ミラーダ商会の評判
「もうお行きになりました?」
「まあ!勿論ですわ!」
向かいのテーブルでは、貴婦人が四人でお茶を飲んでいる。
こういった初夏のテラス席では、貴族の女性はお茶の間でも帽子を被っている事が殆どだ。
しかし、今日テラス席でお茶を飲んでいる女性達は、皆帽子を被ってはいない。
そのかわり、周りの女性に比べて、遥かに艶のある髪を結い上げずに下ろしている。
時折髪を後ろに流したり、耳にかけたりする仕草が目立つ。
「ミラーダ商会でしょう?わたくし、開店初日に行きましたの。入るのに一時間も並びましたわ!見て下さい、この艶……」
「わたくしは昨日初めて参りましたわ。旦那様にどうしてもとお願いして、二階の個室で対応して貰いましたわ!」
「まあ羨ましい……本当は薔薇のリンスが欲しかったのですけど、もう売り切れてしまってましたわ……」
一人の女性が、とても残念そうな顔でため息をこぼした。
それを見た正面の女性は、同じ様に残念な顔をして同意する。
「なんでも数量限定で、次に入荷するのは一か月先だとか……手に入れられた方は羨ましい限りですわ……」
右隣に座っていた、初日に行ったという女性は、猫の様な目を三日月に細めると、扇を取り出してコロコロと笑った。
「わたくしも、あと数本……というところでしたの。手に入ったのは幸運でしたわ」
隣に座っていた女性は、猫の様に笑う女性の髪に近付くと、うっとりと目を閉じる。
「ほんと……何で素敵な香りなんでしょう……それにこの指通り……」
「あら、あなたのローズマリーの香りも素敵だわ……あとは、わたしく、ポプリも買いましたの」
それまで黙っていた左の女性が分厚い唇をニッコリとさせ、大きく身を乗り出した。
「わたくしも買いましたわ!」
「わたくしもです。沢山種類があって迷いましたわ……」
悩まし気な狐に似た女性は頬に手を当て、優雅に目を閉じる。
「瓶に色々なポプリが入っていて、綺麗なリボンがついてるんですの。わたくし、机の上に置いて眺めておりますの。見てるだけで癒されますわ」
「わたくしはお風呂に浮かべて花風呂として使っておりますわ!」
「わたくしも今度買おうかしら」
きゃっきゃとおしゃべりに花を咲かせる女性達の話を盗み聞きし、テーブルに小銭を置いて、中のおじさんに手を振る。
店主のおじさんは、手を上げるとテーブルに小銭を取りに来た。
俺はご馳走様です。と声をかけ席を立った。
おじさんは感じ良く、またおいで、と返すと店の中に戻って行った。
ミラーダ商会がオープンして一ヶ月がたった。
元々、王子の家庭教師であるお嬢様の母君、奥様の髪の艶は話題になっていた様で、商会がオープンする話が広がると、オープン前にも関わらず、店にはいつオープンするのかと聞きに来る貴族が列を作った。
その列をなす貴族を見て、また人が集まるという、好循環だ。
余りに人が押し寄せるもので、予定より少し早く開店する事にした。
予定より早く開店する事になって、大急ぎで商品を作ってくれた工房の皆、更には研修をしてくれたトレヴァさん、研修を大急ぎで終わらせた従業員さん。
沢山の人には感謝しかない。
トレヴァさんには、研修初日に挨拶にいった。
ワトソンさんに笑った顔が似た紳士だった。
でも、研修は割とハードなスパルタで、ワトソンさんよりジュダスさんに似ていると思った。
売り出している商品は、薔薇が数量限定。
それに、ローズマリーとレモリのオランジの四種類だ。
ミントはラントールの支店が出来て、そちらで売り出そうと考えている。
商会の評判は上々。
噂を聞かない日はない。
こうしてたまに街で情報収集もしているが、今の所悪い話を聞かず、胸を撫で下ろしている。
店の噂が広まったのは勿論、窓の宣伝効果はかなり高い。
