七手
吉政の怪我の一件があって以降、彼と杏香の仲はかなり縮まった。もともと、仲が悪いわけではなかったが、一緒にいることが多くなった。一緒に出掛けたり、食事をしたり。しかし、やはり囲碁や将棋を指していることが多い。
そう言えば、杏香は吉政が京で入手してきた『ちぇす』なる盤上遊戯の遊び方を解明していた。なるほど、聞いていた通り将棋に近い。彼女は説明書を解読し、この国の言葉で書きなおしていた。その杏香御手製の説明書を読み、駒の動かし方などを確認しながら吉政は言った。
「杏香は頭がいいな」
杏香の黒い頭が左右に振られる。そんなことはない、と言いたいのだろうか。何となく、彼女の言いたいことがわかる。吉政も、彼女相手なら臆せず話せるようになってきた。
とはいえ、杏香は口が利けないし、吉政も多く話す方ではない。やっぱり沈黙の時間は長いが、以前より明らかに意思の疎通ができている。
冬が近づいてきているので、縁側にいるのは寒い。と言うことで、さすがに杏香の居室で『ちぇす』をすることにした。
大きな駒は、将棋の駒や碁石などより扱いやすい。二人ともまだ不慣れであるが、将棋とほぼ同様の遊び方。駒の動きを覚えてしまえば、遊ぶことはできる。今のところ、『ちぇす』に関しては、杏香の方が勝率が良い。
一応部屋には火鉢を置いているが、寒いものは寒い。杏香の手を握ると、手先が明らかに冷たかった。
「寒いか?」
尋ねると、こくりとうなずき彼女は吉政の方に身を寄せた。火鉢を増やしてもいいが、あまり置きすぎると煙で窒息してしまう。これでも温かい方だ。杏香が冷え性なのだろう。
寒いと言いながらも、降る雪を縁側で観察していたこともある杏香だ。良くわからないが、吉政も奇行が目立つので言わないようにしている。
「奥方様と仲良くなれたようで」
貴成にもそう言われるくらいには仲良く見えるようで、気恥ずかしいやらうれしいやらだ。
新年の近づいたある日、吉政は時盛に呼び出しを受けた。杏香も一緒だ。許しを得た二人は顔をあげる。
「よく来たな。仲睦まじいようで安心した」
「……」
からかわれた吉政は顔をゆがめたが、杏香はと言うとにこにこしている。強い。
「それはさておき、今年、ではなく、来年も上様の元へ挨拶に行くわけだが、今回は杏香も一緒に、とのことだ」
「は?」
思わず声が出たのは吉政だ。いや、そもそも杏香は声も出せないのだが。
「何故です?」
隣で首をかしげる杏香に代わって尋ねた。時盛が「うん」とうなずく。
「杏香の兄上の直次殿が会いたがっている、とか言っていたが、単純に上様の好奇心だろうな……」
「ああ……」
吉政ほどではないが、上様こと武宮泰治は昔から好奇心旺盛で、突拍子もないことを言いだす。今回もそれにあたるだろう。吉政に比べて行動力がありすぎるのだ……。
「杏香、構わないか」
時盛の問いに、杏香はうなずいた。時盛が安心したように笑う。
「良かった。実は胡蝶も行くのでな。相手を頼む」
むしろ、そちらが本命のような気がするのは吉政だけだろうか。侍女は連れて行くだろうが、相手のできる者が多い方が一人あたりの被害が少なくて済む。
来年と言ったが、出発自体は今年中である。寒い中の移動なので、気を付けなければならない。ここいらはあまり雪の降らない地方ではあるが、泰治の修める中津国はよく雪が降る。本格的に降ってくるのは、年が明けてからだろうが。
短くはない道のりを経て、中津国に到着する。城では、泰治に仕える直次が待ち構えていた。
「お久しぶりです、柊殿、秋月殿。胡蝶様に置かれましても、お元気そうで何よりです」
人好きのする笑みを浮かべた直次は、美澄国から来た一行を案内しながら朗らかに言う。最後に、自身の妹に声をかけた。
「杏香も久しぶり」
いつも通り、杏香は普通より大きめに頭を上下させた。彼女なりの意志疎通の方法である。さすがに兄は、この話せない妹との意思疎通がうまくて、それは当然のことなのにちょっとへこむ吉政だった。
