序章 コンバート・ユア・マインド
気がつくと、緑豊かな森の中に立っていた。
「・・・・・・ん?」
帰りのホームルームまで寝ていようとしたはずだが、私は首を傾げた。気付けば服装も、学生服から西洋絵画で見る様な農村男子の格好に成り果てている。
寝ぼけたまま演劇部を襲撃し、衣装を強奪、森に来て着替えたとでもいうのか。それが教室に居た状態から、この何とも言えない不可思議な状況へ到る為の最適解なのだが、そんな現実を余り肯定したくは無かった。
普段は大人しいのにあんな筆舌し難い奇行に走るなんて、インタビューでそれだけは証言されたくない私には堪えられなかったのだ。
いっその事、自我とか崩壊して幼退化しないかな、そんな面持ちで晴れ模様の空を仰いでいると、足元から猫のものとおぼしき鳴き声が聴こえてきた。
視線をそのまま足元へ移すと、そこには確かに頭から灰を被った様な猫が居た。これから精神科へ連行されるであろう私を慰めに来たのか、嘲笑いに来たのか。どちらにしても慰めて欲しいので、抱き上げようとした。まさにその時である。
「気安く触るな」
猫にすら蔑まれるとは、想定外の精神的ショックに伴い、思考が数秒ストップしたのだが、身体はこの状況下における最適解を反射的に行なってくれた。
「うわっ、喋った!?」
ビックリした時、意図してないのに言葉を発してしまうアレである。けっこう恥ずかしい、アレである。
「・・・そんな事より、敵が来るよ?」
「・・・・・・敵?」
猫に顎で示された先、ちょっとした藪の中から、スライムの様な粘質の高い半液状の物体が飛び出してきた。
「えっと・・・猫君、ナニアレ?」
「スライム」
「いやそれは判るけど・・・スライムって一昔前のオモチャで、あんなに蠢く様な代物じゃないんだよ?」
「はあ? あの国民的モンスター知らないの? 馬鹿なのかい?」
「いやいや猫君、そんな動物園に行けば会えるじゃんみたいなノリで言うけど・・・なかなか無いよ、震えまくる粘液と対面する機会」
「はぁ・・・何でも良いから倒しなよ、時間の無駄だよ」
「いや、倒せって猫君・・・俺ステゴロ(素手)なんだけど? 嫌だよ、あんなベタベタしたのに触るの」
「四の五の言ってないで、倒しなよ。あんなちっちゃいのにビビってるのかい?」
確かに、出てきたスライムは両掌で掬える程度のサイズ感である。恐ろしいというよりは、虫かごに入れて数日飼ってみたい様な愛嬌すらあった。
「仕方ないなぁ・・・判ったよ」
スライムの出現により、これが夢だと断定した私は、この可笑しな明晰夢にしばし付き合う事にした。具体的には適当な小枝を拾い、スライムに歩み寄って、その小枝を深々の突き刺したのである。
堅く引き締まったゼリーにフォークを差し込んだ様な手応えの後、スライムは大きく震え、動かなくなってしまった。
「倒せた・・・のかな?」
それを猫君に問おうとした次の瞬間、スライムの体内に達している小枝がジュッと音を発て、跡形も無く消え去ってしまう。一瞬にして溶かされたのだと、手応えが教えてくれた。
「・・・・・・猫く~ん!?」
私は即座に、踵を返して猫君の元まで退却し、中程まで溶けた小枝を突き出した。
「ヤバイよ、あれ! 危険過ぎるよ!」
「あいつらは獲物を呑み込み、腐食性の強い体液で消化吸収する捕食生物・・・もっと大きいのは牛くらいは丸呑みするけど、あれなら怖がる理由は無し。頭を使って、手早く障害を排除するんだ」
「頭を使う・・・・・・」
私は周囲を見回し、あるアイデアを思い付く。拳大の手頃な石を手に取り、スライムに一番近い木の太い枝の上に登る。そして、そこからスライム目掛けて石を投てきした。
石は綺麗に直上からスライムを捉え、運動エネルギーと重力エネルギーによって容易く圧し潰す。グチャッと気持ちの悪い音がしたので間違いない。それに、投げ付けた石や周辺の草花も煙を上げて溶け始めている。つまりそれは、表皮が弾けて中身が飛び散った事を意味していた。
猫君がそんなスライムの残骸に歩み寄っていく。
「うん、倒したね。本当は弱点の火を使うのが正解なんだけど・・・素手でよくやるよ」
「酷い言われ様だなぁ・・・君が倒せって言ったんだろう?」
私は苦言を呈しながら、枝の上から飛び降りた。
「そうだね、チンパンジー程度の判断力は有るみたいだ。でも、次はどうかな?」
「・・・・・・次?」
またも猫君から顎で示された先、木立の間から人影がふらりと現れた。
