怠惰な男 悪の道
6/30 表現の追加等、多少の修正
7/12 章管理の追加によるサブタイトル変更
人は誰しも罪を犯すものだ。
罪とは人によって定義されたもので、その基準は個人によって異なってしまう。
国や大きな団体によって定義された法、生活を守る以上守るべきルール、宗教上の禁忌、個人間の約束、自分自身で決めた宣誓。
そのどれかを破ることが罪となり。
そして、大抵その罪は誰かに赦されてしまう。
たいした罪ではないから、罪を償ったから、捕まらなかったから。
そんな理由で、被害者に、他人に、自分に赦されてしまう。
いくら罪を償おうとしても、既に犯した罪は消えることはない。
隣人に赦されようが、忘却しようが、あなたの罪は未来永劫消えることはない。
真の裁きがいずれ来たる。
審判の時は死後、全ての罪は清算を迎える。
鈴誠一弥は基本的に怠惰な人間だ。
なにかしら自分自身に変化があることを嫌い、ただ決まったルーティーンを繰り返す。
最低限の生活を送るため、フリーターとして最低限の仕事をして、惣菜が半額になる時間までボーッとして過ごす。
彼の頭の中には世の中への不条理や、自身への叱責、他社への憧憬等が渦巻いているが、何一つ実行に移すことはない。
善人ではないが、悪人でもなく、善を成したいと願うこともないが、悪を成したいと願っても実行したことはない。
そんなありふれた人間の一人だ。
定職に着いたところで義務的にやらねばならない作業が増え疲れるだけだ。
自分を変えたところで根本が変わらなければその生活に嫌悪するだけだ。
何かを成したいと思うことを実行に移そうと考えても、それは自分がやらなければならないことなのかと悩み、無闇に時間が過ぎていき、結局なにもせずに終わるだけだ。
だから一弥は無為に生きる。
死ぬほどの勇気もなく、何かを成すほどの自信もなく、何かをして貰うほどの予算も、助けを求める声も出ない。
何も持たない一弥に失うものなど何もなかった。
だからだろうか、毎日通る公園の前を通りすぎようとしたとき、視界に入ってしまった人々を見て、一弥は苛立ちを覚えてしまう。
幸せそうに歩くカップルを見て思ってしまった。
「目障りだ。」
一弥は親族以外への愛を知らず、親族から以外の愛を知らない。
一弥が知らない愛で幸福を感じるカップルが疎ましく感じた。
孫と遊ぶ老人を見て思ってしまった。
「目障りだ。」
一弥の日常に遊ぶ時間は含まれない。起きたら飯を食べて仕事をして寝るだけの日々だ。定職に就かない一弥に休日はなく、遊ぶ暇があるならスマホで求人でも漁っていた方が有意義に感じられる。
子供も、老人も、一弥が忘れていたはずの娯楽を思い出させ、それに苛立ち、視界を背けた。
疲れて帰るサラリーマンを見て思ってしまった。
「目障りだ。」
一弥は他人の努力を見るのが苦手だ。
ただでさえ一弥自身が疲れていると言うのに、他人の苦労など一弥には抱えきれない。
目の前を過ぎようとしているサラリーマンはスーツをキッチリと着ていて、平日の昼間から鞄をもって外を歩いているところから営業職だろう。片手にぶら下げた鞄を重そうに軽く持ち上げ、溜め息を吐く。芳しい結果が得られなかったのだろう。公園入り口の自動販売機前で立ち止まり、一際甘い缶コーヒーを飲んでいる。
一弥は自身の疲労が重くなったように感じて、気が滅入ってしまう。
世の中は一弥が目障りに感じることが多すぎる。
目を瞑って歩くには世の中は煩雑すぎる。
一弥は目の前の風景に嫌悪した。
普段の一弥なら思うだけで終わる。
何も成さずに終わる。
目を剃らして、別の対象を妬むだけで終わる。
そして、感情は時間が解決してくれるはずだった。
だが、そうはならなかった。
一弥の中に潜む感情がじわじわと膨れ上がり、1つの結実を迎えようとしていた。