通貨について
午後の勉強も終え、俺はお嬢様を部屋に送った。
勉強初日だったが、メイベル先生が良い先生で良かった。
残りの掃除をして、いつも通りルークさんの所で薪を貰って、バーバラさんに届ける。
シフさんが、お嬢様のオヤツに作った、おからのナバナパウンドケーキの残りをくれた。
俺はお礼を言って受け取ると、ジュダスさんとの約束に備えて部屋に戻る。
窓際に置かれたベッドに腰掛け、もらった資料を順番に読んでいく。
資料には、工房の名前、工房長の名前、従業員の人数、工房のある場所、それから主にその工房で何を作っているかが書かれている。
資料を眺めていると、部屋をノックする音が響いた。
誰だろう?まだジュダスさんとの約束の時間には早い。
「はい」
「ジュダスです。お話しに伺いました」
誰かと思うと、現れたのはジュダスさん本人だった。
俺は慌ててドアを開けて、左手を胸に当て礼をする。
「今お伺いしようと思っていたところです。わざわざ来て頂きありがとうございます。狭いですが、どうぞ」
「時間が空いたので早めに済ませようと思ったまでです」
ジュダスさんが部屋に入ってくる。
俺は、小さなテーブルの前の、一つしかない丸椅子を差し出した。
「すみません、これしかないのですが……」
「構いません。それより時間が勿体ないです。早速、この国の通貨の種類と、お金の相場の話をしましょう」
ジュダスさんは、気にせぬ様子で丸椅子に座った。
俺は立ったままメモ帳を開く。
部屋が狭いので、俺はドアの前に、ベッドの横に置いてある小さなテーブルの前の丸椅子に、ジュダスさんが座った。
「まず、通貨の説明から始めます。一番価値が小さい物が、この小紫硬貨です。これが10枚で中紫硬貨1枚になり、この中紫硬貨が10枚で、大紫硬貨1枚となります」
ジュダスさんがテーブルの上に小紫硬貨から大紫硬貨までを並べる。
小さい物は一円玉くらいで、中くらいの物が百円玉くらい。
大きい物が五百円玉くらいだ。
「次に、大紫硬貨10枚で小青銀貨1枚。小青銀貨10枚で、中青銀貨1枚。中青銀貨10枚で大青銀貨1枚です」
続いて、ジュダスさんは小青銀貨から大青銀貨を並べる。
大きさは、紫硬貨と変わらなそうだ。
でも、今の説明を聞くと、もう既にこの大青銀貨とか、凄い金額になるのでは…。
「その上に大青銀貨10枚で小白金貨1枚、小白金貨10枚で中白金貨1枚。中白金貨10枚で大白金貨1枚と続きますが、流石に私も持ち合わせがありませんので、現物は有りません」
それは、そうなんじゃなかろうか…。
そんな大金持ち歩いていたら、俺なら落ち着いていられないだろう。
「街で売っているママトやキャロは、一つ中紫硬貨1枚で売られています。パンが中紫硬貨3枚です」
中紫硬貨で既に100円くらいしそうだ。
なら小紫硬貨は1枚10円て事かな。
となると、大紫硬貨が1000円。
小青銀貨が1万円て所か?
中青銀貨1枚が10万円。
大青銀貨1枚が100万円…。
「…って!この大青銀貨凄い大金じゃないですか!そりゃその白金貨が無くても普通ですよ!ていうか、むしろよくこれだけ持ってますね」
「もう大体価値が分かったようですね」
白金貨に至っては計算するのも恐ろしい。
小白金貨1枚が1000万円。
中白金貨1枚が一億。
大白金貨1枚で10億。
とんでもない世界である。
ジュダスさんが慌てた様子もなく、お金を皮袋にしまっていく。
むしろ、あんな皮袋にまとめて大金を入れてる、ジュダスさんの方が信じられない。
俺は引き攣った顔でジュダスさんを見た。
「大体平民の一ヶ月の生活費は中青銀貨2枚前後といった所ですね」
余り前世とは変わらない設定な様で一安心だ。
全く違う設定だと、馴染むのに時間がかかるだろう。
「それを踏まえて、リオンはシャンプーリンスをいくらで売るつもりですか?」
ジュダスさんが、また挑発的な目で俺を見据える。
事あるごとに試されている。
ジュダスさんの信用を得るのが、一番難しいかもしれない。
「そうですね……ターゲットは貴族の女性の予定ですし、小青銀貨1枚から中青銀貨3枚ってとこでしょうか?」
「……その差は何ですか?」
「私が作ったシャンプーリンスには、香りが数種類あるんです。簡単に手に入るミントやローズマリーは小青銀貨3枚前後で、薔薇の花弁を絞ったエキスを入れた物は、一本作るのにも、薔薇を数十本使うので、もっと高く売ろうと思います」
「なるほど……同じ商品でも香りによって値段が違うと言う事ですか」
「はい。中青銀貨1枚は大金ですが、稀少な薔薇をふんだんに使っている事と、貴族の女性が好む、馴染みの深い香りだと思うので、売れない事は無いかと思います」
始めてこの世界に出回る、今までにない新商品である事と、貴族の女性がターゲットな事。
