リンス企画
「へー……その材料でこんな物が出来るんだ……」
ノアは、俺の持って来たリンスの瓶を覗き込みながら呟く。
商品名は長くて覚えにくいので、リンスにする事にした。
ノアは、チラっと俺の髪を見て、ニンマリと笑った。
「ねえ、あたしも試していい?」
「…おい、後にしろ」
「分かってるわよ!それで?材料は分かったけど、いくらで売るの?」
ノアがヨシュアさんの隣に腰掛けて頬杖をつく。
ヨシュアさんは暑苦しそうにノアから少し距離をとった。
「このミントと、ローズマリーとレモリ、オランジは小青銀貨3枚で売ろうと思ってる」
「小青銀貨3枚?!」
「…貴族相手なら妥当なとこだろ……」
ノアはとても驚いているが、ヨシュアさんは大して驚く事も無く先を促した。
ジュダスさんは、話し合いが始まると何処かへ行ってしまった。
「ミントとローズマリーは、今はドライハーブにしてから香り付けしてる。一週間して香りがついたら中のハーブは抜いて下さい。注意点はオイルにしっかりハーブが浸かっていないとカビちゃいます。美容品なので気を付けて下さい。その内精油にしてからも試したいけど、今はまだそこまでの段階に辿り着いてないんです」
「ドライフラワーってこの中の花?」
「そう。一週間位逆さまに干しておくだけ。花の花弁を丸みを持たせたまま残すやり方もあるんだけど、それは別の商品にしようかと思ってる」
俺が考えているのは、ドライフラワーのポプリだ。
形が綺麗に残る様に残すやり方がある。
この街の特産品の花を使って、売り出すのも良いなと思っている。
「次にレモリとオランジのリンスの作り方。圧縮法って言って、皮を絞った時に出る液体だけで済むから、その日に出来る。簡単だし香りも強い」
俺はレモリのリンスの瓶の蓋を開け、二人に嗅いで貰う。
「……!レモリの匂いがする」
ノアが瓶の中身を嗅いで楽しそうに笑う。
「この時、中の果肉が無駄になるから、それは食品工房に頼んで、加工して売り出したいと思ってます」
俺は瓶の蓋を閉めながら、果肉で何か売れそうな物を作れないか考える。
需要がありそうだと果肉ゴロゴロジャムとかどうだろうか。
忘れない内にメモっておこう。
「あと、最後に中青銀貨1枚で薔薇のリンスも作るんだけど、香りは花弁を圧縮法で絞った液体で付けるんだ。だから大量に薔薇が必要で高額になる」
「中青銀貨1枚…。お貴族様ってば、あたし達とは違う世界で生きてるみたいね」
ノアがガックリとテーブルに突っ伏す。
そんなノアをヨシュアさんが小突いた。
「…そのお貴族が高い金払ってくれてるから、俺らだって食っていけるんだろ」
「ま、それはそうなんだけどさ……」
唇を尖らせて項垂れたノアは、納得した様な、納得したくない様な表情だ。
気持ちは分かる。
このままこのオリーブオイルにニクニンと赤唐辛子でも漬け込めば、いいハーブオイルとして肉なんかが焼けそうである。
この世界にハーブオイルなる物はないが。
そんな物が前世でいうと所の百万円……。
ノアの気持ちは痛い程分かる。
「後は材料の仕入れ先ですね。出来れば情報秘匿の為に、オリーブオイルだけは一箇所で買わない方がいいと思ってるんだ。かといって、王都から離れた場所から買い付けると、運ぶ時間もお金もかかるし、ここが今のところ一番の問題だな」
「南の森で油の取れる実を探してみるとか?」
「いい案だけど、そんなにすぐ見つかるかな?量も大量に必要になるし、そんな簡単にはいかないと思うんだけど」
「…見つかるまでは数店舗から買い付けるしかないだろう」
「今のところそれが最善ですね。レモリとオランジの仕入れ先は、ジュダスさんと相談してみます」
俺はジュダスさんに相談する案件として丸をつける。
