寂れた喫茶店
屋敷に戻ったお嬢様は、久しぶりに旦那様と昼食を取り、ゆっくり食後のおしゃべりを楽しんだ様だ。
俺はジュダスさんに色々気になった事を聞く。
今日見た街の様子だと、店の窓が余り活かせていない様に感じたのだ。
前世の窓は一種のアピールポイントだ。
空調としては勿論だが、観葉植物を置いたり、商品を置いたり、色々と外から見る人へのアピールがある。
俺はそれをジュダスさんに説明し、ミラーダ商会では出窓に商品を綺麗に飾るスペースを作って貰いたい事を伝える。
外装と内装も、要望だけは伝えた。
こんな感じにしたいとワクワクして話したが、嫌な顔をされてしまった。
これ以上仕事を増やすなという事だろう。
要望なだけなので、と苦笑して話は終わった。
ジュダスさんからは、レモリとオランジの果肉を加工する、条件に当て嵌まる工房が見つかったと報告される。
仕入れ先もある程度目処が立ったらしい。
いつもながら思うが、優秀過ぎて頭が上がらない。
五日後の昼、ヨシュアさんの所に行く前にどんな工房か見に行くことにした。
午後にはお嬢様と勉強だ。
今日はメイベル先生と数学の後、マナーを習う。
勉強が終わると、お嬢様は本を頭に乗せて自発的に散歩へ向かった。
旦那様に痩せて益々可愛くなったと褒められて、更にやる気になったらしい。
商会のマークも煮詰まり過ぎてどうしようか悩んでいた所、お嬢様がシュトラーダ公爵家の紋章にしてはどうかと言ってくれた。
シュトラーダ公爵の紋章は、王家を守る盾に、邪気を払うとされるシイの葉が入った紋章だ。
商会なので、盾ではなく、盾の部分を星の形に変えた物で決まった。
お嬢様との勉強や散歩の他にも、使用人としての仕事をこなしたり、ワトソンさんに最近の報告をしたり、バーバラさん達と料理の試作をしたり、合気のイメトレをしたり、ルークさんとポプリの作成をしたり、筋トレしたり、日々が忙しく過ぎていく。
とても忙しいが充実した毎日だ。
忙しい日々を過ごし、あっという間にヨシュアさんとの約束の日になった。
「お嬢様、本日はラントールに工房の様子を見に行く為、勉強に出る事が出来ません。申し訳ございません」
「もう何度も聞いておりますから、そんなに心配しなくても大丈夫ですわ。リオンは本当に心配性ですね」
お聞き頂けただろうか。
今お話しされているのは、カーミラお嬢様だ。
驚くのも無理はない。
ここ最近のお嬢様は目を見張る物がある。
言葉遣い、姿勢、仕草と、ドンドン淑女のそれに近づいてきている。
体重も聞いてはいないが、確実に5キロは減っていそうだ。
ドレスの布が余り始めている。
最近はいつも笑顔を絶やさない為口角を上に持ち上げる事も少なくなった。
頭の上に乗せられた本は、始めのうちはプルプルと震えていたが、今は全く動く事なく頭に張り付いている。
「最近は、あまりお嬢様に注意する事も無くなってきましたからね。少し寂しいです」
「それを言うなら、置いて行かれるわたくしの方が寂しいではありませんか」
プイッと怒ってそっぽを向くお嬢様の素直な反応が懐かしく、苦笑が溢れる。
「では行って参ります」
「ええ。気を付けて行くのですよ」
お嬢様の部屋を出るとジュダスさんが待っていた。
「すみません、待たせてしまいましたか?」
「いえ、ライナス様の所に寄っていただけです」
心無しか嬉しそうなのは気のせいでは無いと思う。
旦那様に何か言われたのだろうか。
ジュダスさんについて玄関に向かうと、ラナスとは別に、もう一頭馬がいた。
ラナスに比べると小さく、葦毛の綺麗な馬だ。
「今日から移動には、こちらの馬に一人で乗って貰います」
「一人でですか?!」
「何か問題でも?」
問題はあると思うのだが、言い返す事も出来ない。
ジュダスさんはブーツを俺に手渡すと、履き替える様指示をした。
指示通り履き替えて、改めて馬に向き合う。
俺はの身長が120くらいだが、俺より少し大きい。
「何て名前何ですか?」
「トーリヤというそうです」
