三人のメイド
「お嬢様、この二週間何があったのですか?私に話して下さい」
「………………」
お嬢様は、両手を固く握りしめ俯くと、何も話してはくれない。
ファリスさんとレナは、突き刺す様な視線で三人のメイドを睨んでいた。
「あら、旦那様の報告にいらしたのではなくて?」
「その様な者のお話しに、耳を傾ける必要はございませんわ!お嬢様!」
「その通りです、カーミラお嬢様!」
俺とお嬢様の間に割って入る様に、三人のメイドはお嬢様を取り囲んだ。
お嬢様は、オロオロと俺とメイド達の間で視線を彷徨わせている。
「報告がないなら下がって下さいませ。お嬢様、こちらにお菓子を用意させて有りますわ。お茶を入れますからお座りになって下さいな」
用意されたテーブルを見ると、たっぷりの生クリームが盛られたスコーンが目に入る。
こんなお菓子、バーバラさんが用意するはずがない。
しかも、こんな朝起きてすぐにお茶にするのも、以前までのお嬢様ならともかく、今のお嬢様が食べるとも考えられない。
「お嬢様へのお食事は、バーバラ料理長が一任して請け負っていたはずですが?」
俺がテーブルに盛られたスイーツを指差し指摘すると、メイドの一人は悪びれた様子も無くこう言った。
「まあ!あなたがあれを用意させていたの?あんな質素なお食事、公爵家の御令嬢に相応しくありませんわ!」
「そうよ!お嬢様、この様な者の言う事をまともに聞きいてはいけませんわ」
メイド達の言葉に、我慢出来なくなったファリスさんが口を挟む。
「お嬢様!その者達のお話しを聞いてはいけません!」
「そ、そうです!リオンも私達も、お嬢様の為を思って!」
「黙りなさい!さぁ、お嬢様。この者達を追い出して下さいな!」
そばかすの目立つ長身のメイドは、お嬢様の前に立ち塞がると、扉を指差して退室を促した。
俺は、メイドには目をくれず、お嬢様をじっと見つめた。
お嬢様は、薄紫色の瞳を揺らすと、力無く言葉を発した。
「リオン……仕事に戻って頂戴……」
「お嬢様!」
お嬢様の発言に、ファリスさんとレナが、顔を曇らせ悲痛な声を上げた。
お嬢様は、そんな二人の視線を拒む様に後ろを向く。
そばかすのメイドと、少し太ったメイドと痩せすぎのメイドは、勝ち誇った顔をこちらを向けた。
俺は、メイド達には見向きもせず、お嬢様の後ろ姿に話しかけた。
「お嬢様。こちらを向いて下さい」
俺からは、硬く握りしめたお嬢様の両手が目に映る。
俺は、そっと後ろからお嬢様の手を取ると、爪が食い込んだ手のひらを労る様にゆっくり開いた。
「お嬢様。私が言った事、覚えておりますか?」
俺の問いかけに、お嬢様は振り返ると、ゆっくり俺の目を見返した。
薄紫の瞳は、不安で所在なさげに揺れている。
「私は、いつでもお嬢様の一番味方です。それだけは忘れてはいけませんよ」
「リオン……あ、あのね……」
お嬢様が口を開きかけたのを見て、そばかすのメイドが強引に俺とお嬢様を引き離した。
俺が驚いてメイドを見ると、彼女は怒りを露わに見下ろした。
「お嬢様!お話しする必要などありませんと、何度申しあげれば分かるのです!」
「私は今お嬢様とお話しているのです。割って入らないで頂きたい。いくらお嬢様が寛大とはいえ、その様な口の利き方、失礼ですよ」
俺が睨みつけると、メイドは怯んで真っ赤な顔でこちらを睨み返した。
俺は、再びお嬢様に目線を合わせ、ニッコリ微笑んだ。
「全くお嬢様。どうしたんですそんなに眉を下げて。ほら、もう忘れてしまったのですか?」
俺はお嬢様の口角をグニグニと上引っ張る。
お嬢様は下がり眉を更に下げてこちらを見た。
「さて、お嬢様はこれでは喋れませんね。ファリスさん、何があったか話して下さい」
