シュトラーダ公爵領と工房の条件
いつも通り、時間より少し早く起きると、手早く身支度を整えワトソンさんの元へと向かう。
「ワトソンさん!おはようございます!」
俺は、パントリーでワトソンさんを見つけて横に並ぶ。
いつも時間より早く起きるのに、ワトソンさんは更にその上を行く。
ちゃんと寝てるんだろうか。
「リオン、今日は旦那様の領地に行くと聞きましたが?」
どうやらジュダスさんが説明してくれていたらしい。
それでも、やっぱり自分の口から説明もするだろうけど。
「はい。商品を作る工房を決めるのに、シュトラーダ公爵領に行くか事が決まりました。今日決まればいいんですが、数日かかるかもしれません」
「分かりました。こちらの事は気にせず、しっかり努めて下さい」
「はい……こんな事、ワトソンさんに言うのも変かもしれませんが、ワトソンさんこそ、無理しないで下さいね」
「ははは、ありがとうございます」
「窓拭きだけはやってから行きますね」
「それは助かります。では任せましたよ」
俺はパントリーを出て、素早く掃除部屋から用具を取って、西の窓拭きを終わらせる。
窓拭きを終わらせると、丁度時間の少し前だった。
俺は急いで用具をしまい、手を洗って部屋に戻る。
俺は大きめのショルダーバッグを開け、忘れ物がないか確認する。
メモ帳、ペン、ハンカチ、小銭、ジュダスさんのくれた資料。
それから交渉に必要な物数点。
これは昨日お嬢様に借りた物も入っている。
忘れ物が無いことを確認して一息ついた時、部屋にノックの音が響いた。
時間ぴったりだ。
「おはようございます、ジュダスさん」
「おはようございます。準備は出来ていますか?」
「はい。ばっちりです。 」
「では行きましょう。シュトラーダ公爵領には、馬車で一時間と三十分かからない位かかります。今から出ても着くのは昼前でしょう。急ぎますよ」
ジュダスさんに続いて部屋を出て、玄関前に馬車が止まっている。
初馬車だ。
異世界転生しないと、生涯で乗る事は無いかと思われる。
俺は、ドキドキしながら馬車に乗り込み、公爵領へと出発した。
馬車に乗って暫くすると、ジュダスさんが俺に質問を投げかける。
「リオンは、これから向かうシュトラーダ公爵領について、どれくらい知っていますか?」
「残念な事に、ほんど知らない……というのが本音です。不勉強ですみません……」
俺の返事は予想していた様で、ジュダスさんは頷くと説明を始めてくれた。
「旦那様の治めるシュトラーダ公爵領は、王都の南に、馬車で一時間半、馬で三十分程の距離に位置しています。主な特産品は、麻、陶磁器、食べ物ですとチーゴです。特に他領に差を付ける程、これといって目立った特産品はありません」
特産品か……。
やり様によっては、いくらでも盛り立てられそうだけれど。
俺はメモ帳を取り出し、書き込みながら特産品に二重丸をつける。
「気候はやや暖かく、北に王都、西にすぐの位置に次の他領。東にはサルキア川、南には穀物地の先にいくつか町や村が広がっています。王都に近いので、平民の数がとても多く領地も広いです」
前世で言う所の、首都は家賃が高くて、住めたとしても狭い。
広い家を借りるには、富裕層である貴族が多くなる。
少し離れると通勤は大変だが、家賃が安くて広めの家を借りられる。
なので、平民が多いという所か。
「なので、この商品が領地の特産品になれば、より領地を活性化させられるでしょう」
「それは責任重大ですね」
「それが分かれば結構です。それと、私は君が子供だからと甘やかしたり、無条件で助ける事はありません。質問や相談は受け付けますが、自分の力で解決して下さい」
「はい。それで構いません」
俺は苦笑しながら頷くと、ジュダスさんは面白くなさそうに窓の外に視線を移した。
「あ、確認なんですが、これから行く公爵領でも、通貨の価値は王都と変わらないんですか?」
「説明不足でしたね。多少のズレはあると思いますが、大きな差は有りません」
王都のすぐ隣の領地だから、大きなズレはないと思っていたが、当たっていて安心した。
持ってきた物も活かせそうだ。
そうして、一時間程馬車に揺られ、俺達は公爵領に辿り着いた。
始めてのこの世界での遠出だ。
初馬車の感想だが…。
これに乗って一時間半かけて帰る帰り道を想像しただけで、もうお尻が痛い。
これは早急に、馬に乗る訓練をした方が良いのではないか。
「ここが、シュトラーダ公爵領の中心街ラントールです」
馬車から見える街中は、王都の街並みと余り変わらない様に思える。
