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九手











 目が覚めたとき、あまりにも寒く思わず腕の中のものを抱き寄せた。ほのかに温かいそれは、抱き寄せられてかすかに身じろいだ。まぶたを持ち上げる。

 まず目に入ったのは長い黒髪だ。自分から抱き寄せておきながら腕の中にいることにびくっとした。杏香だ。

 吉政が動いたことで、杏香も眼を覚ましたらしい。起き上がった彼に釣られるように身を起こした杏香だが、まだ眠そうに眼をこすっている。掛布から出ると寒かったのか、吉政に身を寄せてくる。

 どうしろと……とりあえず声をかけた。


「杏香、杏香起きろ」


 嫌だというように黒髪が揺れる。思わずその頭を撫でると彼女はおとなしくなった……。いや、おとなしくなっては駄目だ。起きてもらわねば。


「朝だ、杏香」


 嫌がりながらも杏香は吉政から離れた。眼は半分閉じている。その黒髪を撫でて覚醒を促す。しばらくしてさすがに起きなければと思ったのだろう。杏香は吉政にぺこりと頭を下げた。

「うん、おはよう」

 ぬくもりが離れて少し残念な気もするが、身支度を整えなければならない。


 着替えた後、再び杏香と合流する。新年なので、あいさつに回るのだ。吉政は杏香の通訳を兼ねているが、杏香も挙動不審に陥った吉政を止める役割がある。破れ鍋に綴蓋と言ったところか。

 まず直属の主君の元へ行き、挨拶をする。時盛が今回連れて来た家臣の中で主だったものを連れ、泰治への挨拶へ向かう。杏香と胡蝶も一緒だ。胡蝶はおとなしく話を聞いて相槌をうってくれる杏香を気にいっている。

 後が閊えているので、挨拶は簡潔に、だ。吉政たちも他にも挨拶に行かねばならない人がいる。ちなみに、杏香の兄直次は泰治の側に控えていた。

 時盛が胡蝶を連れているのはともかく、吉政が杏香を連れ歩いているのに驚かれることが多かった。どんなに体格の良い武将にまじまじと見つめられても、杏香はけろりとしてたじろぎもしない。そろそろ肝が据わっているどころの問題ではないような気もする吉政だった。


 さて。無事に新年のあいさつを済ませた彼らであるが、一つ困ったことになった。大雪で身動きが取れないのだ。

 いや、ちょっと中津の城下まで、くらいなら問題ないのだが、美澄に帰国するとなると、ちょっと遭難しかけるほどの雪なのだ。杏香も天候を見て首を左右に振るし、翔善も同じく遠出はお勧めできないそうだ。

 となると、中津城に滞在するしかない。近隣に領地がある者は戻っていったが、遠方に住まうものたちは残らざるを得なかった。美澄国は微妙な距離で、帰れなくはなさそうなのだが、胡蝶や杏香がいるということで強行軍はあきらめた。二人ともしれっとしている気もするが、万が一があると困る。


 ほかにも残っている者はある程度いるので、退屈はしない。杏香と胡蝶は泰治の正室に気にいられて連れまわされている。先日は雪の中で遊んでいた。

 それでも、半分くらいの時間は吉政と杏香は一緒にいる。碁を指したり、将棋を指したり。『ちぇす』についてもかなり理解できたと思う。


 そんな二人に、同じく大雪で退屈した泰治から命が下った。

「お前たち、碁を指せ」

 この時代、有力者が僧侶などを呼び寄せ、囲碁や将棋を指させることはたまにあった。それを、泰治は同盟者の家臣にやらせようとする。まあ、正確には家臣の家臣になるのかもしれないけど。

