ウルムナフ工房
「……これは、もう一度工房を調べ直さないといけないかもしれませんね。私も、全ての工房を調べた訳ではありませんから」
「資料によると、次が最後ですね。ウルムナフ工房…陶芸品の工房の様ですね」
「時間的にもこれ以上長引くと暗くなります。夜道の馬車は危険ですから、遠慮したいですね」
俺は持ってきた資料を、もう一度眺める。
ラントールから少し離れた、東のサルキア川の近くの工房だ。
「見えてきました。あれだと思われます」
ジュダスさんが、窓から外を眺めて指差す。
俺も窓から様子を伺うと、こじんまりとした工房が見えてきた。
隣には大きな煙突が特徴的な小屋と、工房を挟んだ反対側には、陶芸品を冷ますと思われる小さな小屋が建っていた。
「随分小さいですね」
「ジュダスさんの資料によると、親子二人で経営しているようですよ」
「ああ、工房としては小さいんですが、腕がいいと評判の陶芸工房だと聞きました」
ジュダスさんが資料を作った時の事を思い出したのか、手を打った。
「では、時間も無いですし、早速行ってきますね」
「はい、では私も後から行きます」
俺は、急足で工房へと向かう。
ノックをしようと木の扉を叩くと、建て付けが悪いのか扉が開いた。
中からは、固い何かを叩いている様な音がする。
俺はそっと中を覗き込んだ。
奥からは明かりが漏れているが、ここからは何も見えない。
「すみません。仕事を頼みたいですが!」
声をかけても誰もやってこない。
奥からは、石を砕いたような音が響いてきた。
俺は、もう一度声を張り上げて中の人に呼び掛ける。
「すみませーん!仕事を頼みに来たんですがー!」
すると、中の人から大柄な男性が近付いてきた。
歳の頃は40代位だろうか?
日に焼けた肌と、一つにまとめた白い長い髪が特徴的だ。
見るからに職人、と言う様な気難しそうな雰囲気を纏っている。
「初めまして!仕事を頼みたいですが」
「…そんなに何度も言わなくても聞こえている。なんだ」
「直してもらいたい物があって来たんだけど、おじさん出来る?」
俺は他の工房と同じ様に、バッグからコサージュと髪飾りを出した。
「これなんだけど、直せるかな?」
「…見せてみろ……」
無骨な印象だが、俺がハンカチに包んだ髪飾りを見せると、ハンカチごと丁寧な手付きで受け取った。
「…ちょっと待ってろ」
「うん!」
工房の奥へと戻って行った工房長の後ろ姿を見送り、すぐに俺は外に出た。
俺に気付いて、すぐにジュダスさんがやってきた。
俺は口の前に人差し指を一本立てて、シーと効果音を吐く。
「すみません、もう少し後に入ってきて下さい。タイミングはジュダスさんに任せます」
「え?リオン、どういう……」
「すみません、いつ直し終わるか分からないので直ぐに戻らないと!」
俺はジュダスさんに早口で説明して、直ぐに中に戻った。
ジュダスさんなら何とかしてくれるだろう。
俺が戻ると、さっき工房長と話した所に、女の子が立っていた。
「あなたがさっきの髪飾りを持ってきた子?」
好奇心旺盛な瞳を輝かせて、女の子が口を開いた。
勝ち気そうな雰囲気で、工房長と同じ白い髪を二つに結んでいる、可愛い女の子だ。
「そうだけど?」
「布の薔薇を持ってたって聞いたわ!見せて!」
工房長に聞いたのだろうか。
この工房は、親子で経営していた筈だから、娘さんかな?