店の前を通り過ぎた女性の、80パーセントは立ち止まって出窓に並ぶ商品を目にして止まる。
出窓にはベルベットの布の上に商品とポプリが並んでいて、魔具の照明で上から光を当てている。
ヨシュアさん作の陶器が光を反射して、一枚の絵画の様になっていた。
これは、お嬢様が考えたセットだ。
頼んだ所、それはそれは喜んで手伝ってくれた。
ファリスさんとレナと相談して、実際の設置にはファリスさんが出向いてくれた。
今では、女性だけではなく男性のお客様も増えたらしい。
身だしなみで差がつくのは、前世だけではない。
この世界でも同じだ。
誰だって美しい方がいい。
俺はというと、二週間に一回は問題がないかヨシュアさんの工房を訪れる。
その時疑問や質問など報告がある場合は、アルルゥさんやエルさんの工房にも足を運ぶ。
アルルゥさんの工房は10人程の中規模の工房だ。
細工師なので、普段は装飾品の細工を手掛けている。
こんなデザインにしてくれと頼まれる場合もあるし、自らデザインした装飾品を売りに出す事もある。
かなり凝った細かい細工な為、一つ作るのに時間はかかるが高額で売れるらしい。
エルさんの工房は20人以上の従業員がいる。
話しに聞いていた通り、魔具を作るのはエルさんだけで、他の人は主に自分の好きな物を作っている。
かなり変則的で変わった工房だ。
そう出来るのも、エルさんの実家が名のある侯爵家で、次男のエルさんは後を継げない代わりに、好きにさせて貰っているらしい。
そういった後目を継がない貴族の次男や三男なんかが多く働いている。
そのおかげか、貴族への人脈が広く、商売に活かされている。
セントお婆さんのお店も順調だ。
特にかき氷がかなり売れている。
クラッシュアイスと名付けた。
街行く若い子は、クラッシュアイス片手にプラプラしているのをよく見る。
余りに繁盛しているので、二人従業員を雇ったらしい。
二人共、若い男の子だった。
店で販売している、果実ゴロゴロジャムも売れ行き好調だ。
家にミルクがあれば、ジャムを入れていつでもフルーツミルクになる。
子供がいる家のオヤツ用に、家族連れがよく買いに来る。
それ以外の時間は自分の時間だ。
……といっても、お嬢様との勉強に、これから売り出したい商品の開発やアイデアをまとめたり、筋トレをしたり、旦那様の書斎に入る許可も貰い、暇さえあれば本を読んでいる。
どうして転生者はよく本を読んでいるのだろうと思っていたが、読まざるを得ない。
これである。
歴史、経済、芸術、文学、文化上げ出したらキリがないのでこの辺にしておこう。
チラッとでも読んで記憶していかないと、貴族の話にはついていけないのだ。
ああ……スキルがないとは本当に悔やまれる……。
一つも秀でた才能のない俺は、とにかく貪欲に学んでいくしかないのだ。
特に筋トレの効果がなかなか出なくて焦っている。
ノヴァクさんクラスを目指している訳ではないが、それでも力は必要だ。
昔習っていた合気道の鍛錬も同時にしている。
全く鈍っている上に、組む相手がいないので上達はしていない。
しかしこれも、お嬢様の……最悪の場合命が掛かっているのだ。
真剣にもなる。
ついでに、お嬢様にも書斎にたまに付き合って貰っている。
いや、正確に言うと、付き合わせている。
なぜなら先程もいったが、知識があるとないとでは、貴族の話しについていけない。
お嬢様も始めは渋々だったが、今では楽しそうに書斎に向かっている。
物語や芸術の本は、特に好きらしい。
俺より読み込んでいる様だ。
たまに旦那様と一緒になる事もあり、お嬢様は嬉しそうに最近の出来事などを話している。
新しい日常は、日々新鮮で忙しいながらも充実している。
俺は、今日もとったメモを見返して倒れるようにベッドで眠りに落ちていった。




