十手
実のところ、そういう話を自分の妻や側室などにする武士は意外と多い。話を聞いてもらうことで何となく理解が深まるというか、納得できるというか。
しかし、作戦を知る者が増えるということは、漏れる口も増えるということだ。
その点、杏香は口を利けない。つまり、作戦が漏れる可能性は低い。尤も、杏香は、口が利けたとしてもおいそれと人に話すようなことはしないだろう。
休憩がてら『ちぇす』をしながら、吉政は杏香に概略を語った。杏香はうなずきながら聞いているが、『ちぇす』の内容にうなずいているのか、吉政の話にうなずいているのかわからなかった。
「……どう思う?」
思わす意見を求めると、すでに吉政を詰ませに来ていた杏香は顔をあげた。小首をかしげる。そして、王手をかけてきた。これまで逃げてきた吉政だが、さすがに打つ手がなかった。ここで投了になる。
杏香は少し考えたようだが、こくりとうなずいた。どうやら悪くはないようだ。しかし、最善ではないということでもある。
「お前ならどうする? ……ああ、無理はするな」
筆談するにできず、ぱたぱたと手を動かしはじめた杏香に、吉政は止めた。吉政が言いだしたのに、と言わんばかりに杏香が頬を膨らませる。そのちょっと子供っぽい様子に、何となく和んだ。
そんな間にも、包囲網の外の国にも連絡が取られ、早急に襲撃準備が整ってきていた。そんなある日の最終確認の軍議でのことである。
「よし、では各人、己の務めを果たせよ」
泰治がそう言ったのにかぶせるように外から騒ぎが聞こえてきた。「お待ちください!」と小姓が叫んでいる。
すぱん、と戸が開いた。女物のあでやかな打掛が翻り、軍議の間に駆け込んでくる。
「きょ、杏香?」
末席にいた吉政は自分の妻が駆け込んできたことに驚いたが、頭のどこかで彼女ならやっても不思議ではない、と思っていた。
「お待ちください、香姫様!」
小姓が杏香を連れ出そうと後を追ってくる。しかし、泰治は小姓に向かって手をあげ、押しとどめた。そして、夫の着物の袖の部分をつかみ、揺さぶる杏香に向かって言った。
「杏香殿、いかがした」
ぱっと杏香が泰治の顔を見た。そして、何故か吉政の腕を引っ張り、立たせようとする。
「ちょ、ちょっと待って杏香」
「どうした。なんと言っているんだ?」
隣にいた時盛が尋ねた。比較的杏香と意思疎通が取れる吉政だが、さすがによくわからなかった。
「どうやら、どこかに連れて行きたいみたいですが……」
杏香の黒髪が大きく上下したので、その予想は当たっているようだ。泰治はよし、と膝を叩いて立ち上がった。
「案内せい」
たいていの者は泰治の前に立つと萎縮するのだが、やはり杏香は自然体で、むしろ遠慮がない。吉政は杏香に手をひかれてついていっている状態だ。
「と言うかお前、尻に敷かれてないか?」
「……」
ちょっと自覚のある吉政だった。通訳は吉政が担っているが、主導権は杏香が握っているような気もする。
杏香が連れてきたのは城の北の城壁だった。寒い壁上から彼女は外を指さす。打掛を羽織っているとはいえ、ずいぶん薄着で外に出た杏香に厚手の打掛を羽織らせた。
彼女はまっすぐに雪の積もった丘陵を指さした。泰治が「なんだ?」と吉政に尋ねるが、さすがの彼にも杏香の意図がわからなかった。
すると、彼女は事前に用意していたのであろう紙を取り出した。何やら絵が描いてある。それと、現状を照合するに。
「雪の下に隧道を掘る、と言うことか? いや、しかし……」
確かにできなくはないし、気づかれにくいが、少々難易度が高くないだろうか。だが、杏香は首を左右に振る。違うらしい。
「私たちではないということか? では、向こうが?」
すると、杏香がうんうんとうなずいた。どうやら、吉政の読み取りがあっていたようだ。
「なんだ? どういうことだ?」
短気な泰治にせかされ、吉政は簡潔に説明した。