俺はバッグからお嬢様のフリルで作った、薔薇のコサージュを取り出して、女の子に見せた。
「うわぁ!すっごく可愛い!それに……凄く上等なフリルね……」
コサージュを手に取るかと思ったが、女の子は俺の手から取る事なく、珍し気にコサージュを見つめた。
「ねえ、これ、後ろはどうなってるの?」
「見てもいいよ?」
俺がコサージュを差し出すと、女の子は凄い勢いで首を振った。
「やだ!こんな上等な物汚したら弁償出来ないわよ!……何?まさかあなた、そういう詐欺?後から怖いおじさんが入ってくるんじゃ……!」
「何言って……」
「リオン、どうなりましたか?」
ジュダスさんが、それはもうナイスタイミングで現れた。
ある意味ベストタイミングと言う人もいるだろう。
俺と女の子は同時に顔を引き攣らせる。
「やっぱりあなた……」
「違いますよ!誤解です!誤解!」
流石のジュダスさんも状況が分からない様で、下手を出さないよう黙っている。
「…何を騒いでいる」
そこへ、丁度工房長がハンカチに包んだ髪飾りを持って戻ってきた。
ジュダスさんは、もう状況を把握しつつある様だ。
「リオン、シュトラーダ公爵令嬢の髪飾りは、直せそうですか?」
「…これでいいか?」
工房長は、特に慌てた様子も無く、そっと髪飾りを差し出す。
女の子も、工房長の直した髪飾りを好奇心旺盛に見つめている。
髪飾りは、取れてしまっていた花の部分が、綺麗に元に戻っていた。
「……はい。完璧です……」
俺は、直した後の分からない事に感動して、直った髪飾りを見つめる。
「お代はいくらですか?」
「…いらん。大した事はしていない」
「そういう訳には……」
「もー!父さんったらまたそうやって!くれるって言うんだから貰っておけばいいじゃない!」
女の子が工房長に物申すが、もう工房長は入ってきた時と同じように、奥の作業台に戻って石を叩き始めた。
「じゃあ、お代の代わりにそれ、見せてくれない?」
「…おい、ノア」
「いいじゃない!父さんはお代貰わなかったんだから、あたしが貰っておくわ」
ノアと呼ばれた女の子は、自分のハンカチを出すと、そっと俺の手からコサージュを手に取った。
「見て、父さん、これフリルで出来てるのよ」
「…見れば分かる……」
「ラントールじゃ見たこと無いわ。ねぇ、王都では、こういうのが流行ってるの?」
ノアは、さっきまでの雰囲気からは想像も出来ない程、真剣にコサージュを見つめている。
「少し生地の質を下げれば、ラントールでも売れると思うわ。この辺じゃ見た事ないもの。……これ……コサージュをもう少し小さくして、10個位繋ぎ合わせたカチューシャにしたら、原価の割に高値で売れそうじゃない?」
……………。
俺は、ジュダスさんを見た。
ジュダスさんは、今までのニコニコした黒い笑顔ではなく、少し嬉しそうに口元を綻ばせていた。
俺の心は決まっていた。
俺は、ジュダスさんに頷いて見せると、この工房、ウルムナフ工房の工房長、ヨシュアさんに近付く。
「ヨシュアさん、どうか、私達が売り出す商品を、こちらで作って頂けないでしょうか?」
俺は決意を新たに、このウルムナフ工房の親子に商品を作って欲しいと、期待に胸を膨らませ、勧誘を始めた。
ノアは、話しについていけない様だ。
俺とヨシュアさんを交互に見て、小首を傾げている。
しかし、ヨシュアさんから返ってきた返事は、拒否だった。
「…断る……」
「お話しだけでも聞いてくれませんか?!」
俺は、なんとしてもウルムナフ工房に仕事を引き受けて欲しい。
作っている物は違っても、シャンプーリンスは作る工程自体はとても簡単だ。
二人なら全く問題はないだろう。
色々理由付けてはいるが…。
要は…。俺はこの二人を気に入ってしまったんだ。
もうこの二人以外には考えられない。
しかし、今まで回った工房での対応とは逆で、こちらが取り付くシマもない。
俺の焦りを見てとったのか、ジュダスさんが口を開いた。
「私達は、シュトラーダ公爵令嬢が新しく売り出す商品を作って貰える工房を探していました。是非、こちらの工房で作っては頂けないでしょうか。利益も見込めますし、初期投資や、機材などはこちらで揃えさせて頂きます。お話しだけでも、聞いてみる価値はあるかと存じます」
ジュダスさんが、俺に代わって言いたい事を上手く伝えてくれた。
ヨシュアさんは、静かにハンマーを置くと、ゆっくりと此方を見た。
