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俺ちょっとガンだから  作者: 新庄知慧
3/39

オレンジのサンダウン、霊柩車

3


課長はただ聞くばかり。


きっと「ふるほんの亀川堂」の特売で、この手の思想本を手にいれた、その受け売りかなあ。引き続き占い婆さん。


「そして、ある日のこと、人生という休暇が終ってしまう。この休暇、有効に使いたいものだなあ。


大事に大事にね。そのため、できるだけ、自分の運命は知りたいもの。


今日はそのために、あなたはここに現われた。


そして、あなたは自分の運命を知った。よかったですね、とても長生きで。


とてもよかったです。で、さいごに、お願いです。


さきほどもいいましたように、長生きのあなた。地球の同乗者のみんなのために、少しでもステキなことをしてあげてくださいね。それじゃあね」


占い婆さんは手を振っていた。その紫アイラインの杏目はうるうるしそうなほどだった。


占い小屋を出て、その後ろにそびえたつ廃業予定のデパートを見上げ、課長は考えた。


きっと彼女はこのデパート地下食品売り場で、長年にわたり惣菜やなんかを売ってきたのだ。


愛に憧れて、いつ結婚できるのか知りたくて、しょっちゅう恋愛占いに行ってたのだが、ついに独身のままだった。良い人にめぐりあう日に備えて、ときどき一階の化粧品売り場にいって化粧法を研究していた。


いまデパートの廃業がきまって、自分が占い師になること決心し、「ふるほんの亀川堂」で書籍購入して勉強し、化粧品や服のガレージセールでメイク商品や衣装をしこたま買い、あのようにメイクしてドレス着て小屋たてて占いはじめたのだ。


しかし客なんかこない。課長はほとんど最初の客だった。


だから歓迎されて、寿命百五十年を拝命した。そういうことか。


デパート前を離れて少し歩き、振り返ると黒い占いテントの入口から、サイズ大きな、あの顔がのぞいていた。


そうか。長生きか。四十七歳で愛にめぐりあうか。みごとな藁じゃないの。課長は彼女に手をふった。


夕ぐれだった。


ビルのシルエットの背景はオレンジいろ。冬の昼ひなか、輝きすぎ疲れ果て、いやに小さくなった太陽。そのくっきりした円が、オレンジ色のなかで沈む。


やがて天頂から暗い帳がゆっくり降りてくる。


まちかどプラネタリウムの開始。星影まばらな、いや星のない、星につながる夢もない、都会の夜の星なしプラネタリウム。


しかし今はまだ、オレンジの夕ぐれだ。


課長は思い出す。


あの日の夕やけは、本当にすごかった。


大空や世界が、一点の雲もかげりもなく澄み切って、ぜんぶオレンジ色だった。


火葬場をめざし高速道路をひた走る霊柩車に課長は乗っていた。


車の窓ごしに三百六十度みまわしても、車の窓から顔をだし、吹きつけてくる冷たい風のボウボウいう音に耳を痛め、髪をなぶられ目を細めながら、前をみても後ろをみても、上をみあげても、ぜんぶ透明なオレンジ色であった。


その霊柩車に乗っていたのは当時三十六歳の課長(まだヒラ社員。家族代表。課長は長男であった。)。運転手。棺の運搬係。合計三人。そして棺。棺の中には課長の父の死体がいた。


「夕やけ空が、すごかった」


そのとき霊柩車のなかで、父の声がきこえたように思った。


父の夕やけ空の思い出。


父の父(つまり課長の祖父)は左翼運動家で戦時中に投獄され、それが原因で体を悪くして終戦直後に早死にした。


たよりにしていた兄も結核で死んだ。


次男であった課長の父は、体の弱い母(つまり課長の祖母)、幼い弟と妹を養うため、銀行の見習い行員(給仕)をした。


自分の将来のことを考え、働きながら夜学に通った。


祖母は体が弱いうえにお嬢さんあがりで文学少女的な精神の危うさをもっており、もちろん家事がろくにできなかったから、父は弟や妹のために、飯炊きまでやった。


今とちがってレトルト食品も電子レンジもなかったから苦労した。


朝早起きして飯つくり、銀行へいって働いて、夜は学校で勉強し、帰ると祖母のメンタルケア、弟・妹の教育指導までやった。


それでも夜学はさぼらずに行った。そしてやっと卒業証書を手にした。


卒業式の帰り。胸がいっぱいで、自転車こいで走る街ぜんたいが夕やけだった。


下町を流れる、工場廃液や生活汚水にまみれたドブ川みたいな二級河川にかかる橋の上。自転車から降りて、空を見上げた。


「空も街もみんなオレンジ色だった」


家での夕食後、空になったご飯茶碗にお茶を注ぎながら、父は語った。


橙色とか、茜色とかではなく、オレンジ色といった。中学一年生だった課長は迷惑そうな顔でテレビの方を見ていたが、耳ではちゃあんとその話を聞いていた。


「わからないとおもうが。あのとき、もうこれで、やっとおわったんだと思った。もう、夜ははやく帰れると思った。夕やけなんかみたのは三年ぶりだった。オレンジ色の空を見上げた。すごく目にしみた。いや、からだぜんたいにしみた」


そのような夕やけ。そのような生涯の重要場面。


いまや年取った課長にも、そのような場面はいくつかある。父にとってのそのきわめつけは、夜学の卒業式の帰りにみた夕やけ。


その霊柩車の中で、課長は父の棺を振り返った。


おとうさん、すごい夕やけだ。よかったね。やっとおわったんだ。よかったね。


この夕やけ。父さんがあのとき見たのは、こんな空の色だったのだろうか。


きっとそうにちがいない。


空も、父さんに「ごくろうさん」といって、またあの夕方の空を見せてくれたのだ。そうにちがいない。


いいことしてくれるな、地球くん。ステキなことを、何かしてあげましょう、ってのはこういうことか。


霊柩車で課長はそのとき泣いていた。


その思い出に、自分の今の境遇がかさなり、今も胸がいっぱいになる。


父は十年前、七十歳で死んだ。そして、私は、百五十歳まで生きる?いい占い師だった。医者も、あんな風だったらいいのに。


しかし現実は厳しい。


しかも、あんな人が医者で登場してくるだなんて。


課長は、やっと昨日の現実を思い出す。いっぱいだった胸に痛みが走る。


・・・・つづく


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