辺獄にて 図書館ビーチェ 骨の城7
「おはよう、君が目覚めるのを狂おしいほど待っていたよ。」
その声は、不思議なほど一弥にすんなりと入り込んだ。
何故だろうか、返事をしなければと、枯れた声でなんとか
「おはようございます。」
と言おうとしたが、ヒューという風の通るような音しか喉から出てくることはなかった。
その音を聴いてか、老人はすこし驚いたような顔をし、
「おや、もう少し待った方が良かったようだ。良い子だから大人しく待っていてくれたまえよ。」
と言い残して掴んでいた一弥の髪の毛を無造作に離して元居た椅子に座りに戻った。
そんな老人に呆れたように女性が話す。
「教授、だから言ったじゃないですか。これまでの傾向から意識を取り戻しても暫く待たないとまともに会話もできないのは分かっていたでしょう?」
どうやら老人は教授と呼ばれているらしい。
「はは、分かっていても実際に試すことは大事だとも。
彼が異質な存在であるかもしれないと君が感じるのであれば、これまでの記録など参考程度にしかならない。
分かっているだろう?肉体など、仮初めに過ぎん。
本質は罪衣ですらなく、その中にあるのだと。」
「相変わらず難しく話しますね。私にはその哲学は些か慣れません。」
「それでもいいのだよ、ガブリエラ。私の哲学は私のものだ。そして君の哲学は君のものなのだ。」
「はぁ。」
「さて、喋れなくとも耳は聴こえているようだ。で、あるのなら私の話を聴きたまえ。」
椅子に座ったままの教授が顔だけを一弥の方に向ける。
一弥は頷くこともなく、視線だけで教授を睨んだ。
「まずはここ、辺獄についてだ。私はおおよそ二千を越える年月をここで過ごしている。即ち、時間が経てば神の身許に向かえる訳でもなく、転生などできるわけでもない。
我々は永遠かは分からないがとても永い時間をここで過ごすことが求められている訳だ。
延々と無為に時を過ごしたとて何かが変わるわけでもあるまい。
我等には何かを求められているのだろう。
そこで私が作ったのがこの研究施設でもある図書館と言うわけだ。
幸い血の気の多い者達には事欠かない。殺し合いの他に余暇の過ごし方を知らぬ者が多いと言うことでもあるのだがね。
無作為に喧嘩を売って殴り合いで時間を潰す者というのは案外多いものなのだよ。
そこにルールと図書館の建築という目的を与えてやればたった数百年程度でこの通り骨と革でできた我等の城の出来上がりと言うわけだ。
ああ、この本は君の革で作ったものだ。
中身はまだ未記載だが君が書くかね?」
一弥の目をじっと見つめる教授の眼には何も映っていないようにみえた。
理知的なように見える言動は空虚そのもので、ただ彼はそのように動いているだけの機械のように一弥の目に映っているのだ。
一弥はただ首を横に振り、教授の言葉を思い返す。
ソーマやイデアというのは、古代ギリシャの哲学で使われる言葉だったはずだ。
正しく覚えている訳ではないが、肉体は魂の器でしかないとかそういう意味だったはずだ。
つまり、教授は一弥達辺獄の住民は、魂だけの存在であり、肉体が傷付いても魂があれば元の形に戻る存在だとしたうえで、それでもなお辺獄に捕らわれているのだと言っているのだろう。
「私は既に数人が辺獄から消える様を見たことがある。残念ながらその原因は判明していないが、憶測は立てられる。
君も恐らく聴いたであろう辺獄に落とされたときの声、あれは私達へのヒントに違いない。
謎解きには問題やヒントが必要だ。
永劫にここに居ることを罰とするのであれば問題の定義は簡単に分かる。
神は我々にこう言っているのだ。
『自らの意思で地獄へ堕ちろ。』とね。
ともすれば、我々は歓喜に震え喉を震わせるべきなのだ。
我等の存在そのものが神の存在証明そのものとなる。
ああ、主神たるゼウスよ。いと高き光の主よ。あなたの慈悲に感謝を。
そして、君に感謝をしよう。
君の協力があればきっと私は真理に辿り着けると信じている。
そのあかつきには君に、君の身体でできたこの本に記した君の全てを差し上げよう。」




