間に合わなかった理由
「お嬢様、カッコ良かったです」
俺が褒めると、張り詰めていた物を解く様に、お嬢様は深いため息を吐いた。
本当に、離れていたこの二週間で、随分淑女らしくなっている。
話し方も随分貴族らしくなった。
「緊張した……」
「お嬢様、ご立派でした……」
「ほ、ほんとに……まるで貴族の御令嬢の様で……!」
「レナ、私は生まれた時から貴族の令嬢なのですけれど?」
三人が、俺が知る時と同じ様に笑い合っているのを見て、俺もようやく肩の力を抜いた。
「この二週間、離れていたのが仇になりましたね。私の落ち度です……」
俺がもっと早くお嬢様に会いに来ていれば……。
三人がこんな嫌な思いをする事もなかったのに……。
俺は、自分の事ばかりで、視野を広く持てなかった……。
俺が落ち込んでいると、いつもとは逆に、お嬢様は俺の前に立って、口角を無理矢理上に上げた。
俺は苦笑して笑顔を見せる。
そんな俺達を見て、ファリスさんが申し訳なさそうに喋り始めた。
「リオンのせいではありません……私がクワドラに話さなければ……」
「フ、ファリスさん……」
「それを言ったら、まんまと三人に騙された私が一番いけないと思うわ……私皆の主なんですもの……」
「皆さん、ストップです。過ぎた時間は戻りませんし、私も含めて反省は心の内に留めて、二度と同じ事が起こらない様、お互い気をつけあいましょう。ね?」
今度は、俺がお嬢様の口元を上げた。
「そうですね。もう終わった事ですし、こうして元通りに戻れて、私は嬉しいです」
「わ、私も、またお嬢様のお世話が出来て嬉しいです!」
「二人ふぉも……」
俺は三人を微笑ましく見つめていたが、これで終わりでは無い。
問題は解決したが、もう一つの問題は終わらないまま残っている。
もう約束の時間はとうに過ぎ、今から馬車で向かっても昼過ぎになってしまうだろう。
急がなくては。
「リオン、ごめんなさい……今日、とても大切な日だったんでしょ?」
「そうですね……でも、私は後悔していません。だからお嬢様は気になさらないで下さい」
「……私も一緒に行くわ……」
お嬢様は、ドレスの裾をぎゅっと握ってそう言った。
「気持ちは嬉しいですが、いけません。お嬢様は公爵令嬢なのですよ?護衛も無しに屋敷を出る事など出来ません。ドレスは……変えた方がいいと思いますが……」
「そんな!」
「それに……」
「それに?」
俺が珍しく言い淀むと、お嬢様はムッとした様に先を急かした。
俺は、困った様にその先を語る。
「もし、途中でお嬢様に何かあったら……それが俺は一番怖いです……さぁ、着替えて勉強に行きませんと」
「でも……」
「お嬢様は、私が信用出来ませんか?」
俺がまだ納得しないお嬢様に問いかけると、首を振って答えた。
「リオンの事は信用しているわ!でも、それとこれとは別じゃない……」
「信用してくれているのであれば、最後まで私を信じて待っていてはくれませんか?」
「……ずるい……そう言われたら、もう連れてけなんて言えないじゃ無い……」
俺は困った様に笑って、お嬢様を見上げた。
実際、お嬢様を独断で連れ出したとなったら、大変な事になるのは間違いない。
「では、ファリスさん、レナ。お嬢様の事、宜しくお願いします」
「リオン!」
「はい」
「……なんでも無いわ……気を付けてね……」
俺は、ニッコリと笑顔で了解すると、二人にお嬢様を任せ、部屋を出た。
今は九時を少し回った所だ。
すぐに向かって十一時には工房に着きたい。
シュトラーダ公爵の御者はいるだろうか。
急ぎ足で玄関に向かうと、そこにはジュダスさんがラナスと佇んでいた。
「ジュダスさん……」
「……どうやら終わった様ですね」
あれほど助けないと言っていたジュダスさんがいる事に、驚きを隠せない。
それが分かったのか、ジュダスさんはいつもの表情を悟らせない顔で言った。
「勘違いしている様ですが、これは助ける内には入りません。私の仕事です。さぁ、行きますよ」
「あ、ありがとうございます!」
ジュダスさんはそう言っているが、きっと待っていてくれたのだろう。
少しだけ、ジュダスさんは俺を認めてくれたんだろうか。
俺は、ジュダスさんに抱き上げられラナスに乗る。
ジュダスさんは、いつも通り華麗にに騎乗し、ラナスの首を撫でると脇腹を蹴って走り出した。
ラントールを抜け、ウルムナフ工房が見えてくる。
いつもの煙突から煙が出ているのが見えた。
到着しラナスから降ろして貰い、何処かへ行くと思っていたジュダスさんが、珍しく木陰にラナスを導いた。
事の顛末を見届けるつもりなのだろう。
俺は、急ぎ足でウルムナフ工房に向かい、工房の扉を叩いた。
変わらず建て付けの悪い扉は、控えめな音を鳴らすとそっと開いた。
「こんにちは!すみません!遅れました!」