街は人通りも多く、賑わっている様だ。
ジュダスさんもそれに気付いたのか、説明をしてくれた。
「中心街というのは、公爵領の真ん中という訳ではありません。この領地の一番賑わっている街になります」
なるほど。
領地の最大値がここという訳か。
ここは王都に一番近い場所だ。
王都に行く為に街を通る人も多い。
という事は、王都から離れると人も活気も減っていくという事だ。
旦那様は、領地全体の活性化を望んでいるという事か。
「ラントールの街は、王都に近い事もあり、市が毎日開いています。宿場や飲食店も多いです」
街には、市が開かれているのが見え、背の高い建物には、ホテルなどの看板がかかっている。
「まず近い所から回って行きます。この辺りの中心部にはチェックした工房が二つあります。そこから先に見て行きましょう」
「はい。お願いします」
十分程走らせた馬車が止まった。
どうやら着いた様だ。
ジュダスさんが綺麗な所作で馬車を降りる。
俺もそれを見て、出来るだけ同じ様に降りようとしたが、身長の問題でスマートには行かなかった。
今後に期待だ。
「ここが、領地で一番王都に近い工房になります。資料の一番最初の工房です」
「美容品を作っている中規模の工房でしたね」
「はい。では行きましょう」
「あ!待って下さい!」
俺は、早速工房に入ろうとしたジュダスさんを止める。
ジュダスさんは予想通り、それはそれは嫌そうな顔をした。
「何ですか」
冷ややかな声で不機嫌さを隠さない所は、ある意味この男が素直である事の証明の様な気がして、苦笑が漏れる。
「まずは、俺が一人で交渉に行きます。ジュダスさんは、5分立ってから中に入ってくれませんか?それから、入ってきたら、お嬢様の髪飾りを直せるか聞いて下さい」
俺のお願いに、ジュダスさんは訳が分からない風だが、了承してくれた。
「五分立ったら入って、お嬢様の髪飾りを直せたか聞くんですね」
俺は頷いて、肩からバッグを下げ、工房へと向かう。
「こんにちは!仕事の依頼で来たんですが!」
俺は大きな重い扉を開き、要件を伝えながら工房の中を見渡す。
中では職人が、大きな鍋で何かを練ったり、缶に詰めたり、湯を沸かしたりと、至る所で色々な作業が行われている。
スッと視界が暗くなったかと思うと、工房長と思われる恰幅の良い男性が前に立った。
「なんだ、ここは子供の遊び場じゃないぞ。とっとと出て行け」
邪魔者がやってきたと言わんばかり、シッシッと手を振り追い払おうとする。
俺は持って来たバッグから、お嬢様の壊れた髪飾りと、薔薇のコサージュを取り出す。
この薔薇のコサージュは、お嬢様の洋服からお嬢様がリメイクした物だ。
そして、壊れた髪飾りだけを工房長に差し出した。
「これを直して欲しいんだ!出来ないですか?」
「んん?うちは美容品作ってるんだ。他所に行ってくれ!」
「そこをなんとか!凄く困ってるんだよ!」
「ダメだ。髪飾りを作ってる工房にでも持っていくんだな」
工房長は、俺が持っている髪飾りとコサージュを一暼し、取り付くシマもなくそっぽを向く。
丁度後ろから、ジュダスさんが入ってきた。
何処からか、一部始終見ていたのではないかという位タイミングが良い。
「リオン、どうですか?こちらではシュトラーダ公爵令嬢の髪飾りは直せそうですか?」
新しく入ってきたジュダスさんの身なりと所作、そして発言に工房長が、顔色を変える。
「こちらでは難しいそうです」
「ちょっとお待ち下さい!」
工房長が慌てて俺の肩を持つ。
「確かにうちは美容品を作っていますが、できない事は有りません!もう一度見せて頂きませんか?」
「いえ、やはり新しい物を買って帰ろうかと思います。リオン、行きますよ」
「お待ち下さい!五日…いえ、一週間頂ければお直ししましょう!」
俺はジュダスさんと視線を合わせる。
「それだと三日後のお茶会に間に合いません……シュトラーダ公爵には、親身になって頂いた事はお伝えしますので、お気持ちだけ頂戴します」
ジュダスさんの言葉に、工房長はホッと息をつくと、是非工房で作っている美容品をお嬢様にと、色々持たせてくれた。
俺達は、時間が押していると丁重に断り工房を出た。
馬車に戻って次の工房に向かうジュダスさんが、とても楽しそうに口を開いた。
「全くリオンも悪質ですね。それで?この工房はどうですか?」
結果が分かっているのに聞くジュダスさんの方が、たちが悪いと思うのだが、それは口にしない方が賢明だろう。
「はい。俺が確認したいのは五つです」
