落下 泡沫
一弥は深海のような水の底へと沈んでいる。
水中を満たす闇は、奥を見通すことができず、しかし、その奥にまだなにかがあると直感させるような広さのみを強調している。
水面と思われる方から僅かに闇に映る光のみが全てを仄かに照らし、その光が、この闇に沈むのが一弥だけではないと、影をつくり教えてくれる。
僅かに形のみが分かる人のような影が、淡く青い闇に紛れるように、大量に沈み続けている。
闇に沈みながらも、笑い、嘆き、悲しみ、怒り、様々な感情を浮かべる人の影は、年齢、人種様々で、その誰もが沈み行くことを受け入れていた。
緩やかに沈んでいく彼等は、やがて、一人、また一人とシャボン玉が弾けるように消えていく。落ちては消える人の群れを、一弥は美しいと感じていた。
一弥はそれらの消え行く影を見送りながら、深い深いところへと向かい、落ちていく。
水面の見えない水の中では、上下も良く分からなくなっていたが、ただ、自分が落ち続けていることだけは理解できた。
落ち続ける最中、一弥は思いだせる範囲を思い返し、混乱していた。
先程まで自分は病室で、あの医者を何度も何度も殺していたはず。しかも、今は静かそうな病室ですら鳴り響いていたはずの音が消えていて、久方ぶりの無音が一弥の心を蝕んでいた。
(どういうことなんだ。)
口に出そうとしても音にならず、吐き出したはずの空気は水中のはずなのに気泡にすらならない。底知れない違和感に、一弥は思考を放棄し始めた。
落ちるがままに漂いながら、自分が沈む先、即ち底を見やるが、深い闇が広がるのみで、何も得られるものがない。
ただ、水面の方と比べて、闇が更に深く、濃くなっている。底は未だ遠いのだろう。
水面を見上げ、落ち続ける。風を切る音すらならず、延々と落ち続ける。遥かに見える小さい点は、現れては消える。落ち続ける一弥を置いて、現れては消える。
横を見渡しても、遥か彼方に人のような形が見えるが、それも定かではない。目の錯覚と言われたら、それで終わるような。微かな影が深い闇に縁取られていた。
一刻、半日、一日、一月、一年。永劫にも感じられる時間を一弥はただただ落ち続けた。
深く深く沈み続け、体が水に溶けたかのように自分の肉の境目すら朧気になっていった頃。
沈み続けた一弥は、不意に沈没が止まり、全身を細い毛で撫でられるような感覚が襲い、「こここそが一弥のたどり着くべき場所だ。」というかのように感じられた。
不快な感覚に周囲を見渡すと、既に一弥以外の沈んでいる人影は居らず、一弥ただ一人だけがこの深みにたどり着いていたのだ。
そして、一弥の体が内から弾けた。
読み辛すぎたので修正(2022/4/21)