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五手









 五日と言うのは、出立準備をしていると意外と速い。吉政も性格上、こうした作業は得意であるが、今回は杏香が手配していた。

 てきぱきと話せないながらも作業を進めていく杏香に、吉政は自分よりちゃんとしているな、と思った。ぼんやりとしていると貴成に蹴り飛ばされるので自分も動く。


 出立の前の日、杏香と囲碁を指した。もはや恒例行事のようになっており、屋敷で働く者たちにはこれが秋月夫妻の会話の方法なのだ、と言われるほどである。

 杏香が押していた。先手である吉政の方が有利なはずなのだが、彼の動揺が手筋に現れている。まあ、杏香はその動揺に付け込むようなことをしないが、気にすることもしない。どんな状況でも落ち着いていられるのはすごいと思う。

 間もなく終局である。寄せに入ったが、僅差で杏香の勝ちだろう。地を数えるが、やはり杏香の二目勝ちである。碁石を片づけながら、吉政は意を決して口を開いた。


「……杏香」


 杏香が顔をあげたのがわかった。吉政は下を向いたまま言った。


「……い、行ってくる」


 こくん、と杏香の黒髪が上下に動いたのを見て、吉政は何とか言えたと安堵した。これだけ言うのでも、吉政にとっては大仕事なのだ……。


 しかし、おかげでもやもやしたものを抱えずに出立できた。前回、戦に出た時は、自分の口で言うことができず、ずっともやもやしたまま戦場を駆けまわっていた。これでも吉政も成長しているのだ。相変わらず、杏香以外の女性は駄目だけど。

 京に到着した。美澄もにぎわっている方だとは思うが、比べ物にならないくらいみやびやかだ。数年前まではもっとすたれていたのだが、通称・お屋形様が京の町を立て直したのである。

 時盛が連れて来た家臣は最小限だ。京では泊まる場所にも苦心する。なので、ほとんどは京の外に置いてきてしまったのだ。

 京の中でもひときわ立派な邸に吉政は、時盛に連れられて足を踏み入れていた。上座に向かってこうべを垂れている。


「面をあげよ」


 落ち着いた声音で言われ、時盛に続くように吉政たちも顔をあげた。上座に座すのは、三十代後半と見える男性。きりっとした顔立ちの偉丈夫。

「久しいな、時盛」

 にやり、としか形容しようがない口調で言ったのは、現在このやまとと呼ばれる地域の約半分を支配する武宮泰治である。


 恐ろしい男であると、言われている。確かに、それは事実なのだと思う。しかし、実力で成り上がった武将と言うのは、おおむねそういうものだ。恐ろしい男ではあるが、家臣に公平で気遣いもできる人だと吉政は思っている。