「…あんた達が新しく商品を作りたいのも、それを売り出すのが公爵様なのも、それが売れそうなのも、本当なんだろうよ」
「では……!」
「…だけど、俺ぁ人を試そうってのが気に入らねぇ。黙って試して、それで気に入られて、何だってんだ。知らない間にふるいにかけられて、残ってありがとうございますってか?」
俺は、そう言われて恥ずかしくなった。
そんなつもりはなかったが、何処かで奢っていたのだろうか。
異世界の商品を売るのだから、売れて当然。
売れる商品を売り出すのに、工房を選びたい。
そんな、選ぶ側の優越に。
顔が燃える様に熱いが、俯く事だけはしてはならない。
真っ直ぐヨシュアさんの視線を受け止めて、話の続きを聞いた。
「…髪飾りのお代は、ノアが貰ったみたいだから、これで帰ってくれ」
「父さん!」
気遣わし気なノアの瞳を感じる。
ヨシュアさんはもう此方を見る事もなく、ハンマーを持ち直した。
「リオン……」
ジュダスさんも、困った様に俺に目線を向ける。
俺は、深くお辞儀をして、もう一度口を開いた。
「……そんなつもりがないとはいえ……結果試す様な事をした事は心から謝ります。不快にさせて……すみませんでした。……今日はこれで失礼します……髪飾り、本当にありがとうごいました。お嬢様が喜ぶと思います」
「………………」
俺は、そう言ってもう一度頭を下げた。
そして、俺も振り返らず工房を後にした。
ジュダスさんも、挨拶をして工房を出てきた。
俺達は、無言で馬車に乗った。
「……私は……何も間違っていないと思いますけどね。売り出す商品が高額である以上、作り出す職人との間には、ある程度信頼が成り立たなければ成立しません。自分が信頼出来そうな人物か、見極め様とするのは当然の事です」
珍しくジュダスさんが慰めてくれている。
俺は、走り出した馬車の窓から、遠くなっていく工房を見ていた。
「……ジュダスさんが言う事も正しいと思います。俺もそう思って、今日行動をしてきましたから。……でも……」
「でも?」
「……俺は、ヨシュアさんの言い分も分かります……試す様な事をせず、ただ依頼して、話し合ってどんな人か見極めれば良かったのですから」
「………………」
「……それでも……俺は諦めません。ジュダスさん、俺はウルムナフ工房で商品を作りたい。明日もう一度、俺に付き合ってくれませんか?」
俺がそう言うのを分かっていたかの様に、薄く笑うとジュダスさんは頷いた。
「いいでしょう。リオン。君がどうやって彼らの信頼を勝ち取るのか、見せて頂きましょう」
「ありがとうございます!……でもその前に……馬に乗る練習をしないといけない気がします……」
毎回一時間半かけて、ラントールに来るのは大分タイムロスだ。
ウルムナフ工房は、ラントールより更に南西に30分程移動した先にある。
片道ニ時間弱かかる。
それに馬車を借りるお金より、馬を借りた方が安いというのもある。
「確かに馬車の料金はまだしも、時間の問題は深刻ですね……リオンがいいなら、明日は私が君を乗せて、乗馬しても構いませんが……」
「本当ですか?!」
「君を抱いて馬に乗るのが、この工房巡り一番の悪夢ですね」
「あ……あはは……」
冗談でも何でもなさそうな顔で、ジュダスさんが渋っているが、時間が大幅に短縮出来るのも事実だ。
どうやら俺を抱いて乗る事に、葛藤している様だ。
だが、秤にかけた問題は、すぐに時間の方が重要と割り切って、明日は馬で行く事が決まった。
なるべく早く一人で乗れる様、覚えなければ。
帰りの馬車では、ウルムナフ工房の事に始まり、乗馬の話、明日の予定を話している間に屋敷へと戻ってきた。
時刻は、八時を回っていた。
始めての遠出だったので、疲れているつもりはなかったが、身体が重い。
気付かず気を張っていたらしい。
「では明日、今日と同じ時間に。明日は正面玄関に直接来て下さい」
「分かりました。今日は本当にありがとうございました。明日も宜しくお願いします」
「……すぐに休んだ方がいいでしょう。それでは」
ジュダスさんは、何か含みがある様言い淀んだが、言葉にする事なくその場を去った。
俺はワトソンさんに残った仕事の確認をして、お嬢様にしばらく勉強に出れない事を、伝えて貰える様頼んだ。
俺は残った仕事を片付け、その日はすぐにベッドに潜り込んだ。
何時迄もくよくよしてはいられない。
俺は、ヨシュアさんの言葉を思い出し、話を聞いて貰える様、真摯な態度で臨もうとそっと目を閉じた。