「敵が、雪の下に隧道を掘ってこちらに迫ってきているようです」
「なんだと? そんなことが可能なのか?」
「不可能ではないかと。少なくとも、術者や陰陽師を囲えばできないことはないと思います」
きっぱりと吉政は言い切った。正直、雪の下を進んでいる彼らに、何故杏香が気づいたのかわからないが、ここで問いただしていては、筆談しかできないため時間がかかる。
「だが、雪の下を通るにしても、通れるほどの隧道は掘れないだろう」
「一緒に地面も削ればいいのです」
そうすれば、立って歩けなくても屈んで歩くことができる。
「そんなに武器は持ちこめませんが、奇襲としては成功するのではないでしょうか」
「……」
泰治は考え込んだ。何を言っても、最終的な判断をするのは彼なのだ。彼は杏香に目をやった。
「杏香。敵が近づいてきているのは本当なんだな?」
こくりと杏香がうなずいた。泰治は一瞬考え、「よし」とうなずいた。
「では、国崩しをぶち込んでやろう」
決めたらやりきる泰治だった。国崩しはいわゆる大砲で、普通の戦で使うようなものではない。今は雪を崩すために使うので、運用方法としては間違っていないわけだが……。
「このまま出陣する。おい、吉政! 半刻以内に作戦を立てろ!」
「あ、はい」
吉政はうなずく。時間がないので早速取り掛かった。その前に確認することがある。
「杏香。どうして雪の下を進んでいることがわかったんだ?」
屋敷に戻りながら吉政は杏香に尋ねた。階段の最後の段を降りようとした杏香を抱え上げ、安全に地面に下ろす。
何とかとぎれとぎれにわかるところから解読して言ったところによると、光の反射具合で分かったそうだ。いわく、雪の下を掘っている場所は、術か何かで強化しているので、反射が強いとのことである。
当然ながら、吉政はそれを見分けるなどと言う芸当はできないので、正攻法で行こうと思った。奇をてらう必要があるときは、杏香に助力を乞おう。
「私も出陣する。御前様と一緒にいてくれ」
用意をしに行こうとすると、杏香が吉政の手をつかんだ。そのままその手を額に押し当てる。こんな状況だが、吉政は顔がゆるむのを自覚した。
「ご武運を、か、気を付けて、かどちらだ?」
杏香がすっと顔をあげた。じっと見つめられて、吉政はさすがに少しうろたえた。
「……両方だと思っておく」
杏香がこくりとうなずいた。これまで何度か彼女を置いて戦に出たが、こんな不安そうにされたのは初めてだ。これは何としても無事に戻ってこなければならないな、と気持ちを引き締める。
とはいえ、吉政はどちらかと言うと頭脳労働者だ。そこそこ武術はできるが、剣術の達人でもなければ、弓が堪能なわけでもない。少しばかり、他人より知識があるだけだ。
ゆえに、本陣で采配を振るう彼のもとに敵がなだれ込んで来れば、彼が真っ先にやられる可能性が高かった……。
しかし、吉政は今回の一件でけがを負うことはなかった。その前に、とんでもない情報が飛び込んできたのである。
「申し上げます!」
伝令が本陣を置いた西の丸に飛び込んできた。泰治が促す。
「はっ。本丸におられた諸大名方の奥方が、何者かに連れ去られたようでございます!」
「なんだと!? 梓は!」
梓とは、泰治の正室の名である。吉政たちは御前様や中津殿と呼ぶことが多い。泰治は側室も何人かいるが、正室の梓ととても仲が良かった。
「そ、それが……」
蒼ざめる伝令を見て、泰治もその場にいた吉政を含む諸大名たちも悟った。人質にされたのだ。内通者がいることになる。吉政の頭脳が高速で回り始めたが。
「何人か連れ去られたようですが、藤御前様、奈胡姫様、香姫様が少なくとも人質にとられたようで……」
その伝令の報告に、頭が殴られるような衝撃を受けた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
香姫=杏香。杏香さんピンチ。




