オレンジ色の最終回
「うん。・・・で、亡くなったっていう、その、医者・・・その医者も気の毒なんだよ、責めるな。それより、あの世で西山に世話になった。
六本木で爆発があって、現場で西山が死んでたろう?エッチの西山だよ」
「西山。いたな。もう十年前のことで忘れかけてた。あいつ結局、あんなヤクザ会社の下っ端になってやがって、あんなところで死にやがった」
「世話になったよ、西山に。あいつが俺を助けてくれた、ここに戻ってこれたのは、あいつのおかげだ。はげちゃんも知っていただろう?いい奴なんだよ本当は。頭が悪くてエッチで弱いだけさ・・・」
課長は目を閉じた。西山、また君に会えるかな?
「・・・ああ、そんなことより。マリは。マリはどうなった?無事にコスタリカへ帰れただろうか?」
「帰ってないよ」
「え。駄目だったのか。どうして・・・?」
「どうしてって・・・誰が十年間、お前の面倒をみてきたと思う?」
「・・・誰?」
「誰だと思う?」
「わかるわけない」
「コスタリカの人だよ」
課長は驚いた。
「・・・ありえない」
「それが、ありえるんだ」
「そんな馬鹿な。しかし、だとしたら、彼女にお礼をいわねばならん。彼女はどこだ?」
「ここにいるじゃないか」
「え?」
はげちゃんは、あごを動かし、横の女性をさし示した。
「俺たちは、あんたが目をさましたっていうから、駆けつけただけさ。この十年ずっとおまえの面倒をみてきたのは、ここにいる、この人だ」
課長はいよいよ驚き、その女性を見た。
彼女は、学校の先生に悪戯を見つかってしまった少女のような、決まりまるそうな、恥ずかしそうな顔をして泣き笑いした。
・・・マリだった。
目覚めたばかりで、目がぼんやりして、はげちゃんに気をとられて、気づかなかった。
マリだ。気づかなかった。十年前より幾分ふくよかになっているが、それはマリだった。
「こういうことなんだ・・・」はげちゃんは、新聞の切り抜き記事を課長にみせた。「読めるか?」
はげちゃんがかざす記事を、課長はゆっくりと読んだ。
それは地元新聞の記事で、まずは事件直後を伝えるもの。
「六本木に爆弾課長が出現!・・・人身売買組織に単身乗り込みこれを爆破し重傷を負った田村正夫(四十七)は依然昏睡状態にある。
銃刀法違反、器物破損の罪等々につき、彼の回復をまって事情聴取の予定だが、まったく目処はたっていない・・・・
県警は直前までの彼の行動を知る神奈川県警祖父江刑事を重要参考人として取り調べ・・
ところで田村は意識不明に陥る直前に同人身売買組織の被害者である外国人女性に金銭援助をしていたことが判明。
この女性が田村の看護人を申し出て、現在、介護を続けている・・・」
そして、しばらく経った後の記事。
「「六本木爆弾課長」その後・・・サラリーマン(田村正夫。当時四十七歳)が暴力団の中核企業に単身で突撃した本事件から三年。
この事件を契機に、人身売買をはじめ、闇に蠢く犯罪組織が次々に摘発されてきた。
ところで田村氏は依然として植物人間。
しかし外国人女性はいまだに看護を続けている。
彼女は看護のかたわら猛勉強の末、看護師資格を取得。
自分と同じ身の上の、日本で働きたい外国人看護師の支援に身を捧げたいと語る・・・」
マリの笑顔の写真。
次の記事は、この事件をきっかけに、祖父江元刑事が警察の内部腐敗、暴力団トップとの癒着を摘発、市民グループとともに、相当の成果をあげたというもの。
課長は、はげちゃんを見上げた。はげちゃんは得意気な笑顔で、「警察をクビになってよ、激しくやってやったぜ、命がけでよ。今は探偵だがフリーターみたいなもんだ。
どうして食えてるんだか、自分でもわからん。はっはは!」
・・・課長もつられて思わず笑った。
次の記事では、マリがインタビューを受けていた。
外人介護士援助のためのNPOで、マリががんばっている。
いぜんとして植物人間の田村氏を看護し続けていた。
やっと手にいれたボロ屋で看護・・・その部屋の写真、それは今、課長たちがいる部屋の写真・・・
「まあ、世間が注目したのは、そこまででね。その記事からさらに五年だ」
「五年・・・」
ずっと、ずっと、私を看護?
課長は動転した。
何かいおうとするのだが、歯の根があわず言葉にならず、何かいうのをあきらめて、目を閉じ泣いたかのような顔をした。
・・・・
柔らかな手が課長の手を握った。
びくりとして目をあける。そこに課長は幻をみた。
クレオパトラ似だがサイズのでかい、眉毛が化粧筆で描かれた、紫アイラインの杏目の、顔。
「地球号乗組員のために、やったですよ、お客さん!これから、ちゃあんと長生きします。
最愛の人ともめぐり会います。
いえ、もう会いました。
あたしの占いは、当たります!」
得意げに、にっと笑った。
・・・と!
あの、しゃべる大きなごきぶりが、彼女の後ろで、ぶるぶる得意げにダンスしていた!
課長は思わず目をつぶった。ゆっくり3回、やっと左右に首を動かし、もう一度目をあけた。
マリの顔があった。課長を見つめていた。それは現実だった。
「君・・・マリくん・・・」
そういうのがやっとだった。
ああ、そして、課長はまたかたまってしまったのだ!
まだ植物のくせに、一人前に、かたい何かになってしまった。
何か口にだしていおうとするが、頬が不気味にワナワナするだけ。
そのうち、「へへん」と、意味なきあの、すかし笑いがもれるのではないか。
そんな場合ではないはずなのに。
マリがくすりと笑った。瞳がいきいき語りかけた。課長は息をのみ、語りかける瞳を見た。
・・・おまちしました、田村さん。その節は、ごめんなさい。そして、とてもありがとう。
ありがとうといいたくて、十年いっしょにいましたよ。
ありがとう。ほんとうに、ありがとう。
・・・田村さん。あなたには、私が、男の人に、求めるものが、すべて・・・
「まあちゃん・・・!愛じゃないのか?」
いってしまったはげちゃんは、柄にもないと後悔し、激しく気まずくうつむいた。
彼のはげた頭頂が、ぴかりと光り目にしみた。
それはオレンジ色だった。
窓の外はもう夕方で、ものすごいオレンジいろに染まっていた。
・・・・おしまい




