怠惰な男 回想
テレビを眺める。
灯りも付けず、真っ暗な部屋。
敷きっぱなしの布団からは、嫌な匂いが漂っていたが、一弥は気にならなかった。
テレビに写るニュース。それが一弥にとっては誇りのようなものであり、引き返せない一本道への始まりでもあった。
スーツの男を殺してから半年、最早あのスーツの男に対して何の感情も抱けなくなった一弥は、ニュースキャスターの声をBGMに、ゆっくりと目を閉じ、一弥が手をかけた人達を思い返す。
毎回念入りに調査をした。
カップルの照れを含む笑顔を思い返す。お互いの未来のことでよく口論していた。女の方が感情的になりやすく、男は冷静なふりをしていた。女はアパレルの店員を勤めているだけあって、普段の笑顔は口角がしっかり上がり、人にさして興味を持たない一弥にとっても魅力的だと感じられた。男は証券の営業マンを勤めていて、口が上手く、偶然を装い居合わせた居酒屋で話をしたときも、分かりやすく面白い話を聞かせてくれた。一弥の知る中では最も理想に近いカップルだったと思う。「同棲している彼女に結婚の告白しようと思っているんだ。」と見ず知らずの一弥に告げた男の頬は酒のせいもあってか僅かに紅葉し、一弥はドラマのワンシーンみたいだと思いながら「応援してますよ。」と心無い言葉をかけたのも昨日のことのように思い出せる。
だが、そんなカップルは既に死んでいる。
一弥にはカップルの笑顔が羨ましかった。
一弥の持っていないものをまじまじと見せ付けられたような気分になり、そんな気分になる自分そのものが嫌いで、そんな自分の嫌いな一面を理解させてくるカップルへの憎悪も日に日に深まった。
「妬め、恨め、嫌悪しろ。」
悪魔は一弥に、その感情でカップルを殺せと急かしてきた。
告白に成功したと上機嫌な男の酒に市販の睡眠薬を粉状にしたものを混ぜて飲ませ、祝いだと言いながら更に酒を飲ませる。
「君に告白すると教えたことでようやく告白する覚悟が固まったんだと思うんだ。」と微笑む男を前に、一弥もまた、覚悟を固めていた。
酔い潰した彼を自宅に送り届けるふりをしながら、一弥は頭の中で悪魔とこれからの手順を振り返る。
「男はこのまま運べば良い。あとは首にロープをかけて、公園のブランコの棒の上をロープで跨がせて反対側から全力で引っ張るだけだ。女は首もとを隠した男を届けに来たと言って屋内に入り込み、男の指紋を付けた包丁で何度も刺せば良いだろう。」
女は彼等の自宅に放置し、男は熊の出るという山に切り分けて放棄した。
悪魔からは「男が死んでいることを女に見せつけたその瞬間の表情こそが最高だ!」と評価を受けたが、一弥の心には空虚のみが残っていた。
老夫婦の朗らかな笑顔を思い返す。長年一緒に暮らしてきて、お互いを良く理解しているからか、彼等の間には理解があった。お互いの求めるものを理解し、知らないことは軽く詫びて学べば良いと、老夫婦の間にはゆっくりとした時が流れていた。
毎週土日に、老夫婦のもとに孫二人が遊びに来ていて、老夫婦は昼間に公園に出てきて、朗らかに遊ぶ孫達を見ながら微笑みを浮かべ、昼には老夫婦の女の方が作ったと思われる弁当を孫達と四人で食べるのが常であった。
一弥は着なれないスーツを着て、老夫婦の近くの椅子に座り、昼寝をするふりをしながら会話を聴いていた。
既に朧気となった彼等の会話は、「夕飯は何にしようか」やら、「孫が何かを欲しがっていた」やら、余裕があるんだなと感心したことだけは覚えている。
一弥は老夫婦の生活が羨ましかった。
それは明確に一弥が持っていないものだからだ。フリーターとしてコンビニとスーパーの店員を掛け持ちしている一弥にそんな余裕のある生活が送れておらず、時間があれば調査に時間を費やすようになってからは、自分の家のことすらなげやりになっていた。
「欲しろ。奪え。1つ残らず。」
悪魔は一弥に、一弥が持たないものを奪うように唆してきた。
老夫婦が出掛けている時間に、老夫婦達の自宅に、換気のためか開けられていた窓から侵入した。
普段通りなら老夫婦達は夕方辺りまで帰ってこない。何を盗むか等考えていなかった一弥は戸惑った。入ってさえしまえば時間がある内に何かを盗めば良いと、その盗む何かを考えていなかったからだ。
価値のあるものはサイズもでかいことが多い。
金目のものは換金すると足が着く。
一弥は盗むことを諦め、幸せだけを奪うことにした。
ガス式のコンロにの元栓を開け、火を点し、近くにあったキッチンペーパーに火をつけて調理台の壁へと火を伸ばす。
小火で終らないように油のボトルを近くに置き、隠れるように急いで逃げた。
少し家屋から離れた辺りで、爆発音が聴こえた。恐らく元栓を開けたままだったガスが爆発したのだろう。
どうしても老夫婦の家が気になるが、一弥にも爆発音は恐ろしく感じた。
突発的にやってしまったこととは言え、背後に煙るそれは、一弥のやったことだ。
人を殺した時には、上手く行きすぎて、それに対する感慨が無かった。
しかし、今回は違う。
一弥は漸く、自分がやったことを理解して、恐れたのだ。
その後、老夫婦がどうなったのか、一弥は知らない。
いつもの公園に来なくなったし、全焼した家が借家だったようで、新しく家の建設予定地になっていて、借り手を募集する立て看板が塀に立て掛けられていた。
ニュースではガスの元栓の閉め忘れが原因と判断されたと報道されていた。
その放火から3カ月、一弥は悪魔の声を無視するようになっていた。
見せかけの笑顔が増え、最低限の食事しか取っていないからか、頬は痩せこけ、部屋は散乱していた。
それでもバイトは続けていたし、バイトに着ていく服だけコインランドリーに持っていく程度の文化的な生活も送れていた。
自分を責めるニュースが今日こそは映るのではないかと朝も昼も夜も付けっぱなしになっているテレビに意識を戻す。
今日も一弥の名前はニュースに映らなかった。