「トーリヤ……宜しく」
俺はそっとトーリヤの首に触れる。
好奇心旺盛な瞳がこちらを静かに見ている。
「では乗って下さい。行きますよ」
さすがスパルタで容赦がない。
俺はヒーヒー言いながらトーリヤによじ登って、時間をかけながらも何とか騎乗した。
トーリヤはとても頭のいい馬らしく、初心者の俺のぎこちない指示にも従ってくれた。
春の心地よい風が頬を撫でる。
忙しい日々を過ごす内に、季節は春になっていた。
初めはどうなる事かと思ったが、いつもより時間はかかったものの、馬車よりも断然早くラントールについた。
「足がプルプルします……」
「鍛錬不足ですね。その内慣れます。ですが、運動神経は良い様ですね?」
「体を動かすのは得意な方です」
ジュダスさんは一つ頷き、更に南にラナスを走らせた。
俺は慌ててトーリヤに声をかけて追いかける。
5分程走らせると見える街並みも変わってきた。
大通りから一本外れた為か、市に並ぶ店は減り、通り過ぎる人も少なくなってきた。
10分程走った所でジュダスさんがラナスを止めた。
俺は慌ててトーリヤに声をかけて止まってもらう。
ジュダスさんが止まったのは、店の前だった。
市に立つ露天などではなく、結構大きな普通の店だ。
工房を探してもらっていたはずだが、記憶違いだろうか?
俺は自分があげた条件を思い出す。
確か、レモリとオランジの果肉を無駄にしたくないので、それを売り出したい。
食品を扱う工房で、出来れば牛乳を扱っていると嬉しい。
工房長は、料理に携わった事がある人。
人柄も考慮して欲しい。
だったはずだ。
俺が不思議な顔をしていても気にした様子もなく、ジュダスさんはラナスを木陰に導く。
俺もトーリヤを連れて後を追うが、木に繋ぐべきか悩む。
トーリヤはつぶらな瞳で俺を見つめ返している。
俺は迷ったけどそのまま、ここで待っていて。とトーリヤに話しかけてジュダスさんの後を追った。
ジュダスさんは何の躊躇いもなく店の中に入ると、店主に何か言うでもなく、窓際の席を選んで座った。
店内は、隅々まで掃除されていて、とても綺麗だ。
カウンターの奥に女性が座っていた。
五人ぐらいが座れそうなカウンターと、四つのテーブル席があり、テーブル席には趣味のいい花瓶に、一輪花が飾られていた。
ジュダスさんはメニューを俺に渡すと、手をあげて店主を呼んだ。
「すみません、おすすめってなんですか?」
「…………………」
近付いて来たのは、60歳くらいのお婆さんだった。
大きく尖った鷲鼻と、一つに纏めた白髪は、魔女を連想させた。
「今日はマリンナのパイだよ」
お婆さんは、ニコリともせずに答えた。
ジュダスさんはニッコリ微笑むと、注文をした。
「そうですか。では、はちみつのスコーンとミルクを。リオンは?」
「……マ、マリンナパイをお願いします……」
お婆さんは、フンと鼻を鳴らすとカウンターに戻って行った。
相変わらずジュダスさんは感じが悪い。
俺はきまずい気持ちのままお婆さんを盗み見る。
「ジュダスさん、本当に来る場所合ってるんですか?」
「……君は私がそんな無駄な事をすると思ってるんですか?」
……確かにそうだ……。
俺は訳の分からないままメニューに目を通す。
メニューには、軽食から紅茶、ケーキなど。
どうやら街の喫茶店らしい。
「はいよ」
すぐにお婆さんは、木のトレイに注文した商品を乗せて持ってきた。
マリンナパイは焼き立ての様で湯気が立っていて、香ばしい香りが食欲をそそる。
ジュダスさんの頼んだはちみつのスコーンも美味しそうだ。
隣にそっとジャムが添えられている。
「それでは頂きましょう」
俺とジュダスさんは両手を握り合わせ、フォークを手に取る。
焼き立てのマリンナパイにフォークを刺し口に運ぶ。
「……!」
驚いた。
凄く美味しい。
バーバラさん達より腕がある様に感じる。
程よい甘さと、サクサクの生地。
中のマリンナもしっかりとした身の歯応えと、煮詰めたジャムの絶妙なハーモニーが堪らない。
……ジャム?
