二
「相変わらず容赦ないよな」
いつの間に追いかけてきたのか、レオニードは傍を歩く蟋蟀に話しかける。
蟋蟀は軽く鼻を鳴らした。
「あのままいたら、間違いなくトラブル起こしてたでしょうし、あれで良かったと言ってもらいたいもんだがね」
「そりゃそうだ」
「それに……」
蟋蟀がすっと右にある店に入る。
レオニードは少し遅れてその店、薬屋に入る。
「薬屋なんて珍しいな」
「いらっしゃいって、珍客襲来ね」
レオニードの声が聞こえたのか、奥から女性が出てくる。
「二人揃って冷やかしにでもきたのかしら」
「こりゃ、手厳しい。傷薬を買いに来たんだがね」
「そんな格好じゃ、怪我してるか分からないわよ」
「変な病気でももらったんだろ」
女性の言葉をレオニードがにやにやしながら混ぜっ返す。
蟋蟀は無言で腰『貫』を鞘ごと抜いて、レオニードの頭に落とす。
鈍い音が響き、レオニードはその場に崩れ落ちた。
「……いいの?」
「いつもの事さね。さてさて打ち身に効くやつ、貰えるかい?」
「……それに使うの?」
それ呼ばわりのレオニードは未だぴくぴくしている。
「いんや、別口さね」
首を振る蟋蟀に、首を傾げながら女性は奥へと引っ込んだ。
手持ち無沙汰なのか、蟋蟀はレオニードを、グリーブの先でツンツンとしながら女性が戻るのを待った。
「蟋蟀〜、塗るのと飲むのどっちがいい?」
「飲むのは苦かった気がするから、塗るのにしとこうかね」
「そのカッコで子供じゃあるまい、ぶぺっ、ーー」
意識を取り戻したレオニードが、身体を起こしながら悪態を付こうとしたが、床に付いた両腕を蟋蟀に払われて床に顔面を打ち付ける。
「塗り薬は銀貨一枚。一日二度、朝と晩に塗るんだよ」
「悪いね、そいじゃまた」
懐から取り出した銀貨を女性に渡し、薬を受け取ると、蟋蟀は手をひらひらさせて薬屋を出ようとする。
「ちょちょちょ、それも連れてってくれないと困るわよ」
未だ床に突っ伏したままのレオニードを指して女性は慌てて言った。
蟋蟀は盛大に顔をしかめて、先程と同じ様に爪先でツンツンとしだす。
「……が、痛い痛い痛い、地味に鉄が肋に響くからやめてくれ」
若干ぷるぷるしながら起き上がろうとするレオニード。
だが、蟋蟀はツンツンをやめない。
「痛いからやめろ、骨に響く、ってその笑顔もやめろ!」
にやぁとした笑顔で肋を付く蟋蟀を振り払う様にようやくレオニードは起き上がった。
「……ちっ、そいじゃ今度こそまたなぁ」
「まて蟋蟀!貴様舌打ちしたろう。一応私は領主だぞ!その態度はないだろう!」
レオニードの抗議を聞き流し、蟋蟀は手を振りながら薬屋を後にした。
薬屋を出た蟋蟀を少し遅れてレオニードが追いかけている。
「今度はどこ行くんだ」
「……領主様はお暇なんで?」
小走りで追いついて来たレオニードにため息まじりに蟋蟀は言った。
「街の人々の暮らし振りを調べている」
「せっかくのドヤ顔ですが、頭のコブのせいで台無しで」
「誰のせいだ!誰の!!」
レオニードは頭をさすりながら、先程買った様子の塗り薬を髪の隙間から塗りつける。
「結局買ったんですかい」
「エルロウの薬は効くからな」
「まぁ、本物の魔術師は珍しいですからねえ」
紛い物が多い魔術師だが、先程の薬屋を営んでいるエルロウは貴重な本物の魔術師だ。
元々、森の奥で密やかに継承されていた魔術は、最近まで続いていた大規模国家間戦争の影響で、人前に姿を現わす魔術師は減少の一途を辿っていた。
最近になって、多くの国は休戦協定を結んだが、戦乱を嫌う魔術師達は、森の奥から現れてくる事は無かった。
ただ、彼女は戦乱の終わり頃からいつの間にかイグニスの街に薬屋として暮らし始めていた。