くいっと杏香に着物の袖を引っ張られ、吉政は淡く微笑む。
「うん。後で兄君と話をしておいで」
こくりとうなずいた杏香だが、すぐに心配そうな視線を向けられる。大丈夫か、と言われている気がして、吉政は苦笑した。
「大丈夫だよ。……でも、あとで『ちぇす』をしよう」
吉政の提案にうなずいた杏香は微笑んでいて、吉政はちょっと癒される。幼いころに彼女のような人に出会えていたら、吉政は『修正不可能なほどの女性恐怖症』にならずに済んだかもしれない。
修正不可能と言われていたが、最近は改善の見込みが出てきている。杏香や彼女の侍女の巴江、さらに時盛の正室・胡蝶などとは話ができるようになってきた。
「お前ら、なんだかんだで仲がいいな……」
安心するやらちょっと呆れるやらの時盛に対し、直次は「私も安心しました」とこちらは心底ほっとしたように言った。そう言えば、以前、妹はかなり変わっている、と心配していたか。
部屋に案内された後、身なりを整え泰治に謁見に向かった。時盛のお供として吉政もついていくのだが、胡蝶と杏香も一緒だった。とはいえ、一番遠い場所で二人は控えていた。
「久しいな、時盛。息災か」
泰治が時盛に声をかけ、時盛が顔をあげた。吉政も顔をあげる。
「はい、上様。上様に置かれましてはご機嫌麗しく」
「うむ」
時盛の挨拶に、泰治は鷹揚にうなずいた。その後もいくつか定型通りのやり取りをした後、不意に泰治は言った。
「それで、吉政の奥はどの娘だ?」
え、それ、聞くのか。吉政は振り返って杏香を呼んだ。すっと立ち上がった杏香は薄青の打掛を翻して吉政の隣に座した。平伏する彼女の代わりに吉政が口を開いた。
「彼女は口が利けないので、私が失礼します。私の妻で、秋月杏香と申します。以後お見知りおきを」
口のきけない杏香を助けるのもだいぶ慣れてきた。婚姻を結んで半年以上たてば何かと慣れてくるものだ。まさかこんなに仲良くなるとは思わなかったが……。
「面をあげよ」
杏香がゆっくりと顔をあげた。彼女の顔を見て、泰治はほう、と顎を撫でた。
「確かに、面差しは直次に似ているな。吉政とうまくやれるとは、なかなかの傑物ではないか」
「……」
泰治にとって吉政はどんな印象なのだろうか……。思わず沈黙する吉政だった。
「話をしてみたいが、口を利けないのだったな」
泰治の確認に吉政が「はい」とうなずく。一応、杏香も首肯した。泰治は肩をすくめて「残念だ」と言った。
「まあ、ゆっくりとして行ってくれ。直次もいることだしな」
相変わらず杏香は比較的大きな仕草でうなずいたが、吉政も「ありがとうございます」と言い添えておく。
泰治の退出を待って吉政たちも立ち上がった。杏香の手をひいて立ち上がらせると、時盛がにやにやと言った。
「いやあ、吉政も杏香の口の代わりが板についてきたんじゃないか」
「そうでしょうか」
もともと、女性相手に話せなかっただけで、吉政は寡黙なわけではない。そして、遠慮深いわけでもない。
「いや、話せない杏香の言いたいことをくみ取って代わりに話してるってことだろ。誤訳かもしれないけど」
時盛、失礼であるが誤訳は否定できない。
つながれた手が引かれた。吉政は手をひく杏香を見て首をかしげた。
「どうした?」
彼女は目を伏せ軽く頭を下げた。それを見て、吉政は「ああ、うん」とうなずく。
「どういたしまして」
「いま、礼を言ったのか?」
時盛が吉政と杏香を見比べて尋ねた。二人ともうなずく。
「……何故わかるんだ……」
理解できない、と言う表情で時盛は言ったが、吉政にも説明しようがないので何とも言いようがなかった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
何となく意思疎通できている……タイトル詐欺……。