マリ?手術??
「マリじゃないの、その子の名前?」
「・・・マリ。そうだ、マリだよ」
「じゃあ、あの子、あなたの知り合いだったの!」
「あの子・・・・・・?!」
今度は課長が二の句を継げなくなる。
「そうよ。あの子。いま私の病院にいるわ・・・」
「君の病院に?」
「そう。集中治療室よ。きのう運び込まれたの。刺されたのよ。ひどい重傷で」
「・・・なんだって?」
「昨夜、手術をしたんだけど。出血がひどくて中断したわ。応急措置がやっと。今は昏睡状態で、今日、再手術ときいてるわ・・・」
あの子が刺された?マリが?本当だろうか。別のマリじゃないか・・・それとも。
そりゃあ盗難には会ったが。でも、あのマリの美しい顔、肢体、やさしい笑顔、口から流れ出た鮮血。これらが課長の脳裏にフラッシュバックした。何だって?刺された?!課長はひどく動転した。
「こうしている場合じゃないわね」
「うん」
課長は何が何だかわからない心境だったが、心と体はいてもたってもいられなくなった。
二人が店を出ると、もうそろそろ日が傾きかけていた。
タクシーを拾い、彼女の病院へ急行した。車中で彼女が解説した。
「大岡川の近くの舗道に、夜中の2時頃よ、血まみれで倒れていたのを、宅配の子が見つけてすぐ救急車を呼んでくれたのよ。私の病院、すぐ近くでしょう。不幸中の幸いっていうか。なんとか、今の所は命をとりとめているわ」
「そうか」
「名前と国籍をいった以外は身元も連絡先も不明。お見舞いも付き添いも誰もいない。来てるのは警察だけよ。あわてて病院に向ってるけど、いいの?その、マリって人、そういう商売の人でしょう。あなたが知り合いとわかっていいの?あなた警察に取り調べられると思うわよ」
「ああ」
課長は何も考えていなかった。マリの苦しむ顔がイメージされていただけだった。
病院に着いた。
病院ロビーで、刑事だという、背は低いががっしりしたフットボールのような体型の若い男が現われて話をききたいといってきたが、遠藤女医がそれを制して、まず病室へ行くことができた。本来なら親族でなければ面会できないのだが、遠藤くんのおかげで通過できた。
集中治療室の入口で手を洗い、自動ドアから中に入る。
十床あるベッドの左から四つ目に、患者が横たわっていた。
・・・口に酸素吸入器をはめられ、体中のいたるところに点滴の針を刺され、苦しそうに体を上下させて呼吸し、目は半開きで死んだ魚のようになっている。
体にはシーツのような毛布を一枚まとっただけで、そこからのぞく手足は裸で、異様にむくんでいる。手足が人間とは違う生き物みたいだった。
「五分だけよ。いい?田村くん」
遠藤医師が課長に注意した。
課長は言葉もでない。
この子は死ぬ。この様子じゃあ、もう死ぬ。目がもう死んでいる。
しかし、待て。この必死の体じゅうでの呼吸。
息を吸うたびに体じゅうが浮き上がり、吐くときに、ベッドの奈落まで沈んでいく。
呼吸の音。すう、はあ、すう、はあ、という息の音。
ものすごく痛ましいが、必死で生きようとしているじゃないか。
「どう?あなたの知り合い?」
課長はまったく言葉もでない。やっとのことで、かすかに頷いた。
「そう・・・」
課長は、あぜんと目を見開いたまま、そこに立ち尽くしていた。
いったい、誰が…ひでえことしやがる…!
やっとのことで、そのようなことを課長は思った。
遠藤女医が課長の腕をつかんだ。
振り返ると、彼女が首を横に振っている。彼女の後ろには、まだ三十代だろうに額が禿げ上がり、しかし豊かなあご髭をたくわえた、さほど背の高くない男性医師が立ち、怖い顔で課長をにらんでいた。
「退出」
遠藤女医が、小さな声で、しかし鋭くいった。
集中治療室を出たところで、男性医師が怒りをあらわにした。
「困るじゃないか。遠藤さん、あんた何考えてるんだ」
遠藤医師は素直に頭を下げたが、ひるんだ様子はない。
「申し訳ありません。ただ、この方、ひょっとしたらお知り合いというものですから、確認だけと思って・・・」
「お知り合い?」
男性医師は課長をうさんくさそうな目で眺める。
「どういうお知り合いですか?」
・・・つづく