出来ればこの辺りに、見向きもされない種子があって放置されてる、ってのが理想だけど……。
俺が考え込んでいると、ノアが人差し指を顎につけて首を傾げる。
「ただ、作るにしてもあたし達二人じゃ全然人手が足りないよ?どうするの?」
「それなんですけど、ヨシュアさん、いい工房知ってませんか?」
これは、始めから考えていた戦法だ。
皆も、覚えがないだろうか。
噂で聞く話は信じられなくても、親友が話した同じ話なら、信じる事が出来るという事が。
親友という訳ではないが、ヨシュアさん親子は、俺がその行動や言動で信用した人物だ。
その二人が勧めるならば、俺はそれより勝る物はなかなかないと思っている。
「…随分俺達を買っている様だが……そうだな……ケンカっ早いが腕の立つ細工師の工房と、根暗で陰険なヤローだが、仕事が早くて的確な彫金師の工房なら心当たりがある」
「ああ……あの二人のとこか……」
ノアがゲッソリした顔で相槌を打ったが、反対しない所を見ると、腕は確かな様だ。
随分と散々な言い様だが、ノアもその二人の性格には同意見らしい。
大丈夫だろうか……。
しかし聞き捨てならない事を言っていた。
今彫金師と聞こえた気がする。
「彫金師……?ってなんですか?」
「彫金師は彫金師よ?魔具を作ってる人よ。」
魔具!
俺はメイベル先生から魔術や魔具の事を聞いた時の様に、心が弾む。
「不勉強で申し訳ないんですが、どんな物なんですか?」
「…魔具ってのは扱う者の力量で呼び名が変わる。一般的に魔力の殆どない物でも使えるのが魔具。魔力がそこそこないと扱えない宝具。最後にとんでもねー魔力じゃないと扱えない神具って三種類に別れる。効果は色々だ」
おお、勉強で習った通りだ。
「その内の魔力が殆どない人でも使える魔具は、どんな物でも一律魔具っていうからね。魔具の素材を職の名前に当ててる人が多いのよ」
なるほど。
それにしても、宝具とか神具とか…。
一度でいいからお目にかかりたい。
「二人は、何か持ってるんですか?」
「…いつも俺が使ってるハンマーは魔具だ。少しの力で石が砕けるように出来てる」
なんと。
既に魔具を使う所は見ていたらしい。
特に使った時、エフェクトがつく訳ではないから、説明されなければ分からなかった。
俺が気付かない内に、魔具に出会っている可能性は高そうだ。
俺が物珍しそうに作業場を眺めていると、ヨシュアさんがチョイチョイと手招きする。
近付くと、ハンマーを手渡してくれた。
「…この石を叩いてみろ」
俺はヨシュアさんが手渡したハンマーを貰うと、作業台に置かれた石を叩く。
俺の力ではただ石が鳴っただけだった。
それを見て、今度はいつもヨシュアさんが使っている金のハンマーを手渡される。
俺が憧れに目を細めてハンマーを握りしめる。
先程と同じ様に、石にハンマーを打ち下ろす。
少しだけ欠けた様な気もする。
「………………」
「……欠けた様な気もしますね……」
「…お前はまだ教会未登録だから、効果が出にくいんだろ。それでもただのハンマーよりは仕事が早い」
俺はお礼を言ってハンマーを返す。
ヨシュアさんはハンマーを受け取ると、話を元に戻した。
「…ただ、食品関係の知り合いはいねーな」
「そこはジュダスさんに相談してみます。その細工師さんと、彫金師さんに話を通してもらってもいいですか?」
「…あいつらがいいっていうかは分からんが、話しはしといてやる」
「ありがとうございます!」
俺は思いつく事、聞いた話などメモしながら頭を整理する。
「後、必ず買ってもらった人に説明をしたいんです。使う前に瓶を振る事。合わなかった場合使うのをやめて欲しいのと、目に入ったら洗い流して、異常があった場合は速やかに医師の判断を仰ぐ事」