評判の良い薬屋だが、魔術師である事を知る者は少ない。
「で、どこまで行くんだ?」
「……付いて来ても、特に面白いもんは無いんですがね」
二人は時折軽口をたたき合いながら、街の外れへと歩いて行く。
しばらく歩き、蟋蟀は集合住宅の並ぶ一角に足を向ける。
そんな蟋蟀を怪訝そうにレオニードは見るが、御構い無しに蟋蟀は歩を進め、やがて一軒の家のドアを無造作にノックする。
「はいはーい」
すると軽快な足音と共にドアが開き、見た目10歳位の女の子が顔を出す。
「あっ、赤のおじちゃん」
「赤は良いけれど、まだお兄ちゃんでいたいんで、赤のお兄ちゃんでお願いできるかね」
蟋蟀を見て笑顔になる女の子に、レオニードは首をかしげる。
「お母さんはいるかい?」
「うん、待ってて。ママ〜、赤のおじちゃん来たよ〜」
女の子は言いながら部屋の中へと駆けて行く。
「……蟋蟀、お前見損なったぞ。まさかあんな幼い子を……」
「……何言ってるか分からないが、あんたとは一度白黒つけた方が良いかねぇ」
レオニードの言葉に、蟋蟀は腰の剣に手をかける。
「じょ、冗談だ、冗談。しかし誰の家だ?」
慌てて両手を振るレオニードに、蟋蟀は溜息をついて剣から手を離した。
「ああ、蟋蟀さん。この間はーー」
先程奥に走って行った子に手を引かれて、女性が現れる。
「いやねえ、ちょっと所用でこっちに来たから、ついでにね。レスちゃんはどうだい?」
「まだ包帯は取れませんが、腫れは少し引いて来たので、良くはなって来ていますよ」
「そりゃあ良かった。じゃあこいつはおまじない代わりに使いな」
そう言って、蟋蟀は先程買った塗り薬を女性に渡す。
「これって、エルロウさんとこの。こんな高いもの頂けません!」
「俺は使わないんで、いらなきゃ捨てときな」
恐縮して受けとらんとする女性に薬を押し付けて、蟋蟀はニッと笑った。
「そんじゃまたなあ」
「あっ、良かったらお茶でもー」
「ツレがいるんで、また今度お邪魔するよ」
立ち去る蟋蟀に手を振る子供と頭を下げる女性 。
蟋蟀の後を小走りで追いかけるレオニードを見て、女性は小さく声を上げかけるが、去り際にレオニードがしぃっと、人差し指を口に当てた為、声を我慢した。
場所は変わり、街の中心に近い一軒の酒場。
【イグニス中央酒場】
イグニスの街は人口約二万人、ライエル国でも大きな街の一つだ。
その中は中心街と外町に分かれ、そして南北、東西を大通りが仕切る八つのブロックに分かれている。
今蟋蟀とレオニードがいる【イグニス中央酒場】はその名の通り、南寄りの中心街、大通り沿いにある。
あまりにシンプルな店名は、店のオーナーいわく、分かりやすく覚えやすくで付けたと言っているが、レオニードは洒落た名前を考えるのが面倒だったからだと睨んでいる。
立地も良く、 いつも繁盛している【イグニス中央酒場】だが、街のシンボルでもある大時計が指す時間は一五時過ぎということもあって、店内は閑散としている。
「ところで、先程の一家との関係は何なのだ?」
「無粋な領主様だねえ、マスター、いつものやつ、赤いのよろしく」
蟋蟀の声に、カウンターにいた痩せぎすの男が手をあげる。
「はいはい、軽いので?」
「まだ明るいからねえ、重いのはまた夜にでも」
「はいはい、レオニードさんはどうします?」
「む、まだ仕事中ではあるがーー、蜂蜜酒を頼む」
「仕事ぉ?」
蟋蟀の声を無視して、レオニードはマスターから木製のジョッキに入った蜂蜜酒と、水で薄めた赤ワインを受け取った。
二人は軽くジョッキを打ち合わせ、一息で飲み干した。
「くぅ〜、この酸味が堪らないな」
レオニードはすかさずマスターにお代わりを頼む。
その向かいでは、蟋蟀が薄めたワインをちびちびと飲んでいる。
