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辺獄にて  作者: ぺんぺん
第三章 図書館ビーチェ
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辺獄にて 図書館ビーチェ 骨の城2

一弥が地下闘技場至高天(エンピレオ)に落とされてから、時間があっという間に過ぎ去った。


現実を正しく認識する時間なんて無かったが、血に濡れた砂の色と、一弥の耳の奥を揺らす汗や尿のような香りの混じる空気が、一弥の奥に潜むなにかを揺り動かして


一弥の世界から音が消えた。

一弥の世界から一弥の頭を掴んでいた男が消えた。

肘に何かが当たる感覚と共に、身体の自由が取り戻され、一弥の脳内にはかつて流れた音が鮮明に鳴り響く。


小堤のような太鼓を叩く音が辺りから響く。

小鳥の囀りが猛獣の轟きに至る。

あらゆる記号は音の昂りを告げ、あらゆる躍動は音に巻き込まれていく。

祭りの序曲、喝采の光、讚美の詩。

一弥の欠けた世界が歪み、染まり、埋まっていく。

曲は身体を揺らし、光は目の前だけを照らし、詩は一弥を肯定する。


さあ、殴れ。拳が鳴らす悦楽は、如何(いか)なる音より心地(ここち)()い。

さあ、喰らえ。血肉は全て甘露にて、罪ごと(はら)の内にて溶かせ。

さあ、掴め。眼前(がんぜん)の全ては我が物ぞ、(えぐ)穿(うが)って奪い取れ。

さあ、(うた)え。腹の底より湧き出す大河、怨嗟(えんさ)の声を音にしろ。

さあ、踊れ。動きの全ては我を祝うものと知れ、其奴(それ)巻き込みて光を呪え。


脳内に音が増す度歓喜増す。光の示す我が行く道を。


一弥の視界は一筋の光を残し黒に染まる。

他を見る必要などないのだと。

一弥の聴覚は周囲の音を拾うのをやめる。

もうこの曲、詩より他に聴こえる必要などないのだと。

一弥の嗅覚は甘い香りのみを告げる。

一弥が動く度、何かを殴る度、何かが潰れる度に香りが増す。

一弥の全身は歓喜を謡う。

一瞬なのか無限なのかも分からなくなる。

一弥の世界はもう今は幸せ(これ)しかないのだと、耳許で囁く声が聴こえた気がした。








ここは無間の地獄だ。

殴り、殴られ、踏んで、蹴って、掴んで(なじ)る。

そうしないと自分が狙われる。

だから、暴虐に身を任せ、他者を蹴落とし、悦びながら痛め付ける。

誰一人倒れたものへの悪意などない。

己を傷付ける全てを打ち倒さんと、皆がこぞって動くものを(なぶ)る。

殴り、殴られることだけを考えている時間は至福なのだ。

辺獄はただただ無為に時が過ぎる。

気が振れることすら赦されず、なにもしなければ意識を飛ばすことすら赦されない。

何かを続けなければおかしくなりそうで、でも、そうなることすら赦されない。

先のことなど考えられない。

何をすれば赦されるのかも分からない。

私がなにか悪いことをしたのか?

そんなわけがない!

生きるために、私が私であるために必要であることしかやっていない!

何故私がこのような地獄に在らねばならない!

それも、こんなクズ共と!

死ね!死ね!死ね!

もしくは私を殺せ!

誰か私を助けてくれ!

視界の端では引きずられるように連れ込まれた男が、『案内役』と呼ばれる男を肘で殴り倒し、そのまま何度も何度も拳を叩き付け、口角を歪め、嗤っていた。

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