「先にクレーム処理する感じだね」
この世界には取説、取扱説明書はない。
口頭で説明されるか、先に買った人に聞くかだ。
「前もって注意点を知ってもらった方が、買ったお客様がその時に対処しやすい。ほんとはシールで瓶の裏に貼れるといいんだけど…シールってある?」
「シール?貼るっていうと、ステッカーみたいな物かな?」
どうやらあるらしい。
「そう!ステッカーを瓶の裏に貼って、そのステッカーに注意点を書いておくんだ。そうすれば、売る時に従業員が説明する必要がなくなるから、その分何人も対応出来る様になる」
売る時に、後ろのステッカーを見てから使って下さい。で済む訳だ。
売る方も、一から十説明していたら時間がかかる。
「それだけだと、問題が起こった時の事しか聞いてないし、もっと商品のいい所とか書いたら?」
「それなら、この商品に入っている物とか、香りの特徴とか書いたらどうかな?」
「それいいわね!」
サクサクと内容が決まっていく。
前世の知識がほとんどだが、ノアの着眼点も素晴らしい。
次々問題を指摘してくれるし、提案をしてくれる。
「そんなに高額なら、入れ物にも拘りたいわ。なんか良い案ないの?」
「うーん。オリーブオイルが日に当たると酸化しやすいから、中が透けない物がいいね」
「……………」
ノアの話を聞いたヨシュアさんは、おもむろに立ち上がると、ろくろの裏の棚を漁り始めた。
すると、一つ焼き物を持って戻ってきた。
ヨシュアさんが持ってきたのは、真っ白に輝く陶器だ。
「…薔薇のリンスってやつは、この陶器に入れたらどうだ」
「父さん!ナイスアイデア!リオン、これはね、うちの工房でも高値で売れてる陶器なの。主に貴族様達が買っていくんだよ」
ノアの言う通り、真っ白な陶器は艶やかで高級感がある。
薔薇をこの陶器に、と言ったのは、他の物と差別化する為だろう。
確かに高額商品を入れるのに相応しい美しさだ。
「ヨシュアさん、これ沢山作れますか?」
「…少し時間はかかるが難しくはない」
「是非この入れ物でお願いします!」
「…形はどうする?」
「形も重要なんですが、陶器に模様を入れたりできますか?もしくは、模様を陶器に書く方法や、削って彫る方法でも構いません」
「模様?」
俺は、よく転生物語で見る異世界商品の事を思い出す。
確か、皆は自分達が作った物を、後から出回る商品と一目で違いが分かる様に、商会の模様や、工房のマークを商品につけていた。
ここはテンプレに沿うのが宜しいだろう。
俺は模様をつける意図を説明していく。
「…あいつの方が得意そうだが……模様と形を考えておけ」
「はい!」
「…薔薇以外のリンスは、この辺でどうだ?」
ヨシュアさんが、茶色や緑、青などの陶器を差し出す。
どれも色鮮やかで綺麗だ。
「どれも作る費用や時間は同じなんですか?」
「…茶色と緑は変わらん。青いのは少し二つに比べて時間も金もかかる」
「なら、ハーブのミントとローズマリーは茶色。レモリやオランジの皮は緑にしたらどうでしょう。作る時に分かりやすいかと。」
「リオンあったまいい」
ノアがパチンと指を鳴らして自分のノートにメモっている。
「形は実用性重視がいいと思います。使う時、髪の長さによって入れる量が変わりますから、注ぎやすい口がいいと思います」
「…考えておこう」
「リンスについては粗方まとまりましたね」
俺はメモ帳を見返して、一つ伸びをする。
ノアが丁度いいタイミングでチーゴ水を運んで来てくれた。
気が利く子だ。
一息ついていると、工房の扉が開いた。
そちらに顔を向けると、ジュダスさんが入ってくる所だった。
いつも思うが、やはり何処かからこちらを見ているんではなかろうか。