立て続けに3杯の蜂蜜酒を空けたレオニードは、ようやく蟋蟀に目を向けた。
「で、先程の答えがまだだな」
「たいした話じゃないんですがね」
今日何度目かの溜息を蟋蟀は吐いた。
「今日殺った三人組、昨日から街には来てましてね。来た時も街の入り口付近でひと暴れしたみたいでねえ」
「?!そんな報告は無かったぞ」
一応、レオニードは街の領主だ。
何かトラブルがあれば報告は上がって来るになっている。
「ひと暴れと言っても、大声出して通行人を突き飛ばしたくらいだから、黙認されたのかもしれないねえ」
レオニードは黙って腕を組んだ。
眉間のシワから機嫌が悪くなっているのが分かる。
「そん時突き飛ばされたのが、あの家の長女のレスちゃんさ。その拍子に腕を強く打ち付けたらしくてね、っと、そんな感じさ」
レオニードは目を閉じて蟋蟀の言葉を聞いていた。
こう見えても街への愛着は強く、住民の幸せを強く願う男だ。
そんな怒りに震える男が閉じていた目を開き、息を一つ吐いた。
「蟋蟀、今回のーー」
「み〜つ〜け〜ま〜し〜た〜よ〜」
何か言いかけたレオニードの後ろから、突然細い腕が現れて首に絡みつく。
「お仕事を私に押し付けて、こんな時間から蜂蜜酒でございますか。流石でございますね」
完全に喉が締まり、呼吸のままならないレオニードの赤い顔の横に、いつの間にか銀髪の女性が耳元に顔を寄せる様にしている。
若干幼く見える、可愛らしい顔には、小さめの眼鏡が光っている。
「おや、シャナさんですか。お疲れ様ですねえ」
「蟋蟀さんも、お元気そうで何よりです」
小さく「がっ」「ごっ」とレオニードの口から声が漏れているが、二人は何事もなくにこやかにしている。
「いつこの店に来られたんですかい」
「マスターに、この人が来たら連絡をする様にしておいたんです」
カウンターの向こうで、マスターが小さく手を振った。
「どおりで」
「ところでレスさんの件、始末付けて頂きましてありがとうございます。この人、フラフラしていて連絡出来なくて」
シャナと呼ばれた女性の腕に、更に力が入る。
レオニードは声も出せずにバタバタともがくが、シャナの拘束はビクともしない。
「いつもいつもいつもいつも、フラフラフラフラ、家でも職場でも落ち着きが無くて困りもんですわ」
「領主様の副官兼奥方様であらせられますからには、その苦労も仕方ないでしょうや」
「そうなんですけれども、限度がありますでしょう」
そう言ってニッコリと笑って、更に一締めすると、レオニードは白目を剥いて動かなくなった。
「あっ、逝っちまったんじゃないですかい」
「大丈夫、よくある事ですから」
レオニードの胸は微かに上下しているので、生きてはいるのだろう。
シャナが外から部下を呼び、レオニードは引きずられて行った。
「蟋蟀さん、今回の件はありがとうございました。後日、報酬をお渡し致しますので」
「副官ってのも大変なもんですねえ」
今回の三人組の件は、実はシャナからの内々の依頼だった。
もしこの事をレオニードが知ったら、間違い無く自らで斬りに行ってしまうとシャナは思い、蟋蟀に依頼した。
あまり軽々しく領主が、街の害となるとは言え、人前で誰かを斬ると言う事があると、理由があるにせよそれだけで街の、領主の評判が下がってしまうだろう。
副官として、レオニードの妻としてそれだけは避けたいと思ったシャナは、報告を上げつつ、処理を蟋蟀に頼んだのだった。
そんな思いを知ってか知らずか、蟋蟀は笑顔でシャナを見送った。
「ああ、レスちゃんの薬代はサービスしときますんで、また何かお仕事があれば宜しく」
「ええ、是非」
シャナは振り返り、蟋蟀に笑顔を向けた。