前世の千円前後のシャンプーを使ってた俺としては、その値段では絶対に買わないが…。
この世界の女性が、使っている女性の髪を見れば、絶対に使いたがるだろう自信はある。
「非常に残念ですが、値段設定は問題ありません」
「ありがとうございます……?」
なぜ残念なのだろうか。
少し納得いかないが、俺にはまだまだ聞きたい事、決めなければならない事が沢山有る。
「それから、この資料を読みました。とても分かりやすかったです。ありがとうございます。いくつか工房に直接行って、工房長とお話ししたいんですが、ジュダスさんの都合の良い日に、付き合って頂けないでしょうか?」
「構いません。昨日のライナス様とのお話しの時、そう言っていたので、いつでも合わせられる様調整しておきました」
流石、旦那様の従者である。
起こり得る事態に備えての備えが完璧過ぎる。
俺もいつかこれくらい、完璧に近づけるんだろうか。
いや、お嬢様も頑張っているんだから、俺も頑張らなくては。
「ライナス様の調整が終わって、商業連盟に登録に行くより前に、ある程度工房を決めておいた方がいいかもしれません。早いに越した事は無いでしょう。明日はどうですか?」
ジュダスさんが、そう提案してくれた。
今日勉強を始めて、次の日すぐ休むのは、お嬢様の手前申し訳ないが、こればっかりは早く決めた方が良いだろう。
「それでお願いします。出来るだけ沢山の工房を見たいので、午前からでもいいですか?」
「いいでしょう。工房なら働き始めも早いですし、問題無いでしょう。八時に迎えに来ましょう」
「分かりました。宜しくお願いします」
「もう質問は有りませんか?」
「とりあえず今は大丈夫そうです。工房に行ったらまた、質問も出るかと思いますが……」
「では、私は失礼します。明日の八時に、またこちらに伺います」
ジュダスさんは、来た時と同じ様に颯爽と帰っていった。
俺はお礼を言って見送る。
さて、気が重いがお嬢様に明日のお話をしに行かなくては。
お嬢様の事だから、私も行きたい!とか、もうリオンばっかりサボりじゃない!など言われそうである。
俺は、重い腰を上げてお嬢様の部屋に向かった。
いつも通り2回のノックの後、ファリスさんが出迎えてくれる。
部屋の中に入ると、お嬢様がソファで縫い物をしていた。
「あら、リオン。どうしたの?」
「お嬢様にお知らせがあってきました。残念なのですが……商会に売り出す商品を作る工房を取り決める為、明日の授業に出れなくなってしまいました……色々と決まるまでは、出れない日も多くなるかと思います。申し訳ございません」
俺が頭を下げると、すぐに文句が返ってくると思ったが、いつまで立っても何も返ってこない。
恐る恐る顔を上げると、お嬢様は下手くそな笑顔で、俺を見た。
「……そう……とても残念だけど、お仕事なら仕方がないわ!」
「お嬢様……」
お嬢様は、下手くそな笑顔のまま、口調だけは明るく応える。
多分、こうやって忙しい両親の前でも、仕事だからと自分に言い聞かせて、他でストレスを発散していたのだろうか。
でも、今ストレスストッパーとして、お嬢様の文句を受け止めている俺にまで、無理はしてほしくない。
「お嬢様。私には我慢しなくていいですよ?」
俺は、ゆっくり近付いてそっとお嬢様の手を取った。
お嬢様が下手くそな笑顔を剥がすと、クシャッと顔を歪めた。
「な、何よ……勉強は、いつも一緒だからって言ったのはリオンじゃない……」
「そうですね。私が悪いです」
「まだ一日目なのに、もう約束を破るなんて……」
「はい。全くもって不届き者ですね」
「折角メイベル先生だって、リオンを褒めてくれてたのに……」
「折角褒められたのに、これとは、失礼極まりませんね」
「もう!真面目に話してるのに!」
俺は、やっといつもの顔を見せたお嬢様に安心して、思わず笑みが溢れる。
「その調子です、お嬢様。やはり元気な方がお嬢様らしいですよ。しおらしいお嬢様なんて、らしくなくて気持ち悪いですよ」
「気持ち悪いは言い過ぎじゃないかしら?!」
先程のしんみりした空気が、笑いで溢れる。
ファリスさんとレナが、俺達のやり取りを見て笑っていた。
それを見てお嬢様も笑顔を見せた。
いつもの引き攣ったニヤニヤではない笑顔に、心の中でほっこりとする。
「では、早く工房を決めて戻って参ります。いつも笑顔で、姿勢正しく、散歩も勉強もサボらず、お食事もおかわりしたいと駄々を捏ねてはいけませんよ?」
「もう!そんなに口酸っぱく言われなくても分かってるわよ!」
俺は苦笑してお嬢様の手を離す。
お嬢様の為にも、工房を決めて早く授業に参加しよう。
ついでに、お嬢様に頼んで、いくつか交渉で使えそうな物を借りる事にする。
少し高価なものもあったが、俺は大事に包んで借り受けた。