疑わずにいられない程タイミングがいい。
「こんにちは。どうですか?お話しは進みましたか?」
「はい。とりあえず作り方の説明なんかは終わりました」
俺は、決まった事をジュダスさんに報告していく。
まず、このウルムナフ工房を筆頭に、二件ヨシュアさんが工房に声をかけてくれる事。
リンスの入れ物、注意点と商品説明のステッカー、商会のマークを入れる事。
ジュダスさんへの相談は、リンスを作る為の材料の発注先だ。
特に、秘匿したいオイルの取り引き先について悩んでいる事を伝えた。
一番先に手を打ちたいのは、レモリとオランジの果肉を使った食品をどうするかだ。
作る上で必ず出るものだし、卸すには衛生上よろしくないし、捨てるには勿体無い。
俺は、レモリやオランジでジャムを作ろうとしている事。
そして、それを頼む工房の条件をジュダスさんに伝え、探して貰えるようお願いした。
そして、話がひと段落つくと、ジュダスさんはウルムナフ親子に向き合って、今後の支持を出した。
「では皆さん。大分話がまとまってきた様なので、ウルムナフ親子は早速手順に沿って商品を作ってみて下さい。とりあえず試作品として、リオンのいうシンボルはつけなくて結構です。それを作るのにかかった陶器の原価と、作るまでにかかった時間もまとめておいて下さい」
ノアがチーゴ水を飲みながら、ペンを走らせ頷く。
「リオンは速やかに商会の名前とシンボルを考えて下さい。シュトラーダ公爵に報告に行った所、明後日、商業連盟に登録に行く時間が取れる事になりました。ここまでで、何か質問はありますか?」
どうやら旦那様の所に行っていたらしい。
工房が決まるまで調整を待っていてくれたのだろう。
商業連盟への登録に向かう日程調整の仕事が早すぎる。
俺達が首を振り、ジュダスさんは持っていた手帳を閉じると一人一人を見回した。
「これからリンスを売り出す事によって、シュトラーダ領は大いに潤う事になるでしょう。冬の建国記念までに、軌道に乗せられる様、各自それを念頭に行動して下さい」
ジュダスさんの話によると、冬に建国記念日なる物が王都である様だ。
この間ジュダスさんが説明してくれた通り、王都の南に位置するこのラントールは、宿場も多い。
訪れる人、通り過ぎる人、滞在する人。
その数は年で一番多くなるそうだ。
それまでに、このラントールにも支店を作りたいという事ではないだろうか。
「では私達は一週間後の昼にまた来ます。一週間後までに他工房がどうなったかと、試作品の作成をお願いします。試作品の説明はリオン、あなたに任せます」
「分かりました。では、ヨシュアさん、ノア。レモリ、オランジ、薔薇の三点を作ってみて下さい。ミントとローズマリーでは、ドライフラワーを作ってみて下さい。宜しくお願いします」
俺は持ってきたハーブを数点。
それから薔薇のエキスだけは絞った物を渡して、作り方のメモも渡す。
他の物は、市場で揃えて貰う事にした。
「では、何か用があった時の為に、魔具を置いていきます。質問等有ればこれで知らせて下さい」
そう言って、ジュダスさんは青い六角形の腕輪を取り出した。
どうやら魔具の様だ。
俺は興味津々で、ヨシュアさんに渡される魔具を見つめる。
ヨシュアさんは驚いた様子もなく受け取った。
一般的な物なんだろうか。
俺が不思議な顔で見ていると、ジュダスさんはもう一つ、赤い六角形の輪を取り出した。
色が違う以外は全く同じ物だ。
俺の視線に気付いたジュダスさんがニッコリ笑った。
黒い雰囲気を感じる。
ジュダスさんは予想通り、説明する事なく魔具を腕に嵌めると話を終わらせた。
確かに、俺が使う訳ではないので、俺に説明する必要もない。
……残念だ。