341話 幸せ
ベッドの横で優しく微笑んでいたのは、母さんだ。
寝坊して仕方ないわね、なんて顔をしつつも……
笑みを消すことはない。
偽物だとか夢を見ているとか。
そういう感覚は一切なくて、目の前にいる母さんは、確かな『本物』だと感じる。
なぜそんなことを言い切れるのか? と問われたら難しいけど……
俺が息子だから、という答えになるだろうか。
俺と母さんの間の親子の絆というものをしっかりと感じ取ることができる。
理屈なんてないんだけど……
でも、確かに、目の前にいるのは母さんなんだ。
「なんで、母さんがここに……?」
「レイン?」
「そんな、いや、これは……」
「こーら」
「いてっ」
バチンとデコピンをされた。
「まだ寝ぼけているの?」
「え? いや、そんなことはないけど……」
今の一撃で完全に目が覚めた。
「でも、母さんがいるわけないのに……」
「やっぱり、寝ぼけているじゃない。ここは私の家、兼、私の宿。私がいて当たり前でしょう?」
「宿……?」
「そうよ。少し前に、お父さんと一緒に宿を開いたでしょう?」
「父さん? 父さんもいるのか?」
「今は下でみなさんの朝食を作っているわ」
「そんな……」
「なにを驚いているの?」
「だって、母さんと父さんは、10年以上前に……」
……まて。
俺は今、なんて言おうとした?
頭の中に作った言葉が、紐が解けるように急速にバラバラになっていくのを感じる。
「10年前に?」
「えっと……あれ? 俺、なにを言おうとしたんだっけ? 母さん、知らないか?」
「私が知るわけないでしょう」
「いてっ」
もう一度、デコピンをされた。
「まだ寝ぼけているのね。まったく……顔を洗って降りてきなさい。みなさん、もう起きているわよ」
「わかったよ」
おかしいな……?
俺、なにを言おうとしたんだ?
簡単に忘れるくらいだから、大したことはないのかもしれない。
でも、妙に引っかかっていて、忘れたらいけないことのような気がして……
ものすごく気になる。
だけど、言葉にすることはできない。
こうしている間も、『なにか』は急速に記憶の彼方に飛んでいき、二度と拾えないような感じになり……
「ホント、なんなんだろうな」
自分でもなにがしたいのかわからず、ベッドの上でため息をこぼした。
そんな俺を見て、母さんがくすりと笑う。
「レイン」
「うん?」
「おはよう」
「……おはよう」
ただの挨拶のはずなのに、なんでだろう?
ものすごく胸に刺さり、泣いてしまいそうになった。
――――――――――
「おはよう」
「あ、レイン! おはにゃー!」
「おはよ、レイン」
「おはようございます」
「おはようなのだ!」
一階に降りると、カナデとタニアとソラとルナの姿があった。
それぞれ、元気な挨拶をくれる。
「レイン、今さっきまで寝ていたのかしら?」
「な、なんでわかったんだ?」
「だって、寝癖がついたままなんだもの」
「え? どこに?」
「右の方」
タニアに言われるまま頭の横に手をやると、ぼわん、という感じの髪の感触が。
こんな状況で、みんなの前に出ていたなんて……
さすがに恥ずかしい。
「もう、仕方ないわね。そのままじっとしてなさい」
タニアは小さく笑いつつ、席を立ち、俺の前に移動した。
そのまま、手櫛で俺の寝癖を直してくれる。
「~♪」
タニアは鼻歌なんかを歌い、とてもごきげんな様子だ。
俺の寝癖を直しているだけなのに、なにがうれしいのだろう?
「はい、できたわ。こんなものかしらね」
「ありがとう、タニア」
「いいのよ。旦那さまの世話をするのは、嫁の仕事だもの」
うん?
今、よくわからない言葉が聞こえたような……?
「にゃー……タニア、ずるい」
ふと気がつくと、カナデが恨めしそうな目をタニアに向けていた。
どことなく、拗ねている子供のような感じがした。
「私だって、レインのお世話したいのに。私だって、レインのお嫁さんなんだから」
「ふふーん、レインは一人だけなんだから、こういうのは早いもの勝ちなのよ。このとろま猫」
「むにゃ~、でもでも、私だって……」
「レイン、ちょっと服が乱れていますよ。嫁のソラが直してさしあげますね」
「レインよ、嫁の我も服を直してやるぞ。ほれ、そこに座るといい」
ぐいぐいと押されるような感じで、双子の世話になる。
というか、ソラとルナもおかしなことを口にしたような……?
「ああっ、出遅れた!? というか、また先を越された!?」
「まったく、カナデはトロいんだから。このトロ猫」
「それはそれで、なんかおいしそうな名前だよね」
「納得するの……?」
そんなことをしている間に、ソラとルナが服を整えてくれる。
「はい、これで問題ありませんよ」
「ありがとう。えっと……ところで」
「レインは我らの旦那なのだから、ビシッとしててほしいのだ。そうすれば、嫁である我らもうれしく思うぞ」
「それ」
「む?」
「その嫁……っていうのは?」
問いかけると、みんながキョトンとした。
それから、ため息をこぼす。
「レイン……まだ寝ぼけているんだ。私だって、ちゃんと目が覚めているのに」
「自分でそれを言う……? まあ、カナデの言う通り、シャンとした方がいいわよ」
「でも、これはこれでかわいいのだ。くふふ、旦那のかわいいところゲット」
「そう言われてみると、貴重なところかもしれませんね。レインは、いつもしっかりしていますから」
「みんな、なにを……?」
「もう……レイン。いくら寝ぼけているからって、そういうことを言われたら、ちょっと悲しくなっちゃうよ?」
カナデが、怒っているような悲しんでいるような、そんな顔をして言う。
「私達、みんな、レインと結婚したじゃない」
「え?」
「それなのに、そのことを知らないようなことを言うなんて……もう、寝ぼけすぎ!」
いや……待て。
確かに、この国では一夫多妻は認められていて、合法だ。
問題はない。
でも、みんなは仲間であって、妻じゃない。
結婚をした記憶なんて……いや、あれ?
ない、と否定しようとしたところで、色々な記憶が表に出てきた。
みんなに告白をして、彼氏彼女の関係になったこと。
それから順調に交際を重ねたこと。
そして、プロポーズをして、受け入れてくれて、式を挙げたこと。
それらの記憶が一斉に飛び出してきて、記憶の上書きをするように、頭の隅々にまで広がり……
それから、そのことを当たり前と思うようになる。
「そう……だよな」
俺、なんで、結婚していないとか思ったんだろう?
夢と勘違いするなんて、みんなに対して、失礼にもほどがある。
「ごめん……いや、ホントごめん。まだ寝ぼけていたみたいだ」
「にゃー、やっと目が覚めた?」
「そんなに謝る必要はないわよ。レインの父さんと母さんに挨拶をするためにここに来て……でも、ちょっと強行軍だったものね。疲れているのよ」
「そうですね。もしも眠いのなら、もう少し休んでいてもいいんですよ?」
「我が添い寝してやろうか?」
「いや……うん、もう大丈夫」
大丈夫……だと思う。
問題はないはずだ。
これが正しい現実のはずだ。
「なんやー、レインの旦那、もう尻に敷かれとるん?」
そんな声と共に、足音を響かせてティナが現れた。
その足は……しっかりとそこに見えていた。
『よかった』『続きが気になる』と思っていただけたら、
ブクマや評価をしていただけると、とても励みになります。
よろしくおねがいします!