「何あれ・・・人?」
「そうだね、盗賊だ。正確に言うと、適当な人間を奴隷にしたくて堪らない系の盗賊だね。得物は樫の棒、割りと骨とか折られる硬さ」
「何その手抜きな説明文? というか、物騒だな・・・逃げちゃ駄目?」
「駄目、倒して。逃げたところで何も始まらない」
何も始まらない代わりに、何も終わらないで済むのに。私は嘆息しつつ、盗賊に歩み寄って行った。
「こ、こんちわ~」
出来るだけフレンドリーに、私は声を掛ける。もしかしたら、平和的に事態を終息出来るかもしれない。
「ちょっと遭難しちゃったんですけど・・・ここってどの辺ですかね?」
「Go to hell!」
「人里は近いんですかね?」
「Go to hell!」
「あはは・・・容赦ない感じ?」
「GO TO HELL!!」
盗賊は、一昔前の警棒みたいな棍棒を振り下ろしてきた。絶体絶命、仕方がないので左腕を突き出す。
面で受ければ前腕骨骨折、点で受ければ指の骨が折れてしまう。なので、やや斜に構えた状態で棍棒を受け止める。すると、棍棒は私の腕に沿って受け流されていき、ほとんど無傷で切り抜ける事が出来た。
「せいっ!」
攻撃を受け流され体勢を崩した盗賊の横っ面へ右拳の正拳突きを叩き込んだ。盗賊は白目を剥いて昏倒し、私は慣れない荒事で変顔になってしまっているだろう。
「へぇ、すんなりと倒すんだね。もう少し慌てるかと思ったよ」
いつの間にか傍らへやって来ていた猫君が、興味深そうに鼻を鳴らしていた。
「戦闘能力は期待以上か・・・さて、次はどうかな?」
「・・・まだあるんだ、これ」
しかし、猫君は敵を顎で示そうとはしなかった。示すまでも無かったからだ。木々を薙ぎ倒し、馬頭の巨人が姿を現したのである。
「MeeeeZoooo!」
咆哮を上げ、馬頭は飾り気の無い槍の石突を地面に何度も打ち付ける。
「うわぁ、殺る気満々だぁ・・・流石に逃げても良いよね、猫君?」
「駄目に決まってるでしょう。さあ、闘って」
「闘ってって、君ねぇ・・・武器って盗賊の棍棒しか無いじゃん・・・勝てる要素が微塵も無いんだけど?」
「退くに退けない理由が有ったとしても、同じ事言える?」
「それは・・・・・・」
とはいえ、退くに退けない事柄なんて、今のところ思い付かない。ただ、ここで逃げても意味が無い様な気がした。せっかくの夢なんだから、人外の化け物と戯れるのも一興なのかもしれない。
「はぁ・・・どうせ殺られるなら、今日の獲物は活きが良かったと思われたいものだね」
私は棍棒を片手に、馬頭と対峙した。
「お~い、馬野郎! お前もニンジンは好きなのか~い?」
「MeeeeZoooo!」
どうやら、嫌いではないらしい。我ながらパッとしない挑発に乗ったのか、馬頭は槍を逆手に構え(穂先を地面に向けて)、私を串刺しにしようと連続で突いてきた。
私は、馬頭が突きを繰り出すまでの間と標的を定めるまでのタイミングを読み取るまで四苦八苦しながら回避し、それらを把握してからは危なげなく避ける事が出来た。当たれば即死の一撃を掻い潜るというのは中々の爽快感が味わえるものだ。これはもう、癖になりそうで恐くなる。
そうこうしている内に馬頭は痺れを切らし、手でもって鷲掴みにしようと試みてきた。しかし私は、これを待っていたのだ。
奴の手が私の周囲を囲み、鷲掴もうとしたその瞬間、渾身の垂直跳びで手中から脱出してみせた。それから閉じた拳を踏み切り台にして、馬頭の腕を駆け上がる。上腕辺りまでしたところで腕からジャンプ、そして棍棒による一世一代のジャンプ斬りを奴の眉間に御見舞いした。
しかし、手応えはあったものの、予想通り決定打には至らず、私は馬頭の鼻を滑って地面へ仰向けに叩き付けられてしまう。
「くっ・・・ぶっうぇ!?」
どうにか受け身をとったものの、衝撃で身体が動かず、鈍った獲物は易々と槍の餌食となってしまった。胴を槍で指し貫かれ、地面に仮止めされているのだ。それから間もなく、私を細切れにする勢いで滅多刺しに処されてしまう。
夢だからか痛みの程度は控え目で、絶対服従の虚脱感だけが身体の自由を蝕んでいった。もはや、これ以上は意識を保つ事も出来ない。
(これ・・・本当に・・・夢なんだよね?)
最期の瞬間、滅多刺しにされている私の側で、猫君がのんびりと毛繕いをしているのが見えた気がした。
「あぁ・・・やっぱり駄目かあ」
おい、猫、お前。