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俺ちょっとガンだから  作者: 新庄知慧
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告知ってなに?

そこはオフィスではなかった。


ひろいひろい世界だった。


オレンジ色の光につつまれた世界だった。


夕方の光のなかの下町。その遠景。


でもはっきりと目に焼きつく。


工場、煙突、二級河川。その川にわたされた橋。


橋の上に、自転車を押してあるく少年。


少年は橋の真ん中あたりで立ち止まり、あまりにも圧倒的なオレンジ色の風景に息をのみ、立ち尽くした。


「これで、おわりなんだ。やっとおわりなんだ」


少年は夜学に苦労して通って、貧しい家のこともささえてきた。


その夜学の卒業式の帰り道(夜学でも卒業式だけは午後に行われたようだ)。


その少年は胸がいっぱいだった。課長は考える。


「僕はいったい何かささえてきただろうか?」


夕暮れに染まる少年を見つめ、課長は自問する。


おおい!


課長はその少年に呼びかけた。


おおい、よかったね、おわって。やっとおわって、よかったね!


その声に、少年は課長のほうを振り向く。


そして目を細めて首をかしげる。


誰かがぼくを呼んでいるみたいだ。誰かがぼくをねぎらって、ほめているみたいだ。


課長は不覚にも涙ぐむ。


少年は自分によびかけた。


 夕焼けの不思議な声にむかって答えた。


おわった。だから、おわりじゃない。これからはじまるぞ!


課長は驚いた。


少年は凛としていた。


 全身がオレンジ色に染められて、光り輝き、凛としていた。


  不意に課長に勇気が湧いた。


  ゆっくりと静かにドアを閉めた。


 オレンジ色の静寂をけっして乱さないように細心の注意を払って・・・


  振り返ると、そこはもうオフィスの外である。


 木枯らしの吹く舗道。倒産まぢかのデパートの前。黒いフエルトのテント小屋。


 それは占い師の小屋だ。見覚えのある美しい女性が舗道の向うから歩いてきて、テントの前で少し躊躇し、それから中へ入った。


遠藤さん・・・・


課長は、彼女を追ってフエルトの小屋の外に立ち、耳を傾ける。


「どうでしょう?私の運命・・・」


彼女とも思えない気弱な声。


 そして答える占い師の声も、心なしか暗い。

 

「運命。健康のことでしょうか・・・。でもどうしてあなたは私にそんなことを聞くのです。あなたの運命なら、あなたが一番よく知っているでしょうに・・・」


聞き覚えのあるオバサン声。間違いなく、あの占い婆さんだ。


「あなた、お医者さんでしょう?」


「え、ええ。よく、おわかりになりますね・・・」


「まあね。千里眼だから。それで、ごめんなさい。あなたはガンで、余命六か月・・・」


間があった。そして、観念したような遠藤さんの声。


「・・・そうです」


「あなたは名医だから、ご自身の診断に間違いはありません。とても惜しいです、あなたのような美しく聡明な方が、そんな短命だなんて。悔しくて無念で悲しいですね。だからやむをえないことだったかも知れませんが、しかし、あなたらしくもないことをしましたね」


「そのことも、お見通しですか・・・」


「ええ。大学時代のお友達に、あなたを愛していたお友達に、嘘のガン告知をしてしまうなんて」


「・・・・」


聞いていた課長は目が点になる。ばあさんの声が続く。


「ひさしぶりに会った親友は、きっとあなたの仲間になってくれると思って、余命いくばくもないガン患者の運命をともに引き受けてくれると思って、それで、つい、やってしまったのね」


「・・・はい。あの人には、男としての魅力は全然ないんですが、なにか、どんな悲痛でも、引き受けてくれるような感じがあって・・・」


「ええ。わかります。私はその人を知っています。昨日、来たんですよ、ここに」


「なんですって!本当ですか」


「ええ。わりと元気でしたよ、だから平気です。その人は、たいへんな長命の人で、偽のガン告知の試練くらいあっても、きっと、へいちゃらです」


「・・・そうですか!」


「そうですよ。なにせ、その方の手相の生命線ときたら、手首にまで巻きついて、まるでブレスレット・・・」


何をいっているのだろう?


課長はどんな顔をしてどんな感情を持ち、どんなリアクションをしたらよいのかわからなかった。



・・・つづく




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