姫殿下の心中
「何だって?」
「私こう見えても魔法得意なんだよ? 教えてあげるよ!」
(めっちゃぐいぐい来る…。この人肉食系だ…)
アイラの勢いに、涼火は少したじろいだ。
「ふん。タイミングが良かったじゃないか。魔法も使えない勇者など示しがつかんからな。じっくり教えてもらえばよかろう」
困惑する涼火を尻目に、カーティスは立ち去ろうと背を向けた。
「どこ行くんだよ。僕に話があるんじゃなかったのか?」
「…気が変わった。また機会があれば話す」
カーティスは振り向くことなく甲板から姿を消した。
「何なんだよ、あいつ…」
「じゃあ魔法の練習する?」
(今日はもう休もうかなと思ってたんだけど…)
しかしアイラの好意を無下に断ることもできなかったので、
「じゃ、じゃあ少し教えてもらおうかな…」
「わかった! じゃあ頑張ろう!」
夜の闇に包み込まれゆく船の上で、二人の影だけが取り残された。
その頃、光の賢者たるヴィクトリアスもまた、魔法の特訓に勤しんでいた。
手に力を込め、前に突き出した。
魔法が使えるか否かは、自身の保有する魔力、魔法の系統に対する適正、それからイメージで決まる。
ヴィクトリアスは床の上の紙くずが燃える様をイメージした。だが紙くずからは煙一筋すら出なかった。
じわりと涙がにじんだ。
ヴィクトリアスは激しく頭を振った。
(戦闘系の魔法が使えないのはわかりきってたことよ)
そもそも光の賢者なのだから、まず光魔法が使えなければならない。そう思いなおし、ヴィクトリアスは紙くずを拾い、それを真っ二つに破いた。
光魔法とは、補助系の魔法であり、主な内容は復元である。怪我の治癒や病気の快復だけでなく、壊れたものの修復できるのがこの魔法のミソである。
技術や出力が高ければ高いほど大きな傷が治せるし、人によっては細胞を活性化させて、一時的に対象を強化することもできる。
ヴィクトリアスは二つになった紙くずに手をかざし、静かに目を閉じた。
紙が裂いた部分から結合するのをイメージする。紙くずは仄かに淡い光に包まれた。光は一瞬で消えた。
「あ…ちょっとくっついた!」
ヴィクトリアスは光の賢者に選ばれた。だが彼女は魔法が苦手だった。魔力自体はほゆうしているが、ほとんどの魔法に適性がなかった。彼女が唯一まともに扱えるのは光魔法だけだった。その光魔法ですら、ヴィクトリアスは使いこなすことができず、ごくごく初歩的なことしかできなかった。
そんな彼女が賢者に選定されたと分かったとき、父王は確かに喜んだ。だがその瞳の奥に、落胆と期待がないまぜになって揺蕩っているのが分かった。
なぜ優秀な妹ではなく不出来な姉が賢者なのか、という落胆。
賢者に選ばれたなら魔法が得意になったのかも、という期待。
父の望む娘になりたい、妹が誇れる姉になりたい、国民に頼られる姫になりたい。
その一心で、ヴィクトリアスは魔法の練習を続けた。
だが、彼女の秘められた才能が開花するとか、そんな都合のいいシナリオは転がっていなかった。
涼火が剣も魔法も使えないと知ったとき、ヴィクトリアスは驚いたが、密かに喜んでいた。彼のことを仲間だと思った。
分不相応な力を与えられ、それに苦しむ青年。
私たちは似た者同士なのだと。
涼火がハルフォードに剣を教わりだしたというのは知っていた。ハルフォードからも涼火からも聞いた。カーティスはこっそり様子を伺いに行ったらしく、「今日も火の勇者は総督閣下にしごかれておりましたよ」などと報告してきた。
ヴィクトリアスも気になって、一度だけ扉の影に隠れて密かに練習風景を眺めに行った。汗を流してひたすら剣を振り続ける涼火が、一瞬輝いて見えた。
そして、その姿は何よりも、彼女に活力を与えた。
勇者を導くにふさわしい賢者になりたい。
ヴィクトリアスはそれから部屋にこもり、以前にも増して魔法の訓練を行うようになった。
不意に扉にノックの音が響いた。ヴィクトリアスは紙くずをゴミ箱に放った。
「どうぞ」
「失礼します」
カーティスだった。
「何をしてらしたんですか?」
「ん…ちょっとね…」
カーティスは、ゴミ箱の中の紙くずと、視線を泳がせるヴィクトリアスを交互に見やって苦笑した。
「魔法の練習をされてたんですね」
「し、してないわっ…」
ぴゅぴーと下手くそな口笛を吹いてごまかす。
「相変わらず嘘が下手でいらっしゃる。…魔法など使えなくとも、我々がこの身命に変えましても御身をお守りいたしますと何度も申していますのに」
「そういうわけにはいきませんと、私も何度も言っているでしょう」
カーティスは食い下がった。
「しかし…」
「しかしではありません。私は賢者であり、それ以前に一国の長です。守られる存在ではないんです!」
「…失礼いたしました」
カーティスは深々と頭を下げた。この男は私の何を慕っているのだろう。ヴィクトリアスはふと思った。
「もういいです。それで? 私に何の用です?」
「ああ、そろそろお夜食の時間ですと伝えに来たんです」
「そう、ありがとう‐」
礼を言ったとき、脳裏に何かざわめきのようなものを感じた。予兆と言ってもいい。この感じは‐。
(リョーカ様がこの世界にいらしたとき、他の賢者の居場所を考えたときに感じた‐)
「カーティス…」
「何でしょう」
「氷の勇者の居場所がわかりました」
若き騎士隊長の目が見開かれた。