130話 イリス
「わたくし、とても良い気分ですの。このように月がハッキリと見える日は、そうそうありませんからね。見ていると、穏やかな気分になりますわ」
男達に囲まれているというのに、少女は怯えた様子は一切なく、微笑みを浮かべている。
なんだろう……?
余裕があるというか、男達を歯牙にもかけていないというか……
普通の女の子がとる反応ではない。
「そうだな。今日は良い夜だぜ」
「まったくだ、嬢ちゃんみたいな子に出会えるなんてな」
「どうだい? 記念に、一杯、飲んでいかないか?」
「ふふふ」
女の子は答えない。
ただただ、笑みを浮かべるだけだ。
一方で、男達は欲望を隠すことなく、下卑た表情を浮かべていた。
「……いいな? 逃がすなよ」
「……わかってる。こいつは、かなりの上玉だ」
ただのナンパというのなら、知り合いのフリでもなんでもして、適当にやりすごしたところなのだけど……
どうやら、男達は、それ以上にゲスなことを考えているらしい。
見過ごせるわけがない。
俺は、女の子の方へ一歩を……
「楽しい夜になりそうですわ。さあ……踊りましょう?」
「っ!?」
瞬間、ゾクリと背中が震えた。
なんだ、この感覚は……?
今まで味わったことのない、異質な気配を覚える。
猛禽類と相対したような……いや、そんなものじゃ足りない。
絶対的な終わり……死神と対峙しているかのようだ。
自分で言うのもなんだけど、それなりの修羅場を潜ってきたという自信がある。
でも、そんな自信なんて簡単に打ち砕けてしまうくらいに、俺は強い恐怖を感じていた。
そう……ただただ、純粋に怖い。
わけがわからないのに、理由もハッキリとしていないのに……怖い。
「くっ……こんな、ことで……!」
今は、正体不明の恐怖に囚われている場合じゃない!
女の子を助けないと。
「なにをしているんだ?」
震える体を叱咤して、無理矢理前に出た。
「え……あ?」
俺の声で、男達が呆けた様子でこちらを見た。
男達も、正体不明の恐怖を与えられて、動けなくなっていたらしい。
「あら? あらあら?」
唯一、なんてことない顔をしているのが、女の子だ。
こちらを見て、驚いたような顔をしている。
ただ、それはすぐに楽しそうなものに変化した。
新しい乱入者を歓迎しているような……この状況を、楽しんでいるように見える。
助けが来てホッとしている、というようには見えないのだけど……
この子は、自分が置かれている状況を理解しているのだろうか?
「な、なんだ、てめえは……?」
「関係ないヤツは消えろ。帰り道はあっちだ」
男達は俺が一人だということを理解すると、途端に強気になった。
囲むようにして、それぞれから圧力をかけてくる。
でも、こんなもの、みんなに比べたら大したことはない。
赤子みたいなものだ。
「消えるのはお前達のほうだ」
「あん?」
「つまらないことを考えるな。この子に手を出すのはやめろ」
ニヤニヤしていた男達から笑みが消える。
「……あー、そういうことか」
「ようするに、アレだな? お前、うざいやつ決定だな?」
「俺達が誰かわかってんのか? わかってねえな? あの世で後悔するか?」
結局、こういう展開になるのか。
もう少し、口がうまければ違った展開もあるのかもしれないが……
ないものねだりをしても仕方ない。
それに、こういう連中に手加減は不要だ。
今後、バカなことを二度としないように、ここで徹底的にしておく必要がある。
「君は下がってて」
「あまり状況が理解できないのですが……あなたは、わたくしを助けようと? そういうことで、よろしいのですか?」
「そういうこと」
「……ちょっと、予定がズレましたわね」
「なんて?」
「いえ、なんでもありませんわ。まあ、今はそういう気分ではありませんので……ここは、お任せ致しますわ」
女の子が後ろに下がり、かばうように、その前に立つ。
さてと……やるか!
――――――――――
「く、くそっ! 覚えていろよ」
テンプレな台詞を残して、男達は逃げ出した。
あれだけの元気があるのなら、また、変なことを考えるかもしれない。
ちょっと手加減が過ぎたかもしれない。
とはいえ、女の子を残して追いかけるわけにもいかないし……
仕方ない。
今日のところは、これでよしとしておこう。
「大丈夫か?」
女の子の方を振り返り、問いかける。
「ええ、問題ありませんわ」
ゆったりと笑う女の子。
続けて、小さく頭を下げた。
「どうも、わたくしは助けていただいたみたいですね。ありがとうございます。ぜひ、お礼がしたいですわ」
「いや、当たり前のことをしただけだから」
「ふふっ、殊勝な方ですのね」
女の子はくすくすと笑い……
それから、ぐいっと体を前に出して、俺の顔を覗き込んできた。
「ど、どうしたんだ?」
顔が近いんだけど……
妙に甘い匂いがして、ちょっとだけ頭がクラクラしてしまう。
「なるほど、なるほど……ふふふっ」
女の子は値踏みをするように、じっと俺の顔を見つめた。
ややあって、納得したように頷く。
「あなた、とても綺麗な顔をしていますのね」
「そう、かな?」
「特に、瞳がとても綺麗ですわ。汚れを一切知らないような、純粋なもので……ふふっ、とてもおいしそう」
「えっと……ありが、とう?」
これは、褒められているのだろうか?
独自の価値観を持つ女の子だな。
ややあって、女の子が離れた。
「名前を教えてくださらない?」
「そういえば、名乗ってなかったか。悪い。えっと……俺は、レインだ。レイン・シュラウド。冒険者をしている」
「レイン・シュラウド……ふふ、素敵な名前ですわ。わたくし、レインさまのことが気に入ってしまいました」
「気に入った、と言われても……」
「あなたを、わたくしのものにしてみたいですわ……どうですか?」
妖艶な表情と共に、そんな誘いをかけられた。
見た目は、俺よりも下の少女なのに……
その身にまとう気配は、年齢以上に大人びている。
妖しい雰囲気にあてられて、ついつい、コクリと頷いてしまいそうだった。
「……冗談はやめてくれ」
「あら、どうしてそう思うのですか?」
「俺達は、出会って間もないんだぞ? それなのに、欲しいとか言われても、納得できるわけないだろう」
「ですが、一目惚れという言葉がありますわよ?」
「……そうなのか?」
「ふふっ……さて、どうでしょうか?」
掴みどころのない女の子だ。
なんとなく、この子の手の平の上で転がされているような気分になる。
「そういえば、君の名前は?」
「あら。申し訳ありません、まだ名乗っていませんでしたね。レインさまがとても不思議な方なので、ついつい、名乗るのを忘れてしまいました」
女の子はスカートに手をやり、軽くお辞儀をする。
「わたくしは、イリスと申します。以後、末永くよろしくお願い致しますわ」
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