ひどい仕打ち
うるさい。
課長はドアを開けた。
そこには、さっきとは別の黒服が立っている。ごつい男だ。その後ろには最初に登場した不機嫌な無言ホステスがいる。
「おい、てめえ」
黒服がすごんだ。
「てめえ、うちの奴を傷物にしやがって。何をしたかわかってんのか」
「何したかって・・・何もしていない」
そういっても聞き入れなかった。
黒服が怒鳴っていうには、暗闇の中で課長は本番行為を強要したというのだ。
否定したってはじまらない。ここはそういう店だったのだ。客もいないわけだ。
課長はうすら笑いを浮べる。
「へへん」
黒服は鼻白み、激しい口調で、「おい、とぼけるのか、てめえ!」
課長はまたうすら笑いして、無言で胸ポケットから紙袋を出す。
「いくらですか?お勘定します」
黒服はやや拍子抜けした顔になった。あごで店の入口のほうを指し示した。
「わかってるじゃねえか。おっさん。年寄りはそうでなくちゃなあ。感心だよ。ついでに、その気持ち悪い笑いかたやめろよ。納得してないみたいだぜ」
「ごめんなさい。ちょっと胸が痛くてね・・・」
「タバコの吸い過ぎじゃねえのか。喫煙は病気だそうだぜ。タバコやめろよ、おっさん」
黒服はゲラゲラ笑って課長の肩を強くたたいた。痛みが胸にひびき、課長は顔をしかめた・・・
お勘定は二十九万八千円だそうだ。
同じ黒服が、入口近くのキャッシャーで、「良心的な値段だろう?」といってにやつきながら、釣り銭を出そうとした。しかし、レジには釣り銭の用意もないらしい。
「仕方ねえな。ったく」
胸ポケットから自分の財布を出した。
「あ」課長は目をみはる。「その財布・・・」
黒服は、とたんに嫌な顔つきをした。
「なんだ。この財布がどうした」
「その財布・・・」
「なに?」
「私のだ」
「何いってんだ。とぼけたこといいやがる」
「とぼけてなんかない。それは盗まれた私の財布だ」
鉄拳が飛んだ。顔面に火花が散り、課長は床に倒れた。黒服は烈火になって怒る。
「馬鹿野郎、とっととうせろ」
課長は目の焦点が定まらないまま、やっとふらりと立ち上がり、よろよろ歩いた。
「ちょっと。手荒すぎるよ。たれこまれたらどうすんの」
と女の声がして、「うるせえ!」と叱り飛ばす黒服の罵声。
「こいつは、たれこんだりしねえよ。そんなこと、できねえよ。なあ、おまえ。わかってるな」課長の胸ぐらをつかんで、トカゲみたいな冷酷な笑い顔になって、「そんなことしたら、ひどいよ、おっさん。わかってるなあ・・・」
黒服の爬虫類スマイルをみても、課長は別に何も感じなかった。こういうことは、昔も体験したのだと、なぜか思った。
・・・店を出て、また夜の街。やはりクリスマス近い街。にぎやかな街だった。
歩くうちに、夜の公園に着いた。繁華街の裏手にある、小さな誰もいない児童公園である。
ベンチに腰かけた。身を厳しく切り刻む寒さがおしよせてきた。
「まずいな。まるで孤独だ」
恐ろしく、暗い、寒い、孤独だ。
心で論評してみたが、意外にそれは言葉だけの孤独だった。
じっさい、死が現実に目の前に感じられる課長にとっては、孤独が変に落着いた友人みたいに思えた。
死が友人になってしまったから、孤独など、もうつきあいに足る友人ではないのだ。しかし、こんな気持になるとは自分では予想もしなかった。
でも、まあ、いろんなことがあって、ながながと生きて、四十歳もとうに過ぎて棲息してきたのだから、十分しゃないの・・・。そんなことも考えた。
と、声がした。
・・・つづく




