三途リバーのほとりにて
「死んだ生き物が多すぎて、輸送がおいつきまへんのや。渡し舟は、もうしばらく出てまへん。あんな、恐竜みたいのも残されてますから、「この世」でいう何億年ものあいだ、舟が出よりまへん、ちゅう話や」
「そんな舟があるの。舟でなきゃいけないの?お魚は自分で泳いでいけばいいじゃない」
「だめなんやね。三途リバーは舟でないと、あかん、っちゅう話や」
「君、ものしりだね。死んだばかりのはずなのに」
「いや、おはずかしい。じつは、みんな占い婆さんから聞いたことの受け売りやねん」
「占い婆さん・・・」課長は首をひねった。「その婆さんはどこに・・・いや、そういえば、ここには人間がみえない。
「人間は僕だけか」
「人間はねえ、生き物世界では新顔やさかい、別の遠いところへ移転しましてん。いやあ。ちょっと遠いねん。えらく遠いねん」
「えらく遠い・・・別のところ。どこ?」
「地球人の岸」
「ほう」
「そうなんや。まあ、ばかでかい岸なんやけどね、宇宙人の岸とはまた別や」
「宇宙人の岸もあるの?!」
「そうなんや。エイリアンビーチね。宇宙人だけと違うて、色んな生き物がぎょうさんいてるよ。宇宙にいる生き物は地球の生き物だけやないっちゅうねんなあ・・・・」
「へえ。そうなんだ。そりゃ、そうだろうねえ。しかし、なんで私、人間なのに1人でこの岸に・・・」
「だんさん、派手にやったさかい、最期にどかーんと派手にやったさかい、ここに飛んできよりましてん」
「そうか。そうだったのか。でも私、人間のところへ行きたいなあ。しかし、すごく遠いんじゃあ、歩いていくのは大変だなあ。でも行きたいなあ」
「やっぱり?」ごきぶりは嬉しそうな声をあげた。「そうやろ、だから、わて、ここに来ましてん。お礼をいってから、さしでがましくなければ、恩返しもしようと思いましてん」
「人間の岸に行けますか?」
「いけますよ。だんさん、いけますよ。だんさん、気色悪うなかったら、わての足につかまってえな。わて、連れていきますさかい」
「どうやって」
「わてが飛んで。飛行して連れて行きます。だんさん、ごきぶりっちゅうのはな、一応、羽根もってます。空、飛びますねん」
「そうだ。そうだったね。でかい真っ黒なごきぶりが、飛んでるのを見たことがあります。あれは伊勢佐木町裏の汚いラーメン屋でのことだった。なんだか、バタバタ黒い羽根が動いて、不思議な恰好の提灯が、宙をさまよっているみたいだったなあ」
「いけますよ、だんさん。いけますて。いきまひょ!」
ごきぶりは、カブトムシのそれに似た足を差し出した。課長はそれにつかまった。ごきぶりは離陸した。
私が私の人生において救ったのは、このごきぶりだけだったのだろうか・・・
みるみる遠のく地上を見つめ、課長はひとりごちた。
いや、少なくともこのごきぶりだけは救ったのだ、その事実は事実なのだ・・・このごきぶり、いってたな。それは宇宙船地球号乗組員の救助だったって・・・そうか、このごきぶりが、私の人生の成果物かあ・・・
「だんさん、おセンチはいけまへん。まあ、見てみいな、ええ眺めやないか!」
課長を連れたごきぶり飛行船は、地上から数十メートルの上空を飛んでゆく。
地平線のかなたまで海岸線いや河岸の線が続いていく。
河の水の中にも、河辺の陸地にも、あらゆる種類の生き物たちがいる。
ときどき、空のあちこちにも、鳥の群れ、虫たちの群れが飛んで生きている。
これらは、みんな、宇宙船地球号の乗組員だった連中である。平和な三途リバーサイドで、何億年も、彼岸への渡し舟を待っている。
「ええ遊覧飛行やろ、はい、そろそろ、人間の岸に着くよ。ごきぶり飛行機は速いね!」
白い雲が前方から近づく。ますますスピードをはやめ、ごきぶりと課長はその雲に突っ込む。
まわりが真っ白になり、何も見えない。冷たい空気。息苦しくなる。少し震えた。
と、一気に視界が開けた。眼下を見下ろす。
「人類だ!」
岸辺に人間が、無数に、たくさん、いた。
数億年分の死んだ生き物たちのいる世界なのだ。
人類の歴史など数百万年にもならないのだから、いままで生まれて死んだ人類のすべてがここにいるはずである。
そりゃあ、途方もない数になる。立っていたり、座っていたり、寝そべっていたり、集会を開いていたり、行列を作っていたり、思い思いの恰好で渡し舟を待っていた。
・・・つづく