俺はお嬢様の口角をグニグニしたまま、ファリスさんを振り返った。
ファリスさんは、お嬢様を一瞬見たが、意を決した様に俺に語り始めた。
「事の始まりは、一週間前です。お嬢様がシャンプーリンスを私達に下さってから、何かあるとプレゼントを下さる様になりました。始めは、私達を認めて下さったのだと、ただ嬉しくそれを頂戴しましたが、それが二回、三回と続き、私達はこれではいけないと思ったのです」
……話が読めて来た。
俺がお嬢様の口元から手を離すと、お嬢様は不安気にこちらを見下ろした。
俺は安心させる為に、そっとお嬢様の右手を取ってファリスさんの方を向いた。
「私達がシャンプーリンスで髪を洗う様になってから、よくクワドラに髪の事を尋ねられました。私はお嬢様に頂いた事をお話ししたのです。すると、三人はお嬢様をお世話したいと、お嬢様のお部屋に押しかけました。お嬢様は、喜んで三人を迎え入れました」
「そ、そうよ、私達は皆、お嬢様にお許しを貰ってお世話んしているのよ?!貴方達なんて、昨日お嬢様にもう来なくていいって言われたじゃない!」
そばかすのメイドはクワドラというらしい。
クワドラがそう返すと、他の二人のメイドも頷いた。
ファリスさんは、言い返したクワドラ達には目も暮れず、俺の目を逸らさずに話を続けた。
「私達にお嬢様はあれもこれもプレゼントしてくれました。私とレナは、それを丁重にお断りしたんです。ですが、上の者が下の者に褒美として下賜するのは当然の事だとエマは言って、挙げ句にクワドラとトリスは、お嬢様に物を強請る様になったのです」
「わ、私達は、強請ったりなどしていないわ!ただ、素敵だとお話ししただけよ!くれたのはお嬢様のご好意だわ!」
トリスと呼ばれた痩せすぎのメイドに、太めのエマは同意して加勢した。
「それで、受け取らない私達が、お嬢様の好意を蔑ろにしているとお嬢様に言って、受け取らないのは、心の中ではお嬢様を嫌っているからだと根も葉もない言い掛かりをつけてきたのです。私達はそんな事は決して無いと言ったのですが、そこの三人がそんなに慌てるのは図星だからだと、責め立てたのです……」
「それで、お嬢様はそこの三人を信じて、売り言葉に買い言葉で、ファリスさんとレナに『そんなに言うなら、もう来なくてもいいわ!』と言ってしまったという感じでしょうか」
ファリスさんは、正にその通りという様に目を見開いて頷く。
レナも涙目で力一杯頷いた。
俺は泣き出しそうなお嬢様を見て苦笑した。
俺は、三人のメイドの意図が分かり、フツフツと怒りが湧いてくるのを感じた。
俺は、腹の底に燻る火を押し込めて、三人のメイドに目線を向ける。
俺の鋭い視線に一瞬怯むが、まるで悪びれも無く、クワドラはこちらも睨み返して来た。
「さて、クワドラさん、と言いましたっけ?お嬢様から頂いた物をお嬢様に返して頂きたい。その豪華な腕輪も、そちらの二人の髪飾りもブローチも、元はお嬢様の物ではありませんか?」
俺はお嬢様の手を離すと、三人のメイドに向き直った。
三人は、それぞれ貰ったであろう宝石を、視線から外す様に隠した。
「こ、これはお嬢様が私達への働きを認めて下さったから下賜して下さったのよ?!盗んだ物でもあるまいし、返す理由なんてないじゃ無い!」
「お嬢様、三人はお嬢様の宝石類を見て、何と言っていたのですか?」
俺が聞くと、お嬢様ではなく、ファリスさんが口を開いた。
「お嬢様がドレスに合わせて装飾品を選んでいる時、とても素敵、羨ましい、一生に一度でいいから、私もこんな物身につけてみたいと、しきりに何度も繰り返していたのです」
「それで、わたくしはクワドラの肌の色なら、この腕輪が似合いそうねって話したの……」
「そ、そうです!そしたらクワドラさんは、まぁ!お嬢様、私に下さるんですか?!って……」
