綾目町のとある出会い
ちいさな山と田んぼしかない町がありました。大きくもなく小さくもない、都会からしたら『田舎』と呼ばれてしまうような、特に観光地もない住宅の広がる町です。
都会にはそれなりに近いため、住民もそこそこは、いる程度。ビルもマンションもろくになく唯一目立つのは、そこを通っているそれなりに古い鉄道と全国にあるデパートくらい。
そんな街ですから、昔ともいえないぐらいのちょっと前の風景がまだ残っています。駅の近くには、細々ながらも続く商店街があります。駅前にできた大手のスーパーに押されながらも町の人に愛されている店が、開発が進む前のまま残っています。
そこにいけば大抵のものは揃うといわれる程、たくさんのお店がまだまだ現役です。
わざわざ見に来るほどの特別なものではないのであまり知られてはいませんが、たまに地方の新聞や地方紹介の雑誌に乗ります。
各地で長く続く店がつぶれ、駅に直結した大きなデパートやビルが増えていき、商店街が寂れていく中、ここは残していけていることが、ここに長く住む人々の誇りであり、自慢なのでした。
そして開発の進んでいないここには、『あきち』や原っぱ、森などが残っています。空気もきれいな方ですし、都会よりは星も見えます。山に登ればもっと見えます。春には桜、秋には紅葉、残念ながら雪はふりませんが、この町にいて季節の変わり目に気づかないことはありません。
そんな町では、人の間の時間がゆったり流れます。都会と違いガチャガチャ遊び場があるわけでもなく、せかせかしたオフィスがあるわけでもなく、時間に余裕があるのです。
ここの人たちの特徴なのかもしれませんが、基本のんびりしている人たちばかりなのも大きいのかもしれません。
人々の半分くらいは、自営業だったり農家だったりします。たくさんあるたんぼと畑の主や、家で喫茶店を開く人、商店街の店はほぼチェーン店ではなく代々続く老舗のお店です。
もちろん、ここから少しかかるけど会社に行く人やデパートに勤める人など様々ではありますが、ゆったりした気性の人がほとんどなのです。そんな人たちがのんびり、のんびり暮らしています。
ここは、綾目町。
まだ、緑と人の余裕が残る貴重な町です。
その町の近くの山には、色んな野生の動物が住んでいます。人が少し近くにいる分には大丈夫な、昔から人と関わることの多かった動物たちが残っています。
その中に、小さなタヌキがいました。名をコハル。一人で住んでいます。
両親と兄がいますが、怖がりな両親と怠け者な兄はでてこないので、町に近いほうがいい、コハルくんは、山のふもとの神社の裏辺りに一人で住んでいます。
コハルくんが町の近くを望む理由は、といいますと...彼にはお気に入りの人がいるのです。
出会いは彼女が友達と山に遊びに来た時でした。
その頃はまだ家族と暮らしていました。
彼女とその友達の二人はコハルくんの家の近くまできたので、心配性でもある両親は見つかるかも、と慌てました。そうして家の奥に籠ってしまいました。兄はいつもの場所で寝ています。
コハルくんは、ちょっと怖い気もしたのですが、結局気になってそっと覗いてみることにしました。
離れたとこから覗いただけだったのですが、彼女がその友達と笑いあうその笑顔はとてもよく見えてしまったのです。
それはとてもかわいいものでした。
それからコハルくんは彼女が大好きになってしまったのです。もともと人と仲良くしてみたいと思っていましたし、これを機に移り住むことにしたのです。
両親にはもちろんとめられましたが そこでおとなしく言うことを聞いていた前までのコハルくんではありません。五日に一度帰ることで許してもらいました。
お気に入りの彼女をコハルくんはしょっちゅう町に探しに行きます。
田舎の人口の少ないこの町であんなにかわいいその子はそりゃ有名で、周囲の人の会話に耳をすませれば、たいてい見つけることができます。
