夜の底。さまよい歩く。
さまざまな色の発光ダイオードが無数に輝く通り。繁華な夜の街を課長は歩く。光の数と同じく街には人がいっぱい。クリスマスが近いので、とてもにぎやか。
客引きがよってくる。黒服の若い男だ。長髪が茶色く光っている。けたたましく、うるさく言葉をはきかけてくる。課長は無表情で無言で、その黒服に従った。
ひしゃげた楕円形のペールホワイトの雑居ビル。そのエレベータに乗って、六階。扉が開くと、暗い真紅のビロードで壁も天井も覆いつくされていた。
小さなミラーボールが天井からいくつも吊下げられていて、ぐるぐるまわりながら、小刻みに、虹のような光の飛沫をまきちらしている。
引き続き黒服がうすぐらい店内に課長を案内し、席につかせる。
ホステスがやってくる。黒いロングドレス。美人とはいえない。体型はずんぐりしている。短い髪は剛毛で針金のようで、前髪がかかる下からのぞく目は険しくて不機嫌だ。「ムスッ」という顔をしながら課長のとなりに座る。
ひぐまだろうかと課長は思った。
彼女は黙々とウイスキーの水割りをつくってテーブルの上に置いた。薄暗い店の中、たまたまやってきたミラーボールの光線に照らされ、グラスがギラリと光る。
課長はグラスを手にとり黙って水割りを飲む。その後二人は目をあわせるでもなく、席にすわったままだった。ややにぎやかな音楽が店に流れていたのだと気づく。
二人はまるで、これから江戸城無血開城の交渉でも始めるかのような、妙な緊張のある沈黙を守っていた。しかし課長はただボンヤリしていただけなのだ。
頭の中が空洞で蒸発状態なだけで、アルコールを飲むだけで、ほかに何をしようとも喋ろうとも思いつかなかった。
課長がグラスを開けると、彼女はまた水割りをつくる。すると課長はそのグラスをあける。このくりかえしが、店の音楽の中で行われた。
彼女もまた、たいしたものだ。ふつう、こんな沈黙に人間は耐えられないし、ホステスなら、沈黙を破って何か話すのが職業的義務というものだ、しかし、彼女はあさっての方角を見たまま、ついにハッカタバコを取り出して、ぷかぷかやりだした。
いつのまにか黒服がやってきて、無言ホステスの前に立ち、「おい」と彼女の頭をこづいた。すると黒服の手をはらいのけ、はじめて課長の方を見て顔をしかめ、面倒くさそうにいった。
「延長します?」
黒服もふりかえり、冷たい視線を課長になげた。
課長は立ち上がった。すると黒服が課長の腕をつかみ、にやりと笑う。
「女の子、変えたらどうです」
無視して歩こうとすると黒服に怒鳴られた。
「まだ、はやいって、いってんだよ」
課長は驚いた顔になる。黒服の目はすわっている。
「夜はこれからだろうが。ぜいたくな奴だな。女、変えてやるっていってるじゃんか」
ホステスがそっぽを向いて席を立ち、ゲラゲラ笑いながら歩き去った。
「それとも何か、ここで、本当に出て行くってのか?いいのかそれで」
おまえ、それじゃあ痛い目にあうぜ、という言葉がそれに続くらしかった。
課長は、別に痛い目にあおうがかまわないと思ったのだが、黒服の剣幕がヒートアップするばかりなのがいやになり、また席に座った。すると黒服は嫌な笑い顔をしてそこを去った。課長は一人になった。
あたりを見まわすと、客はほかに誰もいない。薄暗いビロードの中にけばけばしい光の斑点と音楽が流れているだけだ。
またホステスが現われる。今度は痩せぎすの女で、褪せたレモン色のドレスを着て、胸がすごく平らなだけが印象的だった。
「あんた、今日、いくらもっているの?」
開口一番にそんなことをいう。
「五十万」
課長は正直に答えた。彼女は目の色を変えた。
「金持ちじゃん」
「それほどでもないです」
「十分だよ、おじさん金持ち。行こう、あっちへ」
「あっち?」
「お部屋だよ。たった五千円よ」
「何が五千円?」
「いい年してカマトトじゃん。知ってるっしょ?」
無理やり手を引っ張り、どこかへ連れていく。課長はされるがままだ。歩きながら、彼女は「システム」の説明をした。上の空で課長は聞いていた。
店の奥の「お部屋」に着いた。
「お先にどうぞ」
ドアを開け、彼女は課長の背中を押した。よろけながら中へ入りこむ。そこは店の中よりもさらに暗かった。背後でドアがばたんと閉まり、真っ暗になった。
部屋の外で、彼女の褪せた黄色い哄笑が響く。
「五十万も持ってるってよ」
それからしばらく。真の闇の中で時間が流れた。
と、ドアを叩く音と人の声。
「おい!」
・・・・つづく