……最早貰ったと言っていいのだろうか。
強引にも程がある。
「そうしてお嬢様は、次々に装飾品を下賜されたのです。なのに……お嬢様にはこのドレスが似合うと似合わぬドレスを押し付け、影でこの三人は笑っていたのです!その靴もそうです。履き慣れぬお嬢様を困らせる為です!」
そうだろうと思った。
お嬢様は、新しく入った三人の言葉を跳ね返せず、言う通りのドレスを身に付けたのだろう。
令嬢達のお茶会といい、女性というのは本当に恐ろしい…。
思っている事と口にする言葉が違い過ぎる。
お嬢様には、まだそれを見極めるだけの経験と目が育っていないのだ。
俺はファリスさんとレナを交互に見て、口を開く。
「では、ファリスさん、レナ。お嬢様にもうお仕えしなくて結構です。明日からお嬢様の事は、この三人に任せましょう」
俺は手のひらを上に向け、三人のメイドを指し示した。
ファリスさんとレナが、俺の言葉に絶句した。
お嬢様も顔を真っ青にして俺を見ている。
それとは真逆に、三人のメイドは口元を歪めて笑った。
「リ、リオン……」
「お嬢様が来なくてもいいと仰ったんですよね?それで宜しいと思います。さあ、貰った物も返して下さい」
俺がそういうと、二人は呆然と立ちすくんだ。
そして、瞳を諦めの色に染めると、やがて無言で部屋を出て行った。
「さ、流石お嬢様お気に入りの使用人ですわね!ご立派ですわ!」
「本当!リオンと言いましたっけ?使用人の鏡ですわね!」
「それより、見ました?二人の顔……私可笑しくて……」
三人が心無い言葉を吐く。
聞いているだけで気分が悪い。
お嬢様もそう感じたのか、再び手を堅く握りしめた。
すぐにファリスさんとレナが、何かを抱えて戻ってきた。
テーブルの上にそれを置くと、レナは声も無く涙を零した。
テーブルの上に置かれたのは、使いかけのシャンプーリンス。
それから、残りが後すこしの使いかけの糸巻き。
それから何かの花の栞だった。
栞は揃いの物の様で、二つの栞は花も、つけられたリボンも同じ物だった。
つけられたリボンだけは、随分上等なリボンだ。
「……お嬢様に頂いた物は、これで全てです……後は、全てお返ししました……」
「まぁ見て……あの栞……」
「ほんと……でも二人にはお似合いじゃない?」
「この栞…。」
栞を見て嘲笑うメイド達の言葉も耳に入らない様に、お嬢様はテーブルに置かれた栞を、そっと手に取った。
「これ……二人が好きだって言った花だわ……」
お嬢様が、懐かしそうに栞の花を愛でる。
「私の部屋に飾られていたのを二人が見て、好きな花だというから、私あげたのよ……それに、このリボン……」
お嬢様が手に持った栞のリボンをそっと撫でる。
「これも二人が欲しがってたから、一巻き上げるって言ったの。でも二人はこれで充分だって笑って……切れ端だけ持っていったのよね……あの時は、そんな端っこ何にも使い道なんてないじゃ無いって……私……言ったのよ……」
お嬢様が、釣り上がった目に浮かべた涙を、流すまいと堪える様に唇を噛み締めた。
俺は、そんなお嬢様と、お嬢様を見つめるファリスさんとレナを交互に見つめる。
そして、お嬢様にハンカチを差し出しながら、静かに話し始めた。
「お嬢様。もうお分かりになったはずです。ファリスさんやレナが、なぜ贈り物を受け取らなかったのか。なぜ、そんな事をしてはいけないと、お嬢様に仰ったのか」
「…………………」
俺の言葉に、お嬢様は涙を拭う事もせず、ハンカチを握りしめてボロボロと涙を零した。
俺は、ファリスさんとレナをお嬢様の傍に呼ぶ。
二人は、躊躇いがちに此方に近寄って来た。
俺は、一呼吸置いて話し始めた。