俺は右手をパーにして、説明を始める。
「まず、子供の俺の話を取り合ってくれるのかが一つ目。そして、畑違いの商品を直して欲しいという問題を、どう解決するかが二つ目。更に直して欲しい、お嬢様の壊れた髪飾りから価値が分かることが三つ目。売れそうな物が、自分が作っている分野と違くても、利益になるなら作ろうとするかが四つ目。最後に私達の仕える主人が誰か、それが分かった時の反応が五つ目。この五点が、俺の想った物と同じ工房と契約したいと思っています」
「その条件を元にすると…。今の工房では当てはまりませんね」
馬車に戻ったジュダスさんが、楽しそうにクスクス笑っているのを見て、俺は首元がヒヤッとする様な寒気を感じる。
ジュダスさんは絶対に敵に回したくない。
むしろ、半分位俺を敵に見ていそうだ。
馬車が次の工房に向かって動き出す。
窓からは、工房長と従業員が、まだ頭を下げているのが見えた。
「当てはまらないというのはそうですが……街の中心街近くに工房を持っているので、やり手だとは思いますよ。ただジュダスさんへの対応でも見た通り、雇い主は貴族で、顔色をうかがいながら接しているのではないかと思いました」
「ご機嫌を取ってのし上がったらという事ですか」
大分オブラートに包んだのに、物の見事に直球を返された。
まぁ、俺の予想なのだが、あながち間違ってもいなそうだ。
「最初はこの工房巡りも、頼まれたはいいが、至極面倒臭いと思ったものですが、これなら退屈する事が無さそうです」
酷い言い草である。
しかし付き合って貰っている手前、文句も言えない。
いや、付き合って貰っていなくても、後が怖くて文句なんか言えない。
「次の工房が見えてきました。先程と同じ手筈でいいですか?」
「はい。宜しくお願いします」
俺は馬車を降りて、先程と同じ様に次の工房に向かった。
さっきの工房から余り距離は離れていないようだ。
俺は同じ様に、バッグを握りしめて工房の扉を叩いた。
「……なかなか上手くいきませんね」
ジュダスさんが、昼食に入った食堂で、頼んだソーセージを突っつきながら愚痴をこぼす。
あれから直ぐ近くにあった工房は、同じ人が経営しているのかと思う程、対応が全く同じだった。
次の工房に行くまで、ジュダスさんがニヤニヤしていた。
王都に近いせいか、店を構える場所が、その工房長の性格を表している様な気がする。
見栄っ張りとかは、この部類ではなかろうか。
「四軒目の工房は、感じは良かったんですけどね」
俺は四軒目に訪れた工房を思い出しながら、何かを煮込んだシチューを口に運ぶ。
肉に臭みがあって、何の肉かは分からなかった。
四軒目の工房は、工房長が気のいいおじさんで、俺が子供でも随分親切に接してくれた。
「あれは、ただ単に子供好きだった様に思えますが?」
「それも一理ありますね」
「時間はありますし、少し中心街から外れますが、まだ工房はあります。早速向かいましょう」
俺はバッグから小銭を取り出そうとして、ジュダスさんに止められた。
「まさか、子供の君の分さえ私が払えないと?」
「……ご、ご馳走になります……」
「宜しい」
厳しいのか優しいのか。
俺はお礼を言って、ご好意に甘えてご馳走になった。
料理は二人で中紫硬貨8枚だった。
一人前四百円といったところか。
馬車に乗り、次の工房へと移動を始める。
しばらく走ると、馬車の窓から見える景色が少しずつ寂しくなってくる。
中心街が見た目を重視した華美な造りなのに対して、中心街から離れたこの辺りは、実用性を重視した質素な造りだ。
人通りも、馬車が走るに連れ、段々少なくなっていく。
俺達は、その後も六件の工房を除いたが、条件に当て嵌まる工房はなかった。
「なかなか難しい物ですね……」
「惜しい所はあるんですが……付き合って頂いているジュダスさんには申し訳ないんですが、出来れば妥協したくないんですよね……」
「私は、妥協する必要は無いと思いますが?」
俺はそう言ってくれたジュダスさんの言葉が、すぐに善意からでは無い事に気付いた。
これから、ずっと付き合って行くかもしれない工房だ。
決めて気に入らなければ、すぐに違う所と契約すればいいほど、簡単な問題ではない。
だから、妥協するべきではないとジュダスさんは言っているのだ。
しかし、ここまで見つからないとは思わなかった。
残念だが、公爵領ではもしかしたら、見つからないかもしれないな……。
そんな雰囲気が漂い始め、俺は日が傾き始めた空を、馬車の窓越しに眺めていた。