そこで聞いた話によりますと彼女はトーミさんというそうです。
商店街のはじから二番目。向かいに文房具屋、そしておもちゃ屋と駄菓子屋に挟まれた、本屋さんで働いています。
年老いた店主さんのとても頼りになる右腕だそうです。町の人もトーミさんに会いに行く人も多いとか多くないとか。本を買うつもりの人がもちろん多いようですがね。
今日は、コハルくんは噂の本屋さんに行ってみようとしています。
お店の名前は陽堂。町の人に愛されている、欠けてはならない大事なお店です。
まだ、トーミさんが働いているところはみたことがないコハルくんはドキドキです。
タヌキのまま行くわけには流石にいかないので、はっぱを一枚、家の隣の木から拝借。
どろんっ。
小さな男の子のできあがりです。服は、たまに山に飛んでくる洗濯物の、ズボンをいただいてしまったものと、神社の神主さんから貰ったてぃーしゃつ。
ズボンはちょっといけない事かもしれませんが、返す当てもないので、しかたない、ということにコハルくんはしています。
そして神主さんはコハルくんが引っ越してきたその日にコハルくんを見つけ、神社の裏に住むのを許してくれた時から、たまに食べ物とかもコハルくんにあげています。
そしてお礼に山奥にしかないひみつの薬草を貰っています。
良い関係です。
さて、準備ができました。いざ!出発です。
神主さんに挨拶して鳥居をくぐり神社を出て階段を降ります。気持ちのいい朝です。小鳥がおしゃべりしながらコハルくんの頭の上を通ります。
「今日はおいしい実がなっているといいね」
「そうね!たくさん採らなきゃね」
階段をおりるとそこはもう人が歩く道です。今は誰も歩いていません。
コハルくんは少しだけほっとして進みます。
たんぼの横を抜けて家の並んだ道を通り過ぎれば商店街はもう目の前です。
奥からは、肉屋さんが焼く特製のコロッケの良い匂いやパン屋さんのパンの匂いが風邪にのって漂ってきています...ちょっとおなかの空いたコハルくんでした。
商店街の入り口のアーチを通り、目の前はおもちゃ屋さんと服屋さんです。
そしておもちゃ屋さんの隣には、
(あった!)
ありました。
きちんと『陽堂』という看板もかかっています。ドアは空いていたのでそっと中を覗いてみます。
(あれ…いないのかな)
見当たらないようです。
(奥にいるのかも…)
せっかくならトーミさんに会いたいので、中に入ってみることにします。
そっと足を踏み入れると入口の傍にあったレジにいた店主のおじいさんが、
「いらっしゃい」
といってくれました。ぺこりとお辞儀をしてテケテケと店の中の方に入っていきました。
たくさん本が並んでいます。コハルくんにはどれも難しそうにみえます。トーミさんはどこにいるのでしょうか。キョロキョロしながら進んでいくと
「いらっしゃいませ」
声をかけられました。
あわてて顔をあげると、そこにいたのは長い綺麗な髪にエプロンをつけ、ニコニコしているトーミさんでした。
「なにかさがしもの?」
聞かれていることの意味がとっさに解らないぐらいに動揺しています。
「え、えっと」
必死に首を振ります。
「そう?ごゆっくり」
ニコッと笑ってさっそうと店内を歩いていきます。
いきなり、ピリリリッとけたたましい音が鳴り響きました。さっとまじめな顔になるとトーミさんはエプロンのポケットから電話を取りました。
「お電話ありがとうございます。綾目商店街の陽堂でございます」
そのまま話しながらお店の奥に入っていきます。
呆然と彼女を見送ったコハルくんは、まだぼうっとしています。
「すごいな…」
「いらっしゃいませ」
入口から店主の声がして、ようやくコハルくんは我に返りました。
誰か来たようです。店主と話をしている声がします。
「風間さーん」
お客さんが誰かを呼んでいます。
「はーい」
返事をしたのは、電話が終わったらしく、奥からでてきたトーミさんです。
