七
翌日、蟋蟀は朝からレオニード邸へ向かった。
昨日の夜の一件の報告の為だ。
入り口横に立つ門番担当が、蟋蟀を見て、ふいっと目を逸らす。
セリエだ。
「おはようございます。セリエちゃん。何で門番なんてやってるんです?」
基本、門番の担当は新人騎士がやる事になっていたはずだ。
少なくてもセリエは、ベテランではないにしろ、それなりの年功だから、普通はやるはずもない。
蟋蟀の問い掛けに、セリエは目を合わさずに、何かボソボソ言っている。
「えっ?何ですかい?」
「ーーーーだ」
「?」
セリエの顔が蟋蟀の方を向く。
「夜間無断外出の罰を受けたんだ!」
真っ赤になったセリエが、若干涙目に見えた。
「ああ、許可取って無かったんですかい?」
イグニスでは、日が落ちてから、日が昇るまでの間、寮に住んでいる騎士が無断で外出する事が禁じられている。
結婚して、所帯を持った騎士も、基本休日以外は寮にて生活している為、そこは厳格に定められている。
「何でまたあんな所に来たんですかね?」
「いや、その……、お前が街の外に向かうのがたまたま見えて、それで……」
「セリエちゃん、そんなキャラでしたっけ?」
顔を少し赤くして、もじもじしているセリエに、蟋蟀が首をひねる。
「昨日、あの後エルロウさんに色々アドバイスされて、ツンデレ過ぎも良くないと言われてーー」
「あの人の差し金ですかい」
蟋蟀は嘆息した。
「まあ、素直なセリエちゃんも良いですが、俺は何時もの方が良いと思いますよ」
にっと笑う蟋蟀に、セリエも苦笑いを浮かべる。
「まあ、もう少し自分に正直になってみるさ。それと、昨日のお酒の約束、まだ有効?」
「ああ、それじゃあ、今の仕事片付けたら行くとしますかね」
「ホントか?!予定は早目に決めてくれよ。乙女には準備が必要だからな」
「……乙女?」
再度首をひねった蟋蟀に、セリエの鉄拳が襲い掛かる。
「あぶなっ!本気では勘弁して下さいよ」
「馬鹿にするからだ!」
「その対応の方がこちらも楽ですねえ」
「……なかなか奥が深いのだな」
腕を組んで、セリエは何かを考えだした。
「そいじゃ、シャナさんに用があるんで失礼しますね」
また色々と悩みだしたセリエを置いて、蟋蟀はレオニード邸に入っていった。
家以上、城未満の建物の中を、勝手知ったる他人の家とばかりに、蟋蟀はずんずんと進み、シャナの部屋に着いた。
軽くノックをすると、どうぞとの返事があり、蟋蟀は中に入った。
中ではシャナが机に向かい、何やら書いていた。
「お忙しそうですが、大丈夫ですかい?」
「すぐ終わるから待っててもらえる?」
書き終えた書類に封蝋を施し、机の横の箱に入れる?
「最近は何でも書類を提出しなくちゃいけないから、手間が掛かって仕方がないわ」
「時代は変わったんですねえ」
「今は何でもかんでも、書類を出さないと始まらないからね。ーーさて」
眼鏡をずらし、目頭を揉みながら、シャナは蟋蟀に向き直った。
「なんか仕草が年寄ーー」
不用意な蟋蟀の言葉は、最後まで続けられる事は無かった。
予備動作無しで、抜き打ちに振るわれたファルシオンは、蟋蟀の首に僅かに触れるか触れないかの所で止まっている。
「腕、落ちてないようで何よりですねえ」
自分の命が風前の灯火にあるというのに、蟋蟀は微笑んでいた。
まるで、自分の首に突きつけられた刃が見えていないように。
「蟋蟀、わざとやってるでしょう?」
「何の話ですかね」
「あまら、揶揄わないでくれないかしら」
「揶揄うなら、セリエちゃんが一番ですかね」
まったく、と言いながらシャナはファルシオンを仕舞った。
「セリエの件も、報告してくれるのよね」
机の横にあった椅子に座り、蟋蟀は苦笑しながら昨日の一件を話す。
流石に顔中汁まみれのセリエの話は割愛したが、甘い匂いと、リックの件、そして死体が消えた件では若干眉をひそめた。
「ま、報告はこんなトコですねえ。中央酒場にはこの後顔出してみますよ」
その言葉にシャナは頷く。
「ええ、ーーふう、調査に行かせた衛兵にはお仕置きがひつようね」
眼鏡が一瞬光ったような気がするが、蟋蟀は気付かない振りをした。
もちろん、口元に浮かんだ三日月のような笑みにも。
「見た目が可憐な美少女だから、どうしても舐めてかかる方も居るのが困りもんよね」
「びーー」
「蟋蟀さん、なあに?」
反射的に口をついて出そうになった言葉は、被せ気味のシャナの言葉に掻き消された。
先程のファルシオンの抜き打ちを思い出し、蟋蟀はどうにか無表情を貫く事に成功した。
「まあ、久しぶりの綱紀粛正のチャンスだから、少しだけ昔を思い出しても……」
「シャナさん、戻って来てもらって、いいですかね」
蟋蟀の言葉に、シャナは我に返った。
「失礼。甘い匂いの事は、何か心当たりはある?」
「どっかで嗅いだ事ある気がするんだけどねえ。ま、エルロウさん辺りに聞いてみるとしますよ」
「色々あるけれど、宜しくお願いしますね。ーーああ後、セリエの件がまだだったわね」
