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六手









 無事に美澄国に戻ってきた吉政は、自分の居室をうろうろしていた。不審な行動に、屋敷の下働きたちは引き気味である。

 時盛が胡蝶に布地などを購入する際に一緒に買った物は、すでに杏香の元へ運び込まれている。彼女からお礼も言われた。いや、何度も言うが、筆談だけど。


 それとは別に、もう一つ彼女に土産を購入したのだ。南蛮渡来の品を扱う露天商で購入したもので、同行した貴成に呆れられた買い物である。


 しかし、彼女なら喜ぶのではないかと思ったのだ。そう思って買ったのに、渡しに行く勇気がない……。下男に頼んでもいいのだが、自分で持って行けと貴成に蹴飛ばされる未来しか見えない。

 吉政は、自分が杏香の顔を見られない理由が、他の女性に対するものとは違うことにすでに気づいている。恐怖故ではなく、羞恥ゆえに杏香の前に立てない。つまり、吉政は杏香に好意を持っていた。

 歩き回り寝転び床を叩き、一通りの不審な行動をしたあと、覚悟を決めて杏香の元を訪れた。訪れたが、彼女に呼びかけることができない……。


 しかし、気配に気づいた杏香が振り返った。にこりと笑う杏香から視線をそらし、小さな声で入室を告げて彼女の側に行き、箱を一つ置いた。きり箱である。

「?」

 眼の端で杏香が首をかしげているのがわかった。謎の桐箱を目の前に置かれ、触ったり叩いたりしている。

 これは? と言うように首をかしげたのが視界の端で確認できた。だいぶ間を開けて、どもりながら言う。

「お、お土産」

「……」


 沈黙が痛い。


 ちょいちょい、と袖を引っ張られ、紙が差し出された。『開けてもいいですか?』。

「う、うん」

 やっぱりどもる。了承を得た杏香は桐の箱を縛る紐をほどき、蓋を開ける。そして、中に入っていたものを取り出し、やっぱり首をかしげた。じっと見つめられているのがわかる。吉政は視線を桐箱の中身に落として説明する。

「南蛮の、『ちぇす』という盤上遊戯……だ、そうだ。少しやり方を教えてもらったが……将棋に、似ている。これが盤、これが駒」

 と、盤を取り出す。杏香が取り出したのは、上に乗っていた立体の駒だったのだ。この駒を、升目状になったこの盤に置き、動かして遊ぶものだ。

「……渡来品を扱う商人から買った。一応、説明書もついているが……」

 異国語の説明書だった。吉政も断片的には読めるが、完全に理解しようと思ったら辞書が必要になる。これまでのやり取りで、杏香もこの国の言語をある程度理解できることはわかっていた。彼女も、辞書があれば読めるだろう。


 杏香が説明書をめくる音が聞こえる。黒髪が大きく動き、うなずいたのがわかった。読める、と言いたいのだろう。『辞書を貸してください』とは言われたけど。


「その、やり方がわかったら……」


 その先の言葉がなかなか言えなくて、吉政は口ごもる。杏香が根気強く言葉を待っているのがわかり、絞り出すように言った。


「わ、私にも教えてくれないか……? 一緒に、やろう」


 一瞬間を置いたが、杏香の黒髪が上下した。吉政はほっと息をつく。下を向いていた彼の頬に、細い指が触れた。そのまま顔をあげさせられる。

 思わず視線をあげると、杏香の涼やかな黒い瞳と目があった。その顔は嬉しそうに緩んでおり、吉政はカッと頬が熱くなるのを感じて杏香の手を振り払うように顔をそらし、さらに彼女の視線を遮るように手をかざした。振り払われた杏香は怒るでもなく、吉政があげたほうの着物の裾を引っ張っている。


 かたくなに顔を見せない吉政に杏香はあきらめ、碁盤を用意すると吉政を誘って碁を指しはじめた。盤を前に差し出されると、差してしまうところが何とも言えない……。
















 吉政から土産として『ちぇす』をもらってから、杏香は説明書を読みつつ、遊び方を学んでいるようだった。志奈語とは違い、解読に苦労しているようだが、駒の動かし方はすべてわかったのだそうだ。