俺はジュダスさんの頼んだミルクを見て、段々話が繋がり始める。
「ここのミルク、美味しいですね」
「…ああ。息子が南で酪農やっててね。そこのミルクなんだ」
「南というと、アルモンドの油も取れますね」
「あんた詳しいね。倅の牛はアルモンドの実を食べててね。よく乳が出るんだよ」
そうか…!
何も工房である必要はないのだ。
アルモンドとは、名前と実がなると言う事から察するに、アーモンドではなかろうか……。
ミルク、ジャム、それにアルモンド。
「こんなに美味しいのに、あまりお客さんがいませんね」
ジュダスさんがスコーンを食べる手を止め、お婆さんに話しかける。
店内には、カウンターに一人。
年老いたお爺さんが紅茶を飲んでいるだけだ。
「ああ、ちょっと前に大通りに似た様な店が立ってね。値段もあっちのが安いもんで、皆そっちに流れちまったんだよ。全く商売あがったりだよ」
「良かったら友達でも連れて来ておくれよ」
カウンターで紅茶を飲んでいたお爺さんが、話に加わってきた。
「婆さんの倅の嫁さんがね、病気になっちまってね。店の金ほとんど送ってんだよ」
「ほんと、どっかに儲け話でも転がってやしないかね……」
俺はジュダスさんに視線を向ける。
ジュダスさんはニッコリ笑っていた。
全くもって頭が下がる。
こんな好条件よく探して来る物だ。
最近では、ジュダスさんは絶対何か優秀なスキルを持ってるのではないかと疑っている。
「あ、あの……その儲け話っていうの……聞いてくれませんか?」
「え?」
お茶のおかわりを入れていたお婆さんも、カウンターのお爺さんもこちらを驚いた顔で振り返る。
ジュダスさんがニッコリ笑顔をやめて、シュトラーダ公爵家の紋章を手に、無表情でお婆さんに向き合った。
「申し遅れました。私シュトラーダ公爵に仕えております、ジュダスと申します」
「シュトラーダ公爵って……領主様じゃないかい!」
お爺さんがかけていた眼鏡をかけ直して、体ごとこちらを振り返る。
ジュダスさんは俺の方を見ると先を促す。
「この度、シュトラーダ公爵のご息女のカーミラ様が商会を立ち上げることになりました。これが売り出す商品なんですが、商品に使うのは果物の皮だけなんです」
俺は持ってきたリンスの試作品を取り出して見せる。
お婆さんと、お客さんのお爺さんもこちらのテーブルに近づいてきた。
「皮しか使わないので、果実が丸々残るんです」
「それじゃ勿体無いじゃないか」
「そうなんです。だから、果物を何か珍しい食べ物にして売り出したいと思ってたんです」
お婆さんがへぇと声を漏らす。
「で、何を売り出そうとしてるんだい」
お婆さんより、お爺さんの方が気になる様で話しの先を強請る。
ジュダスさんも売り出す商品はどんな物か話していない。
どんな物か気になる様で、手を組んで意地悪そうにこちらを見ている。
「実際作ってみた方が早いかな?お婆さん、カウンター借りてもいいですか?」
「ああ、構わないよ」
「じゃあ、ミルクとジャムも貰っていいですか?お代は払います」
俺は、カウンターに入って、貰ったジャムを氷の入ったグラスに入れる。
そしてミルクを入れて混ぜる。これだけだ。
「飲んでみて下さい」
渡されたお婆さんが一口飲む。
