
ジュダスさんは丁度良さそうだ。
それにしても、空中に斜めにも関わらず、中の本は落ちてこない。不思議だ。
ジュダスさんは迷う事なく、島ごとに分かれる一本の本棚のアーチを奥へと進んでいく。
俺は慌てて後を追った。
「この辺りの本ですね」
「ある場所が分かるなんて、よく来るんですか?」
俺の質問に、一瞬キョトンとしたが、すぐ思い当たったのか一人で納得している。
「そうでした、まだ君は子供でしたね」
「あの?話が見えないのですが……」
ジュダスさんが本棚の本を見つめ軽く手を上げると、本棚の本はスルリと一冊だけ傾くと、ゆっくりジュダスさんの手に落ちてきて収まる。
「ここは魔道図書庫なので、頭に思い浮かべた探したい本は光りますし、取りたい本を決めればこうして手元にやってきます」
凄いシステムだ。
正に魔道図書庫。
しかし、俺もナナクーンの本の事を考えているが、ジュダスさんの見ている本棚は光ってはいない。
近くに寄って本の背表紙を見ると、確かにナナクーンの書物の様だ。
一冊取ろうと手を伸ばすが、本が落ちてくる気配もない。
「ジュダスさん……本が取れませんが……」
「教会未登録だからでしょう……光っているのは分かりますか?」
俺が首を振ると、まるで可哀想な物を見る様な哀れみの視線を向けられた。
「教会登録しても、君は魔術の才能は無さそうですね」
「ま、まだ分からないじゃないですか!」
こんな事で、魔術の適性ゼロだと突きつけられるのはたまらない。
まだ俺は夢を見ていたいのだ。
俺は、ジュダスさんが手渡してくれた本を開きながら膨れて見せた。
ジュダスさんはまだ俺に哀れみの視線を向けている。
俺は、その視線に気付かないフリをして本に視線をズラした。
手渡されたナナクーンの書物は、文化について記されたものだった。
パラパラと巡りながら、何か良い情報がないか読み進める。
ジュダスさんの渡してくれた本には、俺が知りたかった情報が載っていた。
ナナクーンの民族衣装や、式典などで着る正装も絵で残されていた。
俺は持っていたメモ帳に写していく。
主食はグラングリフと同じくパンで、魚は余り食べない様だ。
伝統料理は羊の肉のパイらしい。
バーバラさんに作ってもらえるか聞いてみよう。
四方を他国に囲まれたナナクーンは、小国ながら珍しい鉱山をいくつか所有している。
特殊な精鉱や製錬技術を有している為に、他国とは取り引きを上手くしながら同盟を結んでいる。
大国であるグラングリフには、ライラシア様が嫁いでこられて、益々同盟は強固な物になったそうだ。
一通り読み終わった。次の本に目を通すか。
後は気候や特産物なんかが知れるといいんだが……。
「ジュダスさん、後、地図が載っている物が見たいんですが……」
俺がナナクーンの文化書から目を離さないまま話しかけると、返事が返ってこない。
不思議に思って振り返るとジュダスさんがいない。
さっき俺についていないとと言っていたのは、ジュダスさんではなかったろうか。
俺は本棚に手を伸ばすも、勿論本は降りてこない。
ソファを見つめるも、乗っても届きそうにない身長を呪い、仕方なくジュダスさんを探しにいく事にした。
本棚のアーチの隙間から光が差し込み、図書庫は暗いイメージはない。
全くどういう仕組みなのか検討もつかない。
また来た道を戻るが、ジュダスさんは見つからなかった。
旦那様に呼ばれたのかな?
俺はそう思って元の場所に戻ることにした。
また何処かに行ってすれ違ったら、今度こそ大目玉どころでは済まされないだろう。
俺は一人頷き、キョロキョロとしながら来た道を戻ろうとする。
すると、奥の方から声が聞こえた。
違う列の奥からの様だ。
俺は辺りを見渡して、声のする方に耳を澄ませる。
こっちだろうか?
声がするのは先程いた所よりもっと奥の様だ。
途中何度か曲がりながら奥へと進む。
「……う………も………」
「………は……………ね」
声が近くなる。
やはり一人はジュダスさんの声だ。
もう一人の声は聞いた事がない。
近付くにつれて、その声がただおしゃべりをしているのではない事に気付く。
言い争っている様に聞こえる。
知らず俺は息を潜めて、ゆっくりと声の方へと近付く。
「だ……!……はあ……の勘……です!」
「しかし…オレガ……隊長と、何…、あっ…、…は、間違…、ない…、…でしょう?」
「それは……」
オレガノン隊長?