 ほかにも京の土産として渡したはずの布地や櫛なども使われているようだ。そういうものは、使った方がいいと吉政も思う。

 真剣に説明書を解読している彼女を見ると、何となく微笑ましくなってくる。最近、表情が緩んできたな、と思う吉政だった。


 その日、彼は時盛に連れられて領地の視察に出ていた。他の家臣も一緒である。出かける時、杏香がうらやましそうにしていたので遠乗りにでも連れて行くべきなのだろうが……そんな覚悟はまだ吉政にはできない。

「今年は規定通りの税が納められそうですね」

「ああ。下澄の侵攻も、結局あの二回だけだったからな」

 そんな会話をしながら馬を進ませる時盛一行である。途中の泉で馬を降り、馬を休ませる。


 その時だった。野伏が襲ってきた。いや、動きを見るに、野伏に扮した忍び、だろうか。

「殿を守れ!」

 家臣団が時盛を囲む。野伏は十人もいないが、こちらも少人数、五人しかいない。そもそも、それほど遠出をする予定ではなかったからだ。

 それでも少数精鋭で、相手は農民上がりの武器を持っているだけの男たち。指示を出してはいるが、戦力外通告を受けている吉政を差し引いても無事に逃げ切れるだろうと思われた。


 しかし、伏兵が二人いた。何故かたまたま気づいた吉政は時盛をかばうように前に出た。矢が左の上腕を貫いた。それを放った野伏はすぐに討たれた。

 さすがは精鋭部隊。きれいに野伏を片づけてしまった。何故か一人だけ被害を受けてしまった戦闘に参加していない吉政である。矢で射られたのは初めてではないが、何度味わっても痛い。

「いや、待てお前、何無造作に引き抜こうとしてるんだ!」

「吉政殿落ち着いて! そのまま抜いたら矢じりが残ります!」

 柊家家臣一の武辺者に言われ、吉政は「ああ、確かに」とうなずく。ひとまずその場で引き抜くのをあきらめた吉政だったが、その後の記憶は、ない。


 気づくと、美澄城の一室で横になっていた。重たい瞼を開くと、気配を察したか覗き込まれる。


「……杏香?」


 その声は思ったよりかすれていた。なんだか頭もぼーっとする。

 ふと、杏香の涼やかな目元が潤んでいる気がして手を伸ばそうとした。頭がぼんやりしていなければできなかったと思う……というか、できなかった。動かそうとした左腕に激痛が走る。痛みに悶える吉政に、杏香があわてたようにぱたぱたと手を動かした。しばらくして、鈴がりぃん、と鳴る。

「ああ、目が覚めましたか」

 やってきたのは時盛のお抱え医師だった。医師と言っても、僧侶である。

「まだ熱はありますが、傷口も順調に回復していますし。良かったですね、香姫様」

 僧に言われ、杏香がこくりとうなずいた。僧は熱が下がるまでおとなしくしていることを告げ、さらに杏香に傷の手当の仕方を教えて帰っていった。頭がぐらついてきた吉政は目を閉じる。すると、杏香が肩のあたりをぽんぽんとたたいた。眠れ、と言うことなのだろうか。

「……おやすみ、杏香」

 小さくつぶやくと、彼女が笑った気がした。


 翌日には、吉政も起き上がれるくらいに熱は下がっていた。杏香が嬉しそうにいろいろと世話を焼いてくれる。長時間顔を合わせるのはまだ無理だが、彼女の横顔を眺めているのは、何となく落ち着く。

 包帯を替える作業も彼女がしてくれた。さすがに、片手で自分の腕に包帯を巻くのは無理だった。傷口は治癒術のおかげでふさがってはいるが、しばらく包帯はしておくように言われている。

 とん、と肩のあたりに何かが押し付けられた。包帯を巻き終えた杏香が、後ろから吉政の肩にすがりついたのだ。見れば、その体は小刻みに震えていて、すすり泣いているような気もする。

 吉政は右手をあげ、慰めるように彼女の髪を撫でた。無事でよかった、と全身で訴えてくれているようで、吉政の目元も自然に和む。


 その時、がらりとふすまが開けられた。


「おい、吉政……すまん、邪魔したな」

 時盛だった。明らかに用があったのだろうに、ふすまを開けた瞬間に閉じた。吉政はうろたえる。

「と、殿……っ」

 かといって杏香を振りほどくことはできない。彼女はきょとんと吉政を見上げていて。


 そのうるんだ瞳を見て、吉政はあきらめた。いろいろと。









ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


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