「甘くて美味いね」
お爺さんがどれどれとコップを奪い取る。
「うん!美味いじゃないか!」
「もう少し甘めで、果実の形を残したジャムにすると、もっと良くなると思います」
某レストランの人気商品のイチゴミルクをご存知ないだろうか。
ゴロッとしたイチゴとジャムがミルクに溶けて最高に美味しいのだ。
ここだとレモリミルクとオランジミルクになるが、フルーツ牛乳は子供にも大人にも大人気だ。
俺は風呂上がりに飲む銭湯のフルーツ牛乳を思い出す。
「あとは氷を削って、果物シロップをかけた物や、そのまま絞って生ジュースにしたり、テイクアウトで売り出すんです」
「テイクアウト?」
「あ、持ち帰りですね。中で飲むんではなくて、好きな所で飲めるようにするんです。紙コップにストローを刺して」
俺の説明に、皆が楽しそうに耳を傾ける。
「確かに街で果実水はよく売り出されてるけど、このミルクのは見た事ないね」
「その氷を削った物とはどんな物ですか?リオン。」
俺は、氷を一つ貰う。
ピックの様な物を探したが見つからなかった。
「道具が無いので今は作れませんが、細かい氷に変えて、その氷を紙コップに入れて上から果実のシロップをかける感じですね」
「それが一番売れそうな気がします。とても新しい。氷を食べるというのは聞いた事がありません。しかも長く冷たいままなのも良い所です。すぐに削る機器を用意しましょう」
ジュダスさんが売れそうというなら売れそうなのだろう。
お婆さんも期待に溢れた表情をしている。
「どうですか?私達と商品を作ってみませんか?」
「この歳になって、こんなワクワクする事になるとは思わなかったよ。その話、乗らせてもらうよ!」
俺はジュダスさんに笑顔を向ける。
ジュダスさんは薄く微笑んでいた。
「そういえばまだ名乗ったなかったね、あたしはセント。セント•グウィンだよ。宜しく、坊や」
「こちらこそ宜しくお願いします!リオン•トーレスです」
「私はジュダスと申します。これから宜しくお願いします。ミスセント」
俺達は自己紹介をして握手を交わした。
見ていたお爺さんが嬉しそうにニコニコしている。
ジュダスさんは早速契約を結び、書類に残した。
書類はやはり羊皮紙で、書き終わると氷の様に消えてなくなった。
その後、息子さんの牛が食べているというアルモンドの話を聞く。
丁度現物があったので見せてもらったが、やっぱりアーモンドだった。
この辺りでは食べないらしく、息子さんも油を絞った後のアーモンドを牛にあげて、油は自分達が使わない分は肥料として、農家に格安で引き取って貰っていたらしい。
俺はそれを買い取りたい事を伝えた。
セントさんは喜んで、息子さんに知らせる為に店を閉めた。
どうやら直接行く様だ。
ジュダスさんは、セントさんと息子さんの酪農場に行く事にした様だ。
俺は一人でヨシュアさんの所に向かう事になった。
一人での乗馬はまだ不安だが、ジュダスさんは助けてはくれないだろう。
トーリヤは大人しく賢いので、ゆっくり走れば一人でもなんとかなる……はずだ。
こうして色々な事が一気に決まった。
問題が一つ一つ解決していく様で、気持ちがいい。
俺達はお爺さんに見送られ、ジュダスさんと別行動でウルムナフ工房へと向かう事になった。