監獄 裁判
何度も、何度も己の死を繰り返した一弥は、気がついたら身動きが取れなくなっていた。
既に痛みがなく、訝しみながら周囲を見渡すと、そこは白色の床に、灰がかった格子の壁で、覆われた部屋の中だった。
白色の床には泥の後が残っておらず、飛び散っていた筈の一弥の血や、灰すらも残っていない。
だが、首に残された黒い腕のような輪。全身を覆う泥の乾いたようなヒビの入った拘束具。それらが先ほどまでの事を現実と結びつけてくる。
格子の壁の外には、何もない。
這って格子を覗こうにも外は暗く、何も見えない。
一弥が先の見えない不安を抱えていると、格子の外の暗闇から声がした。
「いよぉ!兄弟!元気してるか?」
底抜けに明るい声は、暗闇から届いていた。
「こ、こ、んっ!ここは、何処なのでしょうか?」
掠れて声のでない喉を無理矢理震わし、不安を投げ掛ける。
「ん?ここは始めてか!いいぜ!教えてやる。」
暗闇に似つかわしくない明るい声は、檻のすぐ傍から一弥に声をかけてきている。
「ここは地獄の裁判所さ!己の罪と向き合う場所ってことだ!俺は第三審でなぁ!ちょいと詳しいんだ!お前さん回りに何が見えてる?」
一弥は再度周囲を見渡すが、やはり、檻の外は暗闇で、少しでも檻の隙間から腕を外に出したら腕が闇に飲み込まれて消えてしまいそうなほどだ。
「暗闇が見える。何かあるのか?」
「お前さん、何やらかしたんだ?」
明るかった声が、低く、一弥に突き刺さるかのように響く。
その声は、暗闇がより一層暗くなったかのような、底知れない寒気を一弥にもたらした。
「いや、分かった!俺からお前に伝えられることは何もねぇ!裁判はそのうち始まるからそれまでそこで大人しくしといた方がいいぜ!」
明るい声は、少し震えた声で一弥と関わるのを避けるかのように途絶えてしまった。
暗闇に音はなく、先程まであった声が一弥の無聊をより深くしていく。何かが起きるのを待つだけの空間は、一弥の精神を少しずつ蝕んでいた。
待てども待てども他に一弥に話しかけてくるものは居らず、とても長いことだけが分かる時間の間待機していると、唐突に、空気を震わす低い、大きな音が牢に響いた。
『これより、第一審。鈴誠一弥に対する死後裁判を開始する。』
鼓膜の奥まで揺さぶるような歓声と、統率のとれた小太鼓のような力強い拍手が鳴り響く。
『この場は、被告、鈴誠一弥の罪に対し、適切な裁きを定める場である。被告の罪は被告の纏う罪衣を見れば明らかである。罪理官よ、罪衣の読み上げを。』
裁判の開始を告げた声は、突然の出来事に呆然とする一弥を余所に淡々と進行を進める。
『被告に対する罪を求める死者の左腕10本、今すぐにでも握り潰さんとばかりに心臓を掴む右腕4本、嘆きを唄い罪を問う口が2つ、傍聴席に罪の告白を聞かんとする耳15対、泥となった怨嗟が牢を覆い隠すほど。そして、瞳に曇り、耳奥に膿、被告はこれ等が見えておらず、聴こえていないであろう。罪を理解せぬ者は罪人なりか?』
『否、罪を解せぬ者に罪はなく。だが、その罪は裁かれるべきものである。罪を解せよ。汝に地獄はまだ早い。』
『では、天に至るか?』
『否、被告は理解を放棄した。しかし、罪は明確である。理解し、二度と起こさぬと言える者なら天にも上れよう。だが、誰が身に覚えの無き罪を改められるか?』
『では、地獄に落ちるか?』
『否、地獄こそ罪を理解できる知恵ある者にのみ与えられし特権。この者は地獄に落ちるにも値せぬ。』
『では、どこに?』
『辺獄へ。無知なる者を追放せよ。』
『鈴誠一弥、汝は罪人に非ず。なれど、善人に非ず。故に、汝に死を与えぬ。二度と輪廻に戻るな。その身が朽ちるまで思考し、魂が朽ち果てるまで辺獄にて苦しみ続けろ。』
『これにより、被告、鈴誠一弥への死後裁判を終了するものとする。』
音が響く。拍手が、歓声が、怒号が、悲鳴が、一弥が理解するまでもなく、何を語るでもなく終わった死語裁判が幕を閉じた。