俺は声を張りながら中を覗く。
いつも通り、ここから中の様子は伺えない。
俺は中に入り、目当ての人物を探す。
すると、勢い良く奥から人が飛び出してきた。
「わ!ビックリした!声が聞こえた様な気がして見に来てみたら、やっぱりリオンだったんだ!」
飛び出してきたのは、二つに結んだ髪を揺らしたノアだった。
俺は、ノアにヨシュアさんの事を尋ねる。
ノアは意地悪そうな顔をすると、奥の方を無言で親指を立てて示した。
奥を覗き込むと、いつもの作業台にヨシュアさんが腕を組んで座っている。
しかし、その身は何か作業をしていたりはしない。
俺はゴクリと唾を飲み込み、ヨシュアさんの傍に近付く。
「こんにちは!ヨシュアさん、すみません……時間に来る事が出来ませんでした……約束を破ってごめんなさい」
俺は、始めて来た時の様に、頭を深く下げた。
ヨシュアさんは、鋭い視線で顔を上げた。
視線を逸らさず、腕を組んでまま、ヨシュアさんは口を開かない。
俺は目を見たまま、ヨシュアさんが話すのを待った。
「…どうして時間にこれなかった。何があったんだ」
「言えません」
「…何か言い訳したらどうだ。聞いてやる」
「有りません」
俺が答えると、ヨシュアさんは不機嫌そうな顔をもっと凶悪にさせて黙った。
「…おい、そこのジュダスって言ったか。お前は何があったか知ってるのか」
「勿論知っています」
「…助けてやらないのか」
「それが私の仕事か際どい所ですが、仕事には入らないでしょう。よって、私がリオンを助ける事は有りません」
ジュダスさんが答えると、ノアが吹き出した。
何か面白い話をしただろうか。
俺が不思議に思っていると、それに気付いたのか、ノアは一頻り笑った後、呆れた様な顔でヨシュアさんに話しかけた。
「父さん、賭けはあたしの勝ちだね」
「……………」
「ね?あたしの言った通りでしょ?」
「…お前がそっちに賭けたから、逆に賭けざるを得なかっただけだ…。俺だってそうすると思ってたさ」
何のことかさっぱり分からない。
俺がヨシュアさんとノアを交互に見ていると、視線に気付いたヨシュアさんは、説明をノアに任せた様だ。
「朝、約束の時間になってもリオンが来ないから、何かあったんじゃないかって、二人で話してたんだ。あたしは、リオンが約束を破るとは思わなかったから、何かあったんだと思った。それで、リオンが父さんにどう説明すると思う?って賭けをしたんだよ」
ノアは面白そうに人差し指を立てて、得意気に説明をしてくれた。
そのまま、ヨシュアさんの隣に立つと続きを語った。
「だからあたしは、リオンは多分言い訳なんかしないって方に賭けた訳だ。結果はご覧の通り。あたしの勝ちって訳よ」
「…おい、勝ちも何もさっきの俺の話し聞いてないのか」
「そ。だからまあ、何が言いたいかって言うと……」
ノアは、一旦ヨシュアさんの方を見ると、俺に視線を戻す。
そして、満面の笑みで口を開いた。
「うちら、リオンの事が気に入っちゃったんだよ」
俺は、ノアの言葉に目を見開く。
それは、俺が彼等に感じた物と同じだったから。
ヨシュアさんは、作業台で腕を組んだままそっぽを向いた。
俺は、呆然と口を開く。
「……でも……俺は時間に間に合いませんでした」
「…とても時間に間に合わなくて後悔してるヤツが見せる面じゃないがな」
ヨシュアさんの言う通り、俺は後悔はしてない。
あのまま、お嬢様達を放っておくという事は、何度繰り返しても俺には出来ないと思う。
「……そうですね……後悔は全くしてません。多分同じ状況になったら、俺はまた遅刻してしまうと思います」
俺は、思ったまま素直に心の内を打ち明けた。
そうする事が、彼等親子に出来る真摯な態度だと思ったからだ。
「…じゃあいいじゃねーか。お前は自分が信じるように行動して、それで胸張ってここに来たんだ。約束通りここに来たりしてたら、それこそ俺は二度と話しなんて聞かないと思っただろうよ」
「とか何とか言っちゃって、気に入った人間には甘いんだから、父さん」
「…お前も人の事言えねーだろ」
二人は、もう話しは終わったという様に肩の力を抜いて笑い合っている。
俺はポカンとその光景を見ていた。
これは…。
「…おい、何ボーっと突っ立ってんだ。早く仕事の話しを始めろ」
「リオン、早く早く!」
俺は、目を見開いてジュダスさんを振り返る。
ジュダスさんは、薄く笑っている様に見えたが、やっぱり目が合うと無表情に戻ってしまった。
この二週間短い様で長かった。
その時間が、俺達を繋ぎ合わせてくれた。
お嬢様。……やりました……。
破滅フラグを回避する為の重要条件が、やっとクリアに向けて動き始めた。
でも、まだここからだ。
商会を立ち上げるのも、商品を作るのもまだ何も始まっていないのだから。
俺は二人に商品の説明を始めた。