「二人は、そんな物なんか無くても、お嬢様の傍にいると言ったのです。物なんか貰わなくても、お嬢様に対する想いは変わりません。それを分かって欲しいから、要らないと申しあげたのです。お嬢様が良かれと思って物を差し上げたのも分かります。しかし、物で人との距離を埋めてはいけません。そうする事によって近づいてくるのは、お嬢様の為に行動する者ではありませんから」
お嬢様は、涙でグチャグチャの顔のまま、真っ直ぐ二人を見つめた。
二人は、優しい瞳でお嬢様を見た。
お嬢様は、レナの手を取り、そのままファリスさんの胸に飛び込んだ。
「お嬢様も、もう言い過ぎたと分かっているみたいですから、俺からは特に言う事はありません」
「……リオン?」
「お嬢様は二人に言い過ぎたのを謝りたい。違いますか?」
「…ええ……そうよ……」
「なら、ごめんなさいと一言言えばそれで元通りです。何もそんなこの世の終わりな様な顔をしなくても大丈夫です」
俺は、お嬢様の手のハンカチを取ると、目元を優しくふいた。
俺に促され、お嬢様は二人に小さな声でそっと言葉を溢した。
「二人とも……ごめんなさい……もう来なくてもいいなんて、そんな事思ってない……ただ、喜ぶと思っただけなの……」
お嬢様の呟きに、二人は揃って慌てて首を振った。
「そんな!私達こそ、お嬢様にもっと分かってもらえるまで話せば良かったのです!」
「お、お嬢様が気にすることではありません!」
「ファリス……レナ……」
三人は、よく集まって刺繍している時の様な笑顔を取り戻した。
俺はホッとして三人を見つめる。
でも、これで終わりでは無い。
俺は白けた目で此方を見ているメイド三人に目を向けた。
三人を見据えたまま、お嬢様に問いかける。
「お嬢様。お嬢様は、私と歴史の勉強の時、こうして欲しいと話した事、覚えてらっしゃいますか?」
俺は一歩三人のメイドに近付く。
三人共、まるで親の仇でも見るかの様な顔で俺を見ている。
「ええ、覚えてるわ。」
「では、この三人がどういう意図を持って、お嬢様と接していたか。お嬢様の事をどう思っていたのか。お嬢様ももうお分かりになったのではありませんか?」
お嬢様は、涙を拭き、見る者を惹きつける強い瞳で三人を見た。
その瞳を受けた三人は、蛇に睨まれた蛙の様に動きを止めた。
「ええ。……自分達を止めようとするファリス達が邪魔だから、嘘をついて私から二人を引き離して、私の無知を利用して装飾品を手に入れて、似合わないドレスを似合うと褒めて、影で馬鹿にしていたのね……」
「お、お嬢様、それは誤解です!」
「そ、そうです!リオンの言う事を間に受けないで下さい!」
「憶測で物を言うのはやめて下さいませ!」
お嬢様は、冷たい瞳で三人を見たまま、視線を晒さなかった。
ピンと背筋を伸ばし、真っ直ぐに三人を見つめる。
「……二人はね、似合わないドレスは、似合わないってハッキリ言ってくれたわ。こんな踵の高い靴も、子供の内から履くべきではないと、選んだ事もなかった。料理だって、私の為を思って少しでも多く食べようとすると、注意してくれてたのよ」
お嬢様は、あの日俺に誓ったような強い決意を宿した瞳で話し続けた。
その姿勢は、全くブレる事なく胸を張って語る姿は、見る者の目を離さない。
「今までに差し上げた物は、全て差し上げます。お父様に告げ口する様なことも致しません。でも…私の世話は二人がしてくれます。貴方達は元の仕事に戻って、もう二度と私の前に顔を出さないで下さいませ」
そう言って、ニコリと笑ってお嬢様は扉を手のひらで指し示した。
公爵令嬢としての気高さを見せたお嬢様を前に、三人は一言も発する事が出来ない。
そして、ハッと我に返り、三人顔を見合わせると、青い顔をしたまますごすごと部屋を出て行った。