「さて。さっそく下澄国の侵攻について聞かせてもらおうか」

「はっ」

 時盛が筋道立てて順序良く話をする。無事に追いかえした辺りまで話が及ぶと、脇息に寄りかかって話を聞いていた泰治は一つうなずいた。

「うむ。よくやった。下澄も、そろそろ黙らせたいところだが……」

「あそこはお屋形様に敵意を抱いておりますからね」

 そんなことをさらっと言う時盛だが、泰治は怒らなかった。事実だからだ。

「何か策を練ろうか……その時は、お前の軍師殿も借りたいところだな」

「はい、もちろん」

 二つ返事で了承した主君に、貸しだされる方の吉政は思わず半目になった。それを見ていたわけではないだろうが、泰治は吉政に声をかけた。

「そう言えば、吉政もついに結婚したそうだな。確か、遊佐家の家の姫だったか」

「おや、彼女をご存じで」

「ああ。兄の直次がわしに仕えておるからな」

 泰治が言った。以前、時盛が「乗り込んでくる!」と恐れていた杏香の兄か。少し気になる。会ってみたいような、会うのが怖いような……。


「吉政の気の弱さでは直次にやり込められるかもしれんな」

「……」


 そんなに!? と言うのが吉政の心情である。


「どうだ? 嫁のいる生活は。ちなみに、私の正室はとても気が強い」

「え、と。おとなしい? と思いますが……」

 泰治に直接尋ねられ、答えないわけにもいかずに吉政はやっとそう絞り出した。ほう、と泰治。

「扱い兼ねているようだな」

「……」


 否定できない……。


 まあお前たちも奥方に土産でも買っていって機嫌を取れ。後が怖いぞ、と忠告され、泰治から解放された。さすがの時盛も緊張したらしく、伸びをしている。

「あー、さすがに緊張した」

「殿でも緊張なさるんですね」

「むしろ、お前は余裕そうだな」

「今でも膝が笑っているのですが」

「……お屋形様じゃないが、お前、確かにちょっと気が弱いよな……」

「余計なお世話です……」

 それはちょっと自分でも思った。盤の前に座ればどれだけでも強気な手を打てるのに、不思議だ……。

 とりあえず、土産は選ぶことにした。が。

「……女性は何をもらうと喜ぶんでしょう」

 思わずそこにいた時盛に尋ねてしまったのだが、思いっきり呆れた目で見られた。

「……まあ、確かに杏香は何を喜ぶかわからないところがあるが……普通は、きれいな着物とか、櫛、鏡、装飾品。あと、甘いものなんかも胡蝶は喜んでいたな」

「着物……甘いものですか……。書物は駄目ですかね」

「うーん、確かに杏香なら喜びそうな気はする」

 いろいろ買っていっても、杏香は「なんでこんなに買って来たんですか」とか言いそうな気がする。いや、話せないから筆談だけど……。とりあえず、時盛が商人を呼んだ時、一緒に着物と櫛を見つくろってもらった。女物はよくわからない。それから、珍しい書物をいくつか入手した。


 京での滞在もあと二日となったころ、吉政の元に一人の青年が尋ねてきた。吉政より年下だろうが、そんなに年は離れていないであろうその青年は、遊佐直次と名乗った。そう。杏香の兄だ。吉政は時盛の「乗り込んでくる」発言を思いだし、内心動揺した。


「秋月殿とは初めてお会いしますね。よろしくお願いいたします」


 挨拶された印象は物腰の柔らかい若武者だな、という印象である。しかし、遊佐家は軍師を多く輩出する家柄である。それだけの青年ではないだろうことはわかっていた。

「こちらこそ、よろしく頼みます、直次殿」

「京にいらっしゃると聞いて、ぜひお会いしたいと思っていたのです。妹……杏香は元気でしょうか」

 柔らかな口調で直次が尋ねた。吉政はうなずく。

「ええ。元気ですよ」

 ほぼ毎日屋敷の縁側で囲碁か将棋を指している。もう日課のようなものなのだろう。たまに、吉政も彼女と対局する。それが、思いのほか楽しいのだ。吉政と同じくらいの実力で対局できる相手が少ないからかもしれない。


「そうですか……その、少し変わった妹なのですが……」


 直次が控えめに言った。吉政も変わっていると言われたが、杏香も確かに少し変わったところがある。一般的な女性と合うとは思えないので、杏香だから吉政も結婚生活が続いているのだと思う。まあ、これが結婚生活と言えるのかは微妙だが……。

「秋月殿のことは、噂では聞いていましたが、落ち着いた方のようで安心しました。妹は、本当に、こう……変わっていて……口もきけませんし」

 おそらく、性格が変わっているとか、そういうところではなく、口が聞けないというところを一番心配していたのではないだろうか。少々変わっている点をのぞけば、杏香は一般的な女性の水準は満たしている。


「……安心してお任せください、とは言えない情けない男ですが……妹君とは、仲よくしたいと思っています」


 自分も変わっているので、杏香のことは言えない。嫁いできてくれた彼女に文句を言うつもりはない。

 直次は最後ににっこり笑ってこう言った。

「まあ、今のところはそれで結構です。今度、妹に会ったときにでも感想を聞きますから」

「……」

 にっこり笑って言う台詞ではない。脅しだ。幸せにしなければ締め上げるぞと言う……。時盛が言っていたのは、こういうことかと思った。









ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


そのうち、妹の話もできたらしたいなぁ。


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