「お久しぶりです」
「こないだ出たあれ、取りに来たんだけどさ」
「あ!ありがとうございます。ちゃんとご用意してますよ。ほらこちらです」
トーミさんはお客さんに本をお渡ししています。
「これこれ。ありがとね」
「はい。またお待ちしています」
にこやかにお見送りをするトーミさん。
(トーミさんは風間さんというのか)
彼女のことが知れて嬉しいコハルくんです。
じーっとトーミさんの仕事を見ていたら後ろから服を引っ張られました。
「え、なっなに?」
「おまえもオレのママ好きなのか?ママはパパのものだからゆずらないからな!」
そこにいたのはちょっとツリ目の男の子でした。
「う、うん取らないよ、大丈夫、だけど…。トーミさんって君のママなの?」
「ああ!お仕事すごい頑張ってる自慢のママなんだ!」
えっへんと聞こえてきそうな自慢げな顔で笑っています。
その笑顔は確かにトーミさんに似ているところがあります。
「そう、なんだ。えっとキミはなんていうの?」
「オレか?オレはサクだ」
「そっか。サクくんはなんんでここにいるの?」
コハルくんは尋ねました。
「今日はママのお手伝いだ!ほっとくとすぐムリするからな。見張りもしてこいってパパにいわれたんだ」
サク君はコハルくんにママ凄さを伝えようと一生懸命です。
「パパはな、本屋で働いてるママが大好きなんだ。ママは本屋でずっと働きたくてパパのいるこの町にきてようやくそれが叶ったんだ。だから、どんなに大変でも自分の好きなとこで働かせてもらってるんだとか笑って頑張りすぎちゃうんだ。だから、オレが見張ってるんだ」
とても嬉しそうにサクくんはコハルくんに教えてあげます。
「こら、沙来。何喋ってるの?ほらどいて」
「あ、ママ!」
トーミさんが本を抱えて横を通りました。
「そっちの子は、さっきの子だね?君は、ゆっくり本を選んでいってね!ここにはきっと君の欲しいものがあるから。ね?」
コハルくんが好きになったトーミさんのあの笑顔でそんなことをいわれたコハルくんは顔を真っ赤にして頷くしかありません。
「あ!やっぱりお前もママが好きなんじゃないか!」
「...」
そういわれても何も返せないコハルくんです。
「まあ、そりゃそうか!なんてったってオレのママだからな!」
沙来くんがそういってくれてコハルくんはほっとしました。
「オレのママはな…」
と、沙来くんはたくさん喋ってくれます。おしゃべりするのが好きなようです。
「ママは、自分が子供のころに本を救われたんだって本を読むために夜寝てたんだって。だから、きっとほかにも自分みたいな人がいるから、ここにこんな面白い本があるよ!楽しい本があるよ!って伝えるために働くのよ、ってオレによくいうんだ」
そう話す沙来くんの眼はキラキラです。
「オレのママはすごいだろ?ほんとにすっごいからそんけーしてるんだ!」
強く言う沙来くんをコハルくんはまぶしそうにみました。
(やっぱりトーミさんはすごい人なんだ)
店の中をたくさんの本や箱をもっていったりきたりしているトーミさんもキラキラしています。
「ほら、はやくおまえも本選べよ」
そういわれてコハルくんは困りました。
「でも僕、字読めないんだ…」
その時コハルくんは良いことを思いつきました。
「そうだ!サクくんが僕に本読んでよ!それか文字教えてそうだよ!それがいい!お願いね!サクくん!!あ、僕コハル。よろしく!」
良いことを思いついてすっごく嬉しくなってしまったコハルくんは、ニコニコ笑ってサクくんの手をにぎりぶんぶん振りました。
「お、おう」
はじめはいきなり笑顔になったコハルくんに少しドキッとして見とれてしまっていたサクくんでしたがすぐ立ち直り、二人はニコニコ笑いあいました。
「あ、僕タヌキだから。よろしくね」
「...はっ?」
タヌキと人間も一緒に暮らせる町、綾目町。小さくて穏やかな大事にしたい場所。
読んで頂きありがとうございました。