ジュダスさんは、珍しく相手に責め立てられている様な様子だ。
もっと近くで話を聞こうと、足音を殺して近付く。
「何か、隠している、事が、ある…、のでは、…ないか?」
「……貴方に話す事は何も有りません」
話し方が一つ一つ確かめる様で特徴的だ。
しかし、一つ一つの声が何故か耳障りな印象を受ける。
聞く者を酷く不安にさせる声だ。
本棚の影から二人を覗こうと息を殺す。
そっと声を方を覗き見しようと……。
ポン。
肩を叩かれ弾かれる様に振り返る。
「おや、ここで、何を、して、いるん、…ですか?」
声はジュダスさんに詰め寄っている者と、全く同じ声だった。
そんな馬鹿な。
確かにあちらから声が聞こえた筈だ。
俺は、ジュダスさんともう一人の声がしていた方を正面から覗き込む。
すると、やはりそこに声の主はいた。
「双子……?」
視界に映る男性は、何か事故に遭ったのだろうか。
ジュダスさんと話す男性も、俺の肩を叩いた男性も、二人とも目の周囲が酷く歪んでいた。
引き攣った肉が目を大きく見開かせている。
一人は右目を、俺の目の前にいる一人は左目の周辺の肉を引き攣らせている。
……しかし、事故で全く同じ様になるものだろうか?
双子だし遺伝だろうか。
俺は二人からジュダスさんの方に視線をずらした。
二人の間に立つ俺を見たジュダスさんの顔色が変わるのを見て、俺は自分が不味い状況に陥っている事を悟った。
「……迎えが来た様ですので、これで失礼させて頂きます」
ジュダスさんがサッと俺の傍に寄ると、背中に手を添えここを離れようとした。
俺は無言で頷き指示に従おうとする。
『おや、そちらの、子供は…あなた、名前を、何と、言う、…のです?』
目の引き攣った双子は、一言一句間違えずに同じ台詞を吐いた。
ジュダスさんが二人に聞こえない様、小さく舌打ちする。
聞かれたという事は、身分上俺は答えなくてはならない。
ジュダスさんは鋭い視線のまま俺を見下ろすと、諦めた様に頷いた。
俺は振り返り、双子を正面から捉える。
深い海の底を不安で混ぜた様な、黒みがかった青の髪がアーチの隙間から漏れる光に照らされ、全てを飲み込む水面の様に揺れる。
血走った黒い瞳は俺を見ている筈なのに、俺を見ていない様にも見える。
俺の名前を知らない所を見ると、オレガノン隊長は答えなかったという事だろうか?
俺は一歩前に出て口を開く。
「……初めまして、シュトラーダ公爵家に仕えております。使用人のリオンと申します」
俺は左手を胸に当て、右手を背中に回し挨拶をした。
「さぁ、ライナス公爵がお待ちです。行きましょう」
それを見てジュダスさんは、視線から庇う様に前に立つと、今度こそ急ぎ足で逃げる様にその場を立ち去った。
俺は短い足を懸命に動かし後を追う。
『リオン…、また、あい、ま、…しょう』
振り返ると、二人は固く手を繋ぎ合い、先程の様に一言一句間違えずそう言った。
図書庫を出てもジュダスさんの足は止まらない。
もう俺は急ぎ足では間に合わず、駆け足でその後を追っていた。
「ジュダスさん!……ジュダスさん!待って下さい!」
俺の声にやっと気が付いた様で、ジュダスさんはやっとその足を止めた。
俺を見下ろし、酷く恐ろしい物を見たかの様に目線を彷徨わせる。
そして、ゆっくり視線を戻した時には、もう怯えの色はない。
静かに俺の目線に合わせる様しゃがみ込むと、俺の両肩を持ってこう言った。
「リオン…今見た物は全て忘れなさい。あなたは図書庫で誰にも会わなかった」
「ジュダスさん……?」
「……守れますか?」
理由は聞いても教えてくれないだろう。
教えてくれるなら始めに話す筈だ。
俺は暫くその瞳を見つめていたが、ゆっくり頷いた。
「……分かりました……ジュダスさんは無駄な事はしません。何か理由があるんですね」
「……今は、その賢さも物分かりの良さも、助かりますね……」
そう言って立ち上がったジュダスさんは、人通りの多い城門の近くまで歩みを緩めなかった。
「私は至急用事が出来ました。君は馬車に乗り、もう帰りなさい」
「帰りにJさんの工房に寄ってもいいですか?デザインを渡したいんですが」
「……仕方ありません。渡したら速やかに帰るのですよ」
「分かりました」
ジュダスさんは一度だけ俺を振り返ると、もう振り返らずに城の奥に戻って行った。
あの二人は一体……。
俺は忘れろと言われたのだし、慌てて頭を振った。
あの双子の事を思い出すと、酷く不安な気持ちになる。
俺は馬車に乗り、Jの工房を目指す事にした。
今は彼の様に、明るい気持ちにさせてくれる人に会いたい。
俺は、馬車の窓から遠ざかる城を見て、不安も遠ざかっていく様な気がしていた。
ファリス
趣味 最近はお嬢様とリメイクする事でしょうか。
困っている事 お嬢様がおやつをおかわりしようとする時ですね…。
嬉しかった事 お嬢様が優しくなられたことでしょうか。
最近の悩み リオンが一番お嬢様をやる気にさせられる事ですね。私も負けてはいられません。