 その命を断れるはずもなく、泰治の前で碁を指しはじめた吉政と杏香であるが、ふと顔を上げると人が増えていてびくっとした。

「なんか人数増えてませんか」

「娯楽が少ないからな。気にするな」

 泰治は手を振って続きを指せ、と言う。杏香は周囲の状況に気付いているようではあるが、気にしないらしい。つくづく心が強いと思う。

 動揺が指し手に出たのか、吉政は追い込まれて投了した。少し戻って、別の手を指すと、杏香がこくりとうなずいた。どうやらそこが分岐点だったようだ。確かに、途中まではいい勝負だったのだ。


「……吉政、お前、心理戦に弱くないか」

「うぐっ」


 泰治に指摘されたことは、否定できない。杏香はそのやり取りににこにこと笑っていた。可愛い。

「それと、検討するならどうせなら声に出してくれ」

「杏香は話せません」

 つまり、吉政が一人で話すことになるのだが、杏香の言いたいことが何となくわかる吉政では、あまり周囲への解説にならないのだ。

「わかっている。とりあえず、お前の敗因を教えてくれ」

 泰治は自分も碁を指すので気になるようだ。杏香が話せないので吉政が説明する。さすがに碁の知識のある泰治に説明するのは楽だった。たまに杏香から訂正が入るのだが、杏香の訴えは吉政しか正確に把握できなかったので彼が代弁することになった。


「……普段しゃべる量の十倍はしゃべった気がする」


 吉政がそう言うと、杏香はくすくすと笑った。ぽんぽん、と腕をたたかれる。吉政も表情を緩めた。

 大雪も収まってきて、さすがにそろそろ帰領しようかと言う頃である。中津国を封じ込めるように包囲網が出来上がりかけていることが発覚した。倭の半分を支配下に置いているとはいえ、まだまだ敵の多い泰治を狙ったものだった。

 吉政は時盛や泰治に呼ばれて状況の打破について意見を求められた。

「そうですね……今はまだ、包囲網が完成したわけではありませんから、今のうちに一角だけでも崩しておきたいところですが……」

 おそらく、ひと月の間にもう一度寒波が来る。それまでに包囲網方は何とかしてしまいたいのだろうが、それはこちらも同じこと。包囲網の一角を切り崩し、寒波までに包囲網を完成させなければいいのだ。寒波が来れば凍死者が出るだろう。さすがに軍をひくしかあるまい。

「だが、囲まれる可能性はないか?」

「ええ。囲まれないための対策を立てる必要はありますが、電光石火、少しつついて陣形を崩せればいいのです。今包囲網が完成し、補給路が途絶える方が問題です」

 城内にいくらかたくわえがあるとはいえ、今、通常より多くの人間が住まっているのだ。備蓄が尽きる可能性は考えないわけにはいかない。しかも今は冬場だ。


「……打って出るか」


 泰治が低い声で言った。冬場なので、あまり出陣はしたくないが、この場合は仕方がない。一度は出なければならないだろう。

「包囲網の外の大名たちにも触れを出しましょう。香野や玉江は帰国していますよね」

「と言うことは、その方面の一部を崩すつもりか」

「はい」

 吉政がうなずいた。そちらの方面には、山がある。そのあたりに、包囲網方は陣を張ろうとしている。その向こうに、香野や玉江の軍は陣を敷けばいい。

「そこを攻めるのか。戦地を選ばなければ、あの場所は雪崩が……」

 同じく軍議に参加していた時盛のつぶやきに、泰治が反応した。


「それが狙いか、吉政! おとなしげな顔をして、なかなか鬼畜なことを言う」


 そう言いながらも泰治はにやりと笑みを浮かべていた。吉政の表情は変わらない。ちなみに、時盛をはじめ他の大名や家臣たちはドン引きしていた。なるほど、と感心したようにうなずいたのは直次くらいである。ここの兄妹も心が強いな……。

「よし、その線で行こう。冬場の戦いになる、皆の者、心せよ」

「はっ」

 一斉に頭が下げられる。最悪籠城戦も視野に入れ、何とか包囲網を破らなければならない。


 杏香に相談したら怒られるだろうか。吉政はそんな事を思った。











ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


たぶん、杏香は天候が読める。


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