先程とは違う、にっこりとした表情をシャナは浮かべた。
それに対し、蟋蟀は心底困った様に頭をかく。
「街の外で合流して、一緒に目潰しくらって、エルロウさんとこで診てもらって、そんくらいですかねえ」
蟋蟀の言葉に、シャナは小首を傾げる。
「あの子、朝からだいぶ浮かれてて、昨日の話を聞いても、珍しく口ごもるし、貴方が何かしたんじゃ無いの?」
「別にーー、ああ、一緒に飲みに行く話はしましたねえ」
「……それか」
合点がいったと、シャナは頷いた。
「他の騎士から、セリエが扉の所で悶えてると報告があったんだけれど、それが原因みたいね」
「ただ、飲みに行く約束しただけですけどねえ」
「貴方は彼女にとって、かなり特別な存在よ。忘れたわけじゃ、無いでしょう?」
蟋蟀は目を閉じ、顔をしかめた。
「あの頃の事も、あの時の事も、あまり思い出したく無いんでねえ」
「それでもよ。今のあの子はうちの立派な戦力なんだから、変な事になったらーー」
シャナの目がスッと細くなる。
殺気とも、怒気ともつかない気配を、蟋蟀は軽く笑っていなした。
「それならもう少し、お転婆を控させて欲しいんですがね」
「それについては、私から話をするわ。もう少し素直になる様に、ね」
「昨日、エルロウさんにも色々言われてるみたいなんで、お手柔らかにお願いしますよ」
「貴方とくっついて、貴方が騎士を辞めさせるのもありよ。その時は、盛大に祝ってあげるから」
「いやいや、俺みたいなのとくっつく女性は、苦労するのが目に見えてますからねえ」
「冗談よ。ただ、あの子が望むのなら、色々と策を巡らせてーー」
「あ、あんたが言うと、逃げられる気がしないんで、勘弁してくれませんかねえ」
ニヤリと笑うシャナに、蟋蟀は本気で怯えの色を見せた。
「首狩軍師の異名は伊達ではないわ。蟋蟀、貴方の人生を、ある意味狩ってあげるのも、いいかも知れないわね」
戦場では何度となく、エゲツないまでの戦術で連勝を重ねて来たシャナは、レオニードを落とす際にも、その力を遺憾なく発揮させたらしい。
元々、上司と部下の関係しかなかったはずの二人だが、正攻法から搦め手から、ありとあらゆる手段を使い、最終的には「結婚して下さい」と、レオニードがシャナに土下座したとの噂もある。
一度、その噂を二人に聞いた蟋蟀だが、ふっと目をそらすレオニードと、「今が幸せならいいの」と言うシャナに、二度と聞くまいと思った過去もあった。
「そ、それじゃあ、中央酒場に行かなきゃなんないんで、そろそろ失礼しますね」
無理矢理会話を打ち切り、蟋蟀は椅子を立った。
館の出口、扉を開けると、そこには変わらず立ち続けるセリエがいた。
先程シャナから聞いた通り、くねくねと身悶えている。
蟋蟀は、気づいてない様子のセリエの背後に回り込み、頭に手を乗せた。
「わひゃあっ!」
「真面目にやんないと、ずっと門番やる羽目になりますよ」
わたわたするセリエの頭をくしゃくしゃにして、蟋蟀は頭をぽんぽんと叩いた。
「子供扱いをするなっ!」
「してないからお酒に誘ったんですがね」
その言葉に、セリエは硬直した。
「え……、それってどういう……」
「子供じゃ、お酒飲めないでしょうに」
「……そうか、そうだよな」
盛大な溜息を吐いて、セリエは若干落ち込んでいる。
「まあまあ、俺が酒に誘うのはかなりレアな事なんで、もっと喜んで欲しいもんですね」
「そうなのか?!」
「一人で飲むのが好きなんですが、セリエちゃんなら楽しい酒が飲めそうなんでね」
「そ、そうか、そうだな。うん。楽しく飲むのが一番だからな、うん」
先程までの落ち込みが嘘のように元気になるセリエ。
と、ニコニコ顔がすっと真顔に変わる。
「所で、昨日の件だが、あれはーー」
「ありゃあ、俺がシャナさんから頼まれた件でね。まあ、俺に任せときなさい」
「でも……」
「昨日、エルロウさんが言ってた、適材適所さね。それに、手出しされちゃあ、俺の飯の種が無くなっちまうんでね」
へらへらと笑う蟋蟀。
それを見て、セリエはキッと蟋蟀を見つめた。
「私だって、強くなったんだよ、蟋蟀。あなたの足を引っ張らない位には。あの時とはーー」
「分かってる」
蟋蟀はもう一度、セリエの頭に手を置いた。
「俺がピンチの時は頼みますよ。変わりにあんたがピンチの時は、また助けますんでね」
その言葉にセリエが微笑んだ。
「あなたは変わらないわね」
「俺は俺はさね」
軽く髪を撫でる。
撫でられる感触に、気持ち良さそうにセリエが目を閉じた。
蟋蟀は、数回髪を撫でると、その手を袖の中に入れた。
セリエは少しだけ、物足りなそうにしていた。
「今回のシャナさんの依頼が終わったら、飲みに行きましょうかね」
「うん」
中央酒場に歩き出す。
ふと振り返ると、セリエと目が合う。
小さく手を振るセリエに、蟋蟀も振り返した。
更に目線を少し上げると、シャナが見ていた。
遠目にも、ニヤニヤしているのが見えて、蟋蟀は